世界の情勢の先行きが見えない。パンデミックも、ウクライナ戦争も、異常気象もグローバルな取り組みなしには解決できないが、どこの国もリーダーシップをとる気がない。そのせいか、このところ「これから世界はどうなるのか」という漠然とした演題の講演依頼が続く。さいわい「これから世界は」的大風呂敷を拡げるのは私の特技とするところである。
これからの世界についてはシナリオが三つある。第一は「ロシアがウクライナ戦争の失敗で没落し、バブル崩壊と少子高齢化で中国の成長が止まり、アメリカが国内の分断を乗り越えて勝ち残る」というアメリカ一人勝ちシナリオである。二つ目は「アメリカも踏みとどまるが、中国が強権体制を維持したまま経済の再活性化に成功する」という米中二極シナリオ。第三が「米中露すべて衰退し、世界が多極化する」というカオス化シナリオである。
こういう話題では私はアメリカ人の学者が書いたものを読むことにしている。というのは、かの国では「起こり得る最悪の事態を想定し、それに備える」能力が高く評価されるからである。本邦だったら「敗北主義」とレッテルを貼られて袋叩きに遭いそうな話でもアメリカでは政府高官もシンクタンクの学者も気おくれすることなく発表して、その想像力の豊かさを競っている。
アメリカ人のこの知的態度を私は高く評価する。ロシアや中国で学者が同じことを書いたらたちまち投獄されそうな詳細なる「わが国滅亡のシナリオ」が堂々と専門誌に掲載されている。
少し前までは「米中二極論」が支配的な言説だったが、このところは米中露全部衰退して世界は多極化するという「カオス論」が勢いづいている。でも、カオス論を語る人たちは別に絶望的な様子でもない。
国際社会を主導できる汎通的ビジョンを誰も提示できない時に、なおアメリカが生き延びるためにはどういう政策が適切か。こういう問いに取り組む時には悲観も楽観も不要である。これはクールかつリアルに思量すべき実際的な課題だからである。「とにかく味方の頭数を増やし、当面の敵を落ち着かせ、できれば潜在的な敵同士が不仲になるようにする」のが戦略として適切であるというのが多極化・カオス化論者の平均的な意見である。ただし、そのためにはアメリカはもう「民主主義と人権の擁護者」という伝道師の仕事は諦めなければならない。統治についても、市民的自由についても、個人の命の重さについてもアメリカ人と考え方がまったく違う「不愉快な隣人たち」とも共生する術を学ばなければならない。そう論じる人の数がアメリカではだんだん増えてきている。たぶんこの「不愉快な隣人たちとの共生」というのは、アメリカ内における国民分断をも遠回しに指示しているのだと思う。単一の政治的アイディアで集団を統合することはもう諦めた方がいい。それより「どちらも最低それだけは合意できる点」を探した方がいい。お互いの顔を見ているから、あれこれ欠点が目についてうんざりするのである。それよりは利害の一致点を探す方がいい。どの国だって「生き延びる」という目的については全国民が合意できるはずである。「放っておいてもアメリカが一人勝ちする」というシナリオよりは「このまま手をつかねているとアメリカは衰退する」というシナリオの方がアメリカの国民的和解にとっては有用である。「一人勝ち」の夢にまどろむより、危機を前にして挙国一致する方が国運の挽回には資する。
事情は日本でも変わらない。「亡国のシナリオ」のために想像力を発揮すること。実はそれこそが日本知識人の急務なのである。
(2022-11-18 09:52)