2021年の予言

2021-03-25 jeudi

『GQ』の先月号に2021年について予測を書いた。その前編。

 こういう時は「いいニュースと悪いニュースがあるけれど、どちらから聞きたい?」というのがハリウッド映画の定番ですよね。とりあえす悪い方の予言から。
 その1。東京五輪は開催されません。これはもうみんな思っているから「予言」にはなりませんけどね。日本国内でもコロナの感染者は増え続けていますけれど、アメリカは感染者数が2500万人、死者数も40万人を超えました。選手選考もできない状況です。考えてみてください、アメリカの選手団がこない東京五輪を。そんなものをNBCが放映するわけがない。アメリカがモスクワ五輪をボイコットした時もNBCは放映しませんでした。支払い済みの放映権料は保険でカバーできたから、今度もそうなると思います。
 五輪中止はもう組織委内部では既決事項だと思います。でも、誰も自分からは言い出せない。言った人間が袋叩きにされることが分かっているから。だから、IOCかあるいはWHOから開催中止要請があったら、それを受けて「外圧に屈してやむを得ず」と唇を噛んで中止を発表する。外圧の「被害者」という設定だから、五輪関係者は誰も責任を取らないで済む。メディアも一緒になって悔し涙にかきくれてみせる。一億総切歯扼腕というわけです。「捲土重来。もう一度東京で五輪を!」キャンペーンの企画書は電通がもう書き上げていると思います。これが予言の第一。
 悪い予測その二は天変地異。感染症専門医の岩田健太郎さんと対談したとき、コロナ禍でいちばん怖いのはなんですか? と聞いたら自然災害と重なることだということでした。台風とか地震とか火山の噴火とか天変地異があると被災者は避難所に集められます。狭い空間に大人数が詰め込まれる。衛生状態も悪いし、栄養も足りないし、ストレスもたまる。クラスター発生の条件が揃ってしまう。だから、いちばん怖いのは自然災害だということでした。
 自然災害はいつ起きるか予測不能です。僕が怖いのは富士山の噴火です。富士山、年末に冠雪してなかったでしょう? 山頂の地肌が出ていた。地熱が高くて雪が溶けているんだそうです。マグマが溜まっているらしい。
 コロナが終息しない段階で大きな自然災害が起こるというのが「最悪のシナリオ」ですけれども、いまの日本政府はそれに備えてリスクヘッジをしているでしょうか? 僕は何もしていないと思いますね。
 小松左京のSF小説『日本沈没』がいま読まれているそうですけれど、あの小説の読みどころは日本が沈没するというところじゃなくて、日本が沈没した場合にどうやって日本国民を救い、政体としての継続性を保つかの工夫に官民一体となって知恵を絞るところだったと思います。日本人にはそれができるだけの知力があるということが物語の前提になっていた。いま『日本沈没2021年』を出しても誰も読みませんよ。だって、政治家も役人も学者もみんながどうしていいかわからずにおろおろしているうちになすところなく日本は沈みましたという終わり方しかあり得ないんですから。金持ちと権力者だけは飛行機に乗って逃げ出しましたが、残りの金のない日本人はみな溺死しました、おしまい。そんなつまらない話、誰も読まないですよ。
 もう先進国ではコロナワクチンの接種が始まっていますけれど、日本はいつになるかわからない。年内にはなんとかなりそう・・・というようなニュースを見ても、もう誰も驚かないし、誰も怒らない。「先進国最下位」が日本の定位置だということにもうみんな慣れてきてしまったからです。政治家も官僚も先進国最低レベルだということにもう慣れてしまった。
 最近の若い人たちは自己肯定感が低いとよく言われますけれど、実は日本人全部がそうなんです。自己評価が信じられないくらいに下がっている。だから怒らない。怒れない。
 不出来な内閣がたった8年続いただけでこれだけ国民の自己評価は下がった。ものを創り出すのはたいへんですけれど、壊すのは簡単なんです。日本の国力がV字回復することは当分ないでしょう。というのが悪い予言のその三です。
 
