参院選の予測を語る

2022-06-27 lundi

毎週寄稿している信濃毎日新聞に今週は参院選のことを書いた。
 
 ある新聞の取材で参院選の見通しについて訊かれた。「争点がない」「投票率が下がる」「野党が負ける」というのが大方のメディアの予想だけれど、果たしてその通りになるだろうか。
 いつも言っている通りだが、そういう質問に対してはできるだけ具体的に未来予測をするようにしてる。予測が外れた場合に、どういう情報を見落としたのか、どういう推論上のミスを犯したのかを自己点検できるからである。どうとでも解せる玉虫色の未来予測をしておいて、「こうなると思っていました」と後知恵でごまかすと、本人の推理力の開発には資するところがない。だったら確信がなくても、具体的な予測を述べた方がいい。「外れることを恐れない」というのは未来の未知性を前にして謙虚であるための一つの作法だと私は思っている。
 年初に「ロシアのウクライナ侵攻」を予測したロシア専門家がどれだけいただろう。何人かはいただろうが、「ウクライナの抵抗が100日以上続く」と予測した専門家は世界中探してもほとんどいなかっただろうと思う。世界の表情を一変させるような出来事はいつも「思いがけないところで、思いがけない仕方で」起きるものである。
 問われたことを奇貨として、今度の参院選では「メディアの予測を覆すような異変が起きる」と私は予測した。自公連立政権にこのまま日本の未来を託して、この10年加速している日本システムの劣化と衰退がこのまま続くことをどれほどの有権者が望んでいるのであろうか。
「よくわからないが、現状のままでも特に不満はない」と「よくわからないが、現状にはうんざりだ」の間にはそれほどの心理的段差はない。「現状肯定」だった人がわずかな風向きの変化で「現状否定」に転じる。そういう豹変を私はこれまで何度も見てきた。異変がいつ、どのようなかたちで起きるかは誰にも分からない。