福島みずほさんとオンラインで対談した時、「教育を語る語彙は、その時代の基幹産業で用いられる語彙が流用される」という話をした。農業が基幹産業だった時代には、教育は農業の用語で語られ、工業の時代には工業の用語で語られる。そして、最近になってついに教育が金融の用語で語られるようになった。むろん無意識にやっていることだけれども、教育の制度設計をしている人間たちは、自分たちがどれくらいに限定された語彙と限定された思考を強いられているのか気づくべきだと思う。
その配信を見ていた朴東燮先生から、この論件についてまとめて書いたものを読みたいというリクエストがあったので、いま校正中の想田和弘監督との対談本の当該箇所を抜き出して送った。それをここに採録しておく。
大学に初めて導入されたときから、シラバスは日本の教育に合わないと思いました。欧米の人にとっては有効かも知れません。でも、日本の教育は伝統的な「なんとか道」から派生してきたものですから、自分が受ける教育プロセスの全貌があらかじめ可視化されるということはむしろ忌避されてきました。
「道」では先達(メンター)が前を歩いているので、それについてゆくだけで、目的地がどこであるかもわからないし、あとどれくらい歩けば目的地に着けるのかもわからない。でも、そういうやり方がきわめて効果的であるということを日本人は経験を通じて知っていました。その方が日本人の宗教性や身体観ともなじみがいいものなんだと思います。
せっかく日本固有の教育法があるんだったら、それを活用すればいいのに、なぜかそれを否定して、シラバスが導入された。
導入の時に、シラバスというのは「契約書」のようなものだと説明されました。「この教科を履修して、このような知識と技能を習得すると、こういう『よいこと』があります」ということを学生に履修に先立って約束するのだというんです。ですから、教師がシラバス通りに授業をしなかったとか、シラバス通りの「よいこと」が得られなかったという場合には「契約違反」になって教師が学生に謝罪したり、賠償したりしなければならないと言われました。
同時に、FD(ファカルティ・ディベロップメント)や「PDCAサイクル」や「学士号の質保証」とかいう「教育工学」的な用語が文科省が発令する文書の中に頻出するようになってきました。
工場で工業製品を製造するような仕方で教育過程全体が制度設計されるようになったのです。学生を工業製品に見立てるわけです。ですから、どういう素材を使って、どういう工程を経て、どういう製品が、いつまでの納期で、いくつ出来上がるか、その全工程が事前に開示されなければならないという話になった。
たしかに工業製品ならそれが当然だと思うんです。どういう原料を使って、どういう製法で、最終製品がどういう効用で、賞味期限はいつまでで...ということが開示されないような商品はマーケットが受けつけてくれませんから。でも、教育の場合、相手は生身の人間です。缶詰を作るようなわけにはゆきません。
危険だと思ったのは、学生たちに授業の最終目標をあらかじめ知らせてしまうと、あとはその工程をいかに楽に通過するかということを考えるようになることです。学習成果を「商品」、学習努力を「貨幣」だとみなすと、最少の「貨幣」で「商品」を手に入れようとする。それが消費者の義務ですから。学習成果が予示された場合には、学生たちは「いかに勉強しないで単位を取るか」ということに向けて最大限の努力をするようになる。
でも、それについては学生を責められないんです。彼らに向かって「生産性を上げろ」とか「費用対効果のよい生き方をしろ」とか「賢い消費者として行動しろ」と大人たちが言い続けてきたんですから。ですから、工学的なメタファーで教育を語るようになってから後、日本の子どもたちの学力が劇的に低下したのは当然なんです。
教育を語る時のワーディングの変化をもたらしたのは、産業構造の変化だったと思います。
農業が基幹産業だったときは、人間は「循環する時間」の中で生きていました。農業というのはそういうものですからね。収量が増えなければいけないとか、生産性が向上しなければいけないとか、そういうものじゃない。農業においては「Grow or die」なんて言葉は誰も口にしません。去年と同じ時期に、同じだけの農作物が収穫できたら「上出来」なんですから。同じことを毎年繰り返すことができたら「生き延びられる」。
ですから、農業が基幹産業であった時代には、人間も農作物と同じように植物的な時間の中で生きていた。日照時間に応じて作業の時間割を変え、季節の変化に従って仕事の内容を変える。
僕は1950年生まれですが、その当時だと日本の労働人口の50%が農業従事者でした。それ以後、農業従事者は急減するわけですけれども、それでも惰性がありますから、60年代の中頃までは、「ものをつくる」という時に、日本人はまず「農産物を育てる」ということを思い浮かべた。ですから、学校教育でも、長い間「子どもを育てる」というのは「農作物を育てる」ことの類比で理解されていました。
