白井さんと話したこと

2023-04-01 samedi

 政治学者の白井聡さんと2年半ぶりに対談した。
 編集者からの最初の質問は日本の安全保障政策の歴史的転換がなされたのに、どうして国民はこれほど無反応なのかだった。戦争に巻き込まれるリスクが一気に高まったというのに。 
 白井さんと私の答えはほとんど同じだった。それは日本の安全保障戦略を決定しているのは日本政府ではなく米政府だからである。
 白井さんは『永続敗戦論』でも『国体論 菊と星条旗』でも、日本は主権国家ではないということを指摘してきた。大日本帝国において天皇が占めていた超憲法的地位に今は米国がいる。日本は安全保障もエネルギーも食糧も基幹的な政策については米国の許諾を得なければ決定することができない。米国(とりわけ在日米軍)の既得権益を減ずるリスクのある政策は決して物質化することがない。
 日本は米国の属国なのである。これは白井さんと私がずっと繰り返し指摘してきたことである。
 日本の指導者たちは徹底的に対米従属することによって、米国から「属国の代官」という官位を「冊封」されてきた。かつて中華帝国の「東夷」として「日本国王」の官位を受けていたのと構図は変わらない。東西の方位が入れ替わっただけで、いま日本はアメリカ帝国の西の辺境、西太平洋戦略の前線基地である。
 日本の国防政策を決定するのはホワイトハウスであって、永田町ではない。防衛費がGDPの2パーセントというのもアメリカがNATO諸国に対して要求した数字に揃えただけで、岸田政権の発意ではないし、F35を「爆買い」したのもトマホークを購入したのも、日本からの提案ではなく、すべて米政府の指令に従っただけである。米国の指令に素直に従っていれば、米国は自民党政権が半永久的に続くことを保証してくれると信じてそうしているのである。
 そうであれば、国民が安全保障政策の大転換に無関心なのも当然である。それは「見慣れた風景」に過ぎないからである。
 だが、それ以上に深刻なのは、日本の政治家や官僚が雁首並べて起案した安全保障政策よりも、ワシントンの「ベスト&ブライテスト」な知性が日本政府に代わって起案してくれた安全保障政策の方が合理的で現実的ではないかと日本国民の過半がいつのまにか思い始めてきたことである。長く思考停止を続けているうちに、そうなってしまったのだ。自国の安全保障は国民が自分で考え、自分の言葉で語るものだという一番基本的なことを日本人は忘れてしまったのである。
 だから、これは白井さんとも意見が一致したのだが、日本人が自国の防衛について、ほんとうに真剣になることがあるとしたら、それは米国が日本から手を引く時だろうということである。
 万一中国が日本列島を攻撃することがあった場合、ミサイルが狙うのは米軍基地である。沖縄、横田、横須賀などがまず攻撃目標になる。そこには多数の米国市民が居住している。米国市民が死傷すれば、米国はいやでも米中の全面戦争に踏み切らざるを得ない。それは米国にとっても世界にとっても破局的な未来である。
 米中戦争に巻き込まれるリスクを回避するためのとりあえず最も確実な手立ては「中国が攻撃した時、そこに米市民がいない状況」を作ることである。だから、米国は在日米軍基地の縮小・撤収プランをずいぶん前から検討し始めていると思う。私がもし米国務省の役人なら「日本列島に米軍基地を置くことのリスクを過少評価すべきではない」というレポートを書いている。
 だが、「宗主国」に見捨てられた「属国」はその後どういう安全保障戦略を展開すべきなのか。それについて日本の政治家はたぶん何も考えていない。(週刊金曜日3月22日)
(週刊金曜日3月22日)