『月刊日本』という右派の雑誌がある。現政権を歯に衣着せずに批判している点で「御用右翼」雑誌とは違う。でも、そのせいで台所事情は苦しいらしく、原稿料代わりに秋になるとお米をくれる。でも、好きなだけ書かせてくれる媒体は他になかなかないので、私はよく寄稿している。他に白井聡、斎藤幸平、佐高信、中島岳志、青木理、水野和夫、寺島実郎、石破茂、鈴木宗男といった書き手も寄稿している。バランスがいいというか、太っ腹というか、健全なメディアだと思う。
その出版社から権藤成卿の『君民共治論』を復刻したいので、その「解説」を書いてくれという不思議な企画を持ち込まれた。
権藤成卿(1868-1937)は農本主義・大アジア主義の代表的な思想家である。国家主義、官治主義、資本主義を鋭く批判し、農村共同体を基盤とした「社稷」共同体による自治を理想とした。内田良平の黒龍会に参加し、韓国の李容九や中国の孫文・黄興らと連携してアジア革命のために奔走した人である。権藤の構想した「鳳の国」計画は貧しい韓国人たちを満州に集団移住させて、半島から沿海州、蒙古にまで広がる自治と共和の理想郷を作るという壮大なものであった。日中韓に少なからぬ支援者を得たが、計画は日韓併合によって頓挫した。それ以後も権藤の農本主義と大アジア主義は日本の過激な青年たちの間に少なからぬフォロワーを生み出し続けた。
農本ファシズムも大アジア主義も、これを左翼的な立場から批判することは難しくはない。動機がどれほど善意であれ、結果的には過激派軍人によるテロと大日本帝国のアジア支配をもたらしたのであるから、歴史的には断罪されて当然である。にもかかわらず、権藤らを駆動していた貧しく弱い人々への真率な共感と、隣国の人々を「同胞」として歓待する懐の深さに私は胸を衝かれる。そして、農本主義と大アジア主義という日本土着の思想に正面から対峙することなしに、日本人は「オリジナルな政治思想」を持つことはできないのではないかという気がするのである。特段の根拠はないが、そういう気がする。
どうして『月刊日本』が今になって権藤成卿の本を復刻する気になり、その解説を私に頼んできたのか、理由は定かではない。私の家を訪ねた時に、書架に頭山満や大川周明や北一輝の本が並んでいるのが目にとまったせいかも知れない。
私は仏文研究者としてのキャリアの前半10年ほどを「近代フランスの極右思想」研究に費やした。ぼろぼろに黄変した政治パンフレットやプロパガンダ類を蒐集して、過激思想家たちの脳内を駆け巡った妄想的な革命のイメージを知ろうとした。
今にして思えば、大戦間期にフランスの過激王党派と極左冒険主義者たちが紡いだ「国民革命」の夢は、同時期の「昭和維新」の夢とどこか通じるものがあったようにも思える。反国家主義・反資本主義・反都市文化そして政治的手段としてのテロリズム。だが、大衆の土着のエネルギーを賦活させる自前の政治思想を目指したはずの過激派たちはやがて対独協力とヴィシーの反ユダヤ主義にまで頽落した。どこかで「ボタンの掛け違え」があったのだ。
21世紀の日本では、資本主義もポピュリズム政治も都市への資源集中も、どれも遠からず機能不全に陥るだろう。その時、再び農本ファシズムと大アジア主義の「アヴァター」が登場する予感が私にはする。それがどういうかたちをとることになるのか、私にはまだ分からない。分かっているのは、今度こそは「ボタンの掛け違え」は許されないということである。
(2022年5月2日)
(2022-06-25 12:27)