その頃、よく「学級通信」というものを教師が作成していて、ガリ版で刷って配ったり、手書きのものを教室の壁に貼り出したりしていましたが、その「学級通信」のタイトルがだいたい植物由来のものだった。「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とか「あすなろ」とか。そういうタイトルの選択は無意識なんです。
子どもたちを農作物と同じように、種を撒いて、水やりをして、肥料をやって、あとは天任せの生き物だというふうにとらえていた。お日さまの恵みと、大地の恵みと、慈雨の恵みで、秋になったら収穫が得られるけれど、それまではどんなものができあがるか誰にもわからない。農業というのは人間が工程管理できるものではないからです。いくら人間ががんばっても、日が照らない、雨が降らない、台風が来る、病虫害が襲う・・・いろいろな理由で収穫は失われる。だから、秋になって「何か」が土の中から生まれたら、それだけで喜ぶというかなりゆるやかなマインドだったと思います。
僕が子どもの頃は、茫洋としてとらえどころのない子については親や教師はしばしば「大器晩成」と言ってました。今はなんだかわからない子だけれども、そのうち大物になるかも知れない。そういう言葉づかいが選好されたのは、子どもの生育過程を完全に統御することはできないという涼しい無力感の現れだったと思います。
でも、農業が基幹産業である時代が終わって、工場での工業製品の製造が基幹産業になると、子育ても教育も「工場のメタファー」で語られるようになった。別に劇的な教育観の変化があったというわけじゃありません。ただ、「価値あるものを創り出す」というときにまず頭に浮かんでくるのが農作物ではなくて、自動車や冷蔵庫になったということです。かつては学校は農園だったわけですけれど、ある時期から学校は工場になった。
シラバスはまさに工業製品の規格を整えるためのものです。子どもたちを缶詰や乾電池のようなものだと思えば、規格通りの原料を整えて、工程を管理をして、仕様書通りの製品を、決まった納期までに製造することが最も重要になる。当たり前のことです。それが20世紀の終わり頃に教育現場で起きた「言葉づかいの変化」の理由だったと思います。
でも、第二次産業が基幹産業だった時代ももう終わってしまった。産業はさらに高次化してした。だから、今学校で使われている教育工学的比喩というのは、もう「時代遅れ」なんです。それは産業資本主義の時代の「遺物」なんですから。
20世紀の終わりに最も金が儲かる領域が「金融」になりました。ですから、今度は金融のワーディングで教育が語られるようになったのも当然なんです。
子どもたちに「ポートフォリオ」を作らせるというのはまさにその徴候です。子どもたちはもはや自動車やパソコンのようなものではなく、一種の「金融商品」として自分を把握するように仕向けられている。子ども自身が自分が受ける教育過程をコントロールして、自分の労働市場における価値を自分でかたちづくるべきだという話になってきた。いつ、どういう教育機関で、どういう知識や技能を身につけ、どういう資格や免状を得て、最終的にどういう職業に就いて、どれくらいの年収を得ることになるのか、それをできるだけ早い時期に自己決定して、無駄なく教育過程を終えることが奨励されている。
自分自身の教育過程について小学生の時に「プロセス・チャート」を作成させ、自分の商品としての市場価値は「ポートフォリオ」に記載される。それを子どもたちは小学校から大学を出るまでずっと持たされるのです。
こういう仕組みを制度設計した人はたぶん無意識にそういうことをしているのだと思いますけれど、この比喩のうちには「人間は金融商品のようなものだ」というその時代の集団的な思い込みが濃密に刻み込まれている。
でも、産業はさらに高次化しています。いま「価値あるもの」を創出しているのは、人工知能やバイオテクノロジーやロボット工学や仮想現実とかです。ですから、いずれそれらの産業で使用される語彙で教育を語る人たちが出てくるでしょう。
でも、そうやって、その時々の「金になる産業」をモデルに教育を語る習慣はもうやめるべきだと僕は思います。切りがありませんからね。それよりは数万年前からごく最近まで基幹産業であった農業の比喩をもう一度復権させるべきだと僕は思います。あらゆる人間的活動をもう一度農業の比喩で語り直すこと。それなしでは人間が生きてゆけない貴重なものを創り出す産業である農業をすべての社会活動の基礎モデルにすること。それがいま僕たちが生きている社会を根本的に見直す上ではとても有効ではないかと僕は思います。
(2022-03-30 10:02)