ある日刊紙から正月の紙面用に「思考停止している中高年サラリーマンに一喝」という寄稿依頼を受けた。中高年サラリーマンを主たる顧客層としている媒体だから読者に喧嘩を売るようなものだけれど、それで構わないと記者は言う。団塊世代までは定年まで勤め上げて、満額の退職金を受け取り、老後は悠々自適という生活設計も当てにできたが、現役世代はもうそんなに甘い夢は見られない。
コロナで消滅の危機に瀕している業界もある。就業形態もずいぶん変わった。AIの普及による雇用消失も間近に迫っている。人口減による社会の変化についても予測が立たない。
この先、五十歳を過ぎて失職した場合、簡単に再就職先は見つからないだろう。でも、彼らはそのような現実から目を逸らし、「対処の手がないまま立ち尽くし、思考が停止し、フリーズしてしまっている」というのが寄稿を依頼してきた記者の診立てである。これをフランス語では「駝鳥の政治」と呼ぶ。危機に際して、頭を砂の中に突っ込んで現実逃避をすることである。
リアルな危機として、私たちの前には気象変動、パンデミック、人口減、AIによる雇用消失、地政学的危機...といくつものリスク・ファクターがひしめいている。悲惨すぎて話題に上らないことの一つに「気象変動による国土消滅」の予測がある。温暖化を止められないと海面上昇によって2050年までに世界で12億人が生活拠点の移動を余儀なくされるとアメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ・リポート』は昨秋伝えていた。
小松左京の『日本沈没』の読みどころは、日本が沈没して国土が消失することが確実になった時に、世界各地にどうやって日本人の移民集団を受け入れてもらうか、離散した日本人たちはどうやって国民的アイデンティティーを維持するかという困難な課題に取り組む政治家や官僚の活躍にあった。このSFとあまり変わらない難問にすでに多くの国が直面している。
国内に標高の高い土地がある国は国内移動で済むだろうが、例えばバングラディッシュのような低地国には逃げる高地がない。この1億6500万人はどこへ行けばいいのか。難民として世界に離散した場合、どうやって国民としての一体感を維持するのか。国土が水没した国は国連加盟国でいられるのか。外交条約を締結できるのか。税金は徴収できるのか。パスポートは発行できるのか...たぶん、そんなことはまだ考えたくないのだろうと思う。
けれども、グローバルなスケールでの人口移動がいずれ起きることは避けられない。この人たちは基本的に難民である。「本国では生きていけない人たち」である。この人たちを受け入れることは人道上の必須である。鼻先でドアを閉じることは人間には許されない。だから、私たちはいずれにせよ、多様な出自の人たち、言語も宗教も生活習慣も異にする人たちと日本列島で共生してゆかなければならない。これを避けることはできない。しかし、今の日本には「移民政策」と呼べるようなものはない。外国人技能実習生や入管制度を徴する限り、今の日本政府の政策に「共生」をめざす人道的な意志を認めることもできない。
理解も共感も絶した他者を受け入れ、共生するためには、われわれの側にそれなりの市民的成熟が必要である。けれども、現代日本人はそのような成熟度に達していないし、成熟を果たさなければならないという社会的合意さえ存在しない。たぶんこれからも日本人は「駝鳥の政治」を続けるつもりなのだろう。だが、砂に頭を突っ込んでいても、現実の切迫を止めることはできない。(2022年1月26日)
(2022-12-29 12:41)