 良い予測をします。その1は、学校教育でオンラインと対面がハイブリッドで併用されるようになるという予測です。朝起きて、「あ、寝坊して学校に間に合わないや」という時とか、なんか熱っぽくて学校に行く気力はないけれど、授業を聴くくらいはできるという場合には、ベッドに寝たままで携帯やiPadで聴講する。先生も朝起きて寝不足でつらいとか風邪気味とかいうときは「今日は体調が悪いのでうちからやらせてもらいます」とパジャマの上から掻い巻き羽織って授業をやる。そういうことができるようになったら授業がずいぶんカジュアルになって、教える方も教わる方もすごく楽になると思いますよ。
 凱風館の「寺子屋ゼミ」でも今季は対面とオンラインのハイブリッドです。聴講生はZOOM参加のほうが圧倒的に多い。凱風館まで来て受講するのはもう10人以下になりました。30人ぐらいは自宅からの聴講です。遠隔地の人もいるし、家で晩ご飯つくりながらとか、アイロンかけながらとか、「ながら」聴講の人もいる。体の弱い人、感染が怖い人、うちから出られない人でも、オンラインなら聴講できるし、発言できるし、ゼミ発表もできる。ゼミに参加するハードルがオンラインで一気に下がった。これは端的によいことだったと思います。海外の人も聴講できます。
 いままでは「海外に向けて学術情報を発信する」というとほぼ自動的に英語で発信というふうに考えられていましたが、京都精華大学の学長のウスビ・サコ先生に「そんなの日本語でやればいいじゃないの」と言われて、はっとしました。そうなんです。日本語でやればいいんです。日本語で大学レベルの授業が聞きたいという日本語話者・日本語学習者が世界中にいるんですから。
 マンガとかアニメとか音楽とか、日本の文化に興味を持ち、それがきっかけで日本語を習い出したという人は世界中にいます。でも、彼らには日本まで留学するだけの資金も時間的余裕もない。あるいは海外に長期留学や駐在していて、日本語で発信される質の高い学術的コンテンツに飢えている日本人もいる。そういう人たちのために、海外からでも簡単に受講できるシステムを設計すればずいぶんたくさん聴講生が集まると思うんです。そうやって日本の学術情報を世界に向けて発信することができたら、それこそ本当の意味での「グローバル化」ということだと思います。
 そうなると日本の言論の質も変わるかも知れません。いま韓国や中国のことをあしざまに罵る論客は日本にたくさんいますけれど、彼らは自分の書いていることは日本人だけしか読まないという前提で書いている。だから、あれだけ適当なことを断言できる。でも、「あなたの発言はすぐに自動翻訳されて、英語や中国語やハングルの字幕付きで同時配信されますけれどそれでもいいですね。話した内容について先方から名誉毀損で訴えられても知りませんよ」と念押しされたらどうするでしょうか。たぶん彼らの多くは「国内限定」の道を選ぶでしょう。自分の言説に国際共通性がないことを本人が知っているからです。
 言説の国際性というのは単に外国語で発信するということではありません。日本語で構わないんです。ただし、その代わりに世界中のどの言語圏の人が聴いても、理解できて得心してくれるように、きちんと論拠を示し、適切に推論し、情理を尽くして語らなければならない。それが国際共通性のある言説の条件です。そういう条件を課した場合、いま日本のメディアで発言している人の相当数は「国際共通性なし」と判定されることになるんじゃないかと思います。
 世界に向けて発信できる環境が整ったおかげでこれからは国際共通性のある知見を語る人とそうでない人の違いがはっきりと可視化される。それは日本国内の言論の質を向上させる上ではよいことだと思います。
 よく外国の事例をさも知ったような顔で紹介する「出羽守」というタイプの知識人がいますね。あの人たちもグローバル化によって淘汰されることになるでしょう。彼らもまた自分の言葉が論じられている当人には届かないことを前提で語っているからです。「中国人というのは、あれはね・・・」と断定的に言うけれど、それは中国人が読む可能性を勘定に入れていないからできることです。だから、私見をさも一般論のようにことごとしく語れる。そういうことができなくなる。
 この1年間で、日本人のコンピューター・リテラシーはずいぶん向上したと思います。1年前には考えられなかったくらいに自在にネットを利用して仕事をしている。
 僕だって、オンラインで授業して、会議して、対談して、インタビュー受けて、飲み会して・・・ということをしている。オンラインがデフォルトになったので、「みんなが集れる時間と場所」を調整する手間が省けました。時間だけ決めておけば、メンバーがどこにいても短時間だけミーティングして、情報共有して、決めることを決めて、即解散というやり方が可能になった。
 コロナのせいで、友だちと顔を合わせて、わいわい飲んで騒ぐという楽しみ方はできなくなりましたけれど、ものごとにはダークサイドもあればサニーサイドもあります。せっかくだからサニーサイドを探し出すようにしましょう。
 もうひとつ、よいニュースを予言しておきたいのですが、それについては次号で。