複雑な話は複雑なまま扱うことについて

2022-08-13 samedi

「複雑な現実は複雑なまま扱い、焦って単純化しないこと」というのは私が経験的に学んだことの一つである。「その方が話が早い」からである。話は複雑にした方が話が早い。私がそう言うと、多くの人は怪訝な顔をする。でも、そうなのだ。いささか込み入った理路なので、その話をする。
 私は人も知る病的な「イラチ」である。「イラチ」というのは関西の言葉で「せっかち」のことである。どこかへ出かける時も、定時になったらメンバーが全員揃っていなくても置いてでかける。宴会でも時刻が来たら来賓が来ていなくても「じゃあ、乾杯の練習をしよう」と言ってみんなに唱和させる(来賓が着いたら「乾杯の儀に粗相があってはならないので、繰り返しリハーサルをしておきました」と言い訳する)。
 そういう前のめりの人間なので、当然ながら話をする時も最優先するのは「話を先に進めること」である。ぐずぐずと話が停滞することも、一度論じ終わったことを蒸し返されるのも大嫌いである。そういう人間が長く対話と合意形成の経験を積んできた結論が「話を複雑にした方が話は早い」ということであった。
 多くの人は「話を簡単にすること」と「話を早くすること」を同義だと考えているが、それは違う。話は簡単になったが、そのせいで現実はますます手に負えないものになるということはしばしば起こる。現実そのものが複雑な時に、無理に話を簡単にすると、話と現実の間の隔たりが広がるだけである。そこで語られる話がどれほどすっきりシンプルでも、現実との接点が失われるなら、その「簡単な話」にはほんとうの意味で現実を変成する力はない。
 
 そう書いておいてすぐに前言撤回するのも気が引けるが、実は「簡単な話」に基づいて現実を変成することは可能なのである。だからこそ人々は「簡単な話」に魅惑され、それに固着しもするのである。話を簡単にするというのは、単に知的負荷を軽減してくれるというだけでなく、たしかにある種の実効性はある。ただし、複雑な現実を簡単な話に還元することによって出現させられた「現実」はいわば力任せに、無理やりに創り出したものである。そういう「無理やり変えた現実」には「現実である」必然性が欠けている。だから、保持力がない。そのうちに「無理」が祟って、内側から壊れてゆく。そして、形状記憶合金のように、元の「複雑な現実」という本態に戻ってしまう。何一つ解決しないままに。
 ギリシャ神話にプロクルステスという盗賊が出てくる。彼は街道沿いで待ち構えて、通りがかりの旅人に彼の寝台で休息するように声をかける。そして、寝台に寝かせて、相手の体が寝台からはみ出したらその部分を切断し、逆に寝台の長さに足りなかったら足を無理やり寝台の長さにまで引き延ばした。
 複雑な現実を簡単な話に落とし込む人を見ていると、私はこのプロクルステスの故事を思い出す。当然のことながらそんなことをすると天罰が当たる。神話によれば、英雄テセウスがやってきて、プロクルステスを彼の寝台に寝かせてはみ出した頭と足を切断してしまった。「プロクルステスの寝台」というのは「無理やり出来合いのスキームに落とし込むこと」を意味する喩えとして今でも使われるが、そういう無理をするとかえって自分の頭と足を切られて絶命することになるのである。
 だから、現実を切り縮めることも、現実になかったことを書き加えることも、どちらも止めた方がいい。現実はできるだけ現実そのものの大きさと奥行きと不可解さを込みで扱う。たしかに手間はかかる。それに誰がやっても、多少は「切り縮めたり、書き加えたり」という作為は免れない。でも、それを当然のように行うか、疚しさを覚えつつ行うかの間には千里の径庭がある。

「話を簡単にする」方法の中で最も簡単なのは「問題を消す」ことである。問題があるのに、「そこには問題などない」と言い立てるのである。
 例えば、北方領土についての日ロの意見はずいぶんと食い違っているが、最大の食い違いは、ロシアが「北方領土はもともとロシア固有の領土であるので、日本との間に領土問題などは存在しない」と主張し始めたことである。「そこに問題がある」ということを当事者双方が認めているからこそ話し合いは始まるのだが、当事者の一方が「問題はない」と言い出したら、問題は未来永劫解決しない。
 ナチスは紀元前から続く「ユダヤ人問題」の「最終的解決(the final solution)」とはユダヤ人を「消す」ことだという天才的なアイディアを思いついた。問題の当事者がこの世からいなくなれば、問題もなくなる。
 第三帝国の宣伝相だったヨーゼフ・ゲッベルスは1941年に「ユダヤ人問題に関して、総統は問題を簡単にすることにした」と日誌に記しているが、これは「問題を簡単にする」というフレーズの最も印象的な用例として記憶しておいてよいと思う。しかし、歴史が教えてくれるのは「最終的解決」によって話を簡単にしようとしたせいで、ドイツ国民は永遠に解決できない問題を抱え込んでしまったということである。
 
 さすがにこれはかなり極端な事例だが、問題を簡単にするためにふつう「陰謀論」が採用される。これはたいへん使い勝手がよいので、あらゆる人々があらゆる政治的難問についてこれを準用する。
「陰謀論」というのは、何か「都合の悪いこと」が起きた時に、それを「邪悪なるものの干渉」として説明する態度のことである。その集団がかつて「本来の純良な状態」にあったときには、たいへん豊かで生産的で効率的だったのだけれど、外部から異物が混入してきて、集団を「汚染」したせいで、「本来の姿」を失ってしまった。だから、混入した異物を特定し、これを摘抉排除すれば、集団は原初の清浄と活力を回復するであろうというのが「陰謀論」の基本的な話型である。
 われわれの集団のどこかに「悪の張本人(author)」がいる。それを名指した時点で仕事はほとんど終わる。あとはみんなで総がかりでその「張本人」を迫害して、叩き出せばいい。「誰が張本人か」を探し出すまでは「犯人捜し」に多少は頭を使わなければいけないけれど、張本人の名指しが終わったあとは、力仕事だけで、知的負荷はゼロになる。だから、世界中の人がこの「簡単な話」に偏愛を示す。政治的カリスマはあるが、頭があまりよくない政治的指導者はほぼ100パーセントこの話型でその政策を実現しようとする。

 陰謀論は民衆の政治的熱狂を掻き立てるという点においては圧倒的な力を発揮する。それはナチスにおいてもスターリンにおいても毛沢東においてもイスラム原理主義においても実証済みである。
 破局的な大事件が起きた時に、陰謀論者は、それがいくつかの複合的な原因の帰結であるというふうに考えない。単一の「張本人」がすべてを計画し、差配していると考える。
例えば、フランス革命は巨大な政治的変動であったが、それを王政の機能不全、資本主義の発展、啓蒙思想の普及などの複合的な効果とは考えずに、フランスのすべてを裏から支配している「秘密組織」の計画の実現とみなすのが陰謀論である。
 この場合、「張本人」は必ず「秘密組織」でなければならない。というのは、革命が起きる直前まで、フランスの警察はこのような巨大な運動を一糸乱れぬ仕方で統制しうるほどの実力を持った「組織」が存在することを知らなかったからである。だから、「闇の組織」だということになる。とりあえず「秘密組織」が存在することは自明とされる。だとすれば、次の問題は「それは誰だ?」ということになる。フリーメイソン、イリュミナティ、聖堂騎士団、英国の海賊資本、プロテスタント・・・さまざまな候補が挙げられ、最終的に「ユダヤ人の世界政府」が「オーサー」だという話に落ち着いた。フランス革命後に、ユダヤ人が被差別身分から解放され、市民権を獲得し、政治経済メディアの各界にはなばなしく進出したという歴史的事実が目の前にあったからである。ドリュモンはこう書いた。「フランス革命の唯一の受益者はユダヤ人である。すべてはユダヤ人から始まる。だから、すべてはユダヤ人のものになるのである。」(『ユダヤ的フランス』)
 ある出来事の受益者がその出来事の「オーサー」であるという推論は論理的には成立しない。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」という事実から桶屋は気象をコントロールできる謎の力を有していると推論するのと同程度に没論理的である。だが、この陰謀論にフランスの読者は飛びつき、『ユダヤ的フランス』は19世紀フランス最大のベストセラーになった。そして、ドレフュス事件はこの荒唐無稽な陰謀論が一人のユダヤ人将校を破滅させるほどの現実変成力を持っていることを世界に示したのである。