中国はこれからどうなるのか?

2021-01-22 vendredi

『月刊日本』の2021年2月号に中国についてのロングインタビューが掲載された。いつもの話だけれど、なかなかまとまっているので、掲載されたものの元になったロング・ヴァージョンをご高覧に供したい。

ーいまや中国は米国に次ぐ大国であり、その動向は世界の行方を左右します。現在の中国をどう見ていますか。

内田 まず抑えておくべきことは、中国といっても一枚岩ではないということです。僕たちはどうしても国家には首尾一貫した戦略があって、それを計画的に実行していると考えがちです。でも、実際には、どの国にも複数の政治勢力、政治的意見が併存していて、その時々の内外の環境に適応して、合意形成しているわけです。
 事情は中国も同じだと思います。今、中国は東アジアできわめて強権的にふるまっていますけれど、それは中国共産党が長期的な国家戦略を着々と実施しているというより、共産党内部の意見対立や権力闘争を含む様々な国内的なファクターの複合的な効果として出てきたもので、中国人の「一般意志」の発動だと見なすべきではないと思います。
 僕たちには中国共産党の政策決定プロセスが見えません。党内の力関係がどうなっているか、どういう異論を調整した結果、このような政策が決定されたのか、そのプロセスがわかりません。それでも、「中国は一枚岩ではない」という前提は抑えておくべきだと思います。

― 中国には伝統的に徳治の「王道」と、権力支配の「覇道」という概念があります。内田さんはコロナ危機を機に中国が医療支援を中心とする王道的な路線によってプレゼンスを拡大するのではないかと予測していましたが、実際には人権弾圧など覇道的な路線を続けています。

内田 中国共産党の中でも「王道路線」と「覇道路線」のどちらを採るべきかについて、意見の対立はあると思います。中国が本気でアメリカに代わる世界の指導的地位を目指すならば、強権で他国をねじ伏せる覇道路線よりも、仁徳で他国を従わせる王道路線の方が長期的には利益が多い。覇道路線は短期的には効果的ですが、歴史が教える通り、恐怖で人を支配する体制は長くは続きません。
 僕はパンデミックを機に中国は王道路線に軸足を移すと予測していました。トランプのアメリカがグローバル・リーダーシップを失って迷走している間に、潤沢な医療資源を活用して、世界各国に医療支援を行い、「君子」国として、国際社会における評価を高めるだろうと思っていました。どう考えても、軍備を増強したり、周辺国を恫喝するよりも、医療支援の方が、国威向上の費用対効果は高いからです。でも、香港や新疆ウイグルの情勢を見る限り、中国は全面的に王道路線を採用する気はなさそうです。
 なぜ、アメリカからグローバル・リーダーシップを奪還する上で圧倒的に効果的な王道路線を採らずに、あえて国際社会の敵意と警戒心を掻き立てるような強硬な覇道路線を選んだのか? 
 理由として第一に考えられるのは、習近平の政権基盤がそれほど盤石ではないということです。香港の民主派弾圧は「一罰百戒」効果をめざして行われています。党中央に逆らって、民主化や自治を求める者には絶対に譲歩しないという強い意志を示している。でも、それは逆から見ると、これほどあからさまに非妥協的な姿勢を示さないと国内の民主化や自治のうねりを抑え込めなくなっているという党中央の「焦り」の表れと見ることもできます。「辺境」において多少の民主化や自治を許容したくらいでは自分の政権基盤は揺るがないというほどの自信は習近平にはないということです。
 尖閣領土問題の棚上げを提案した鄧小平も、ロシアとの国境問題を解決した胡錦涛も、「寸土も譲らず」と言い立てる国内のナショナリストの声を抑えることができた。そういうことができるくらいに政権基盤が安定していたということです。つまり、中国が王道路線を採るか覇道路線を採るかの決定には、時の政権基盤の安定性が関与してくるということです。政権基盤が安定していれば、自国民に対しても、他国に対しても、寛容で融和的な態度をとることができるが、不安定であればそういう選択肢はなくなる。国内の反対派を暴力的に弾圧し、隣国には強硬な態度をとるしかない。王道路線の方が国際政治上効果的であることがわかっているにもかかわらず、習近平があえて覇道路線を採るとしたら、それは習近平の政権基盤がそれほど強くないということを意味しているのかも知れません。

― 中国の内部事情を推測するだけでは、中国の動きを正確に予測することは難しいと思います。

内田 中国について確実にわかっていることが一つあります。それは人口動態です。これは客観的なデータが出ている。中国は2020年に総人口が14億人を突破しましたが、2027年には人口増がピークアウトして、それから急激な少子高齢化に突入します。2040年までには生産年齢人口が1億人減少します。特に30歳以下では30%減少する。一方、65歳以上の高齢者は2040年には3億2500万人を超えます。中国の中央年齢は今はアメリカと同じ37.4歳ですが、2040年には48歳にまで上昇します。これは現在世界最高の日本の中央年齢(45.9歳)を上回る数字です。
 それに加えて、1979年から2015年まで行われた「一人っ子政策」の負の影響が大きい。この時期には、跡取り欲しさに女児を堕胎して男児を出産する傾向が強かったので、この世代では圧倒的に男性が多い。生涯配偶者を得ることができないまま老境に達する男性の数は数千万人と予想されています。この独身男性たちには配偶者がいない、子どももいない。一人っ子ですから、兄弟姉妹もいない。両親が一人っ子だった場合には、甥も姪も、おじおばも、いとこもいない。まったく天涯孤独な高齢者になるわけです。伝統的に中国社会では、親族ネットワークが国家に代わって困窮した親族を支援するという仕組みがありましたが、この親族ネットワークは「一人っ子政策」によって消滅しかけている。
 この独身男性高齢者たちの多くは低学歴、低職能者ですので自助を期待できません。でも、今の中国には貧しい高齢者を扶養する社会保障システムがない。仮に彼らが「棄民」された場合、飢餓に苦しむ老人たちが流民化するという悲劇的なシナリオもあり得ます。
 高齢化にはもう一つ別の問題もあります。それは国防予算の膨張です。どの国でも、国防予算の多くは軍人の人件費です(日本は45%、ドイツは57%、アメリカは20%が人件費です。中国はたぶん30~40%程度だと思われます)。現役軍人の給料は「軍備」の一部と見なせますが、退役軍人への恩給支出は国防力の増強とは関係がない。逆に、恩給の割合が増えるにつれて、兵器のヴァージョンアップやAI軍拡に投じることのできる予算の割合が減る。中国の国防予算は伸び続けていますが、軍人恩給が膨れ上がっていることもその一因なのです。
 今、米中両国の中央年齢は同じです。でも、アメリカが今の出生率を維持し、移民受け入れを続ければ、もうしばらくは分厚い生産年齢人口を持つ例外的な先進国であり続けることができます。これから人口が急減し、かつ高齢化を迎える中国に対して、アメリカは人口動態に限って言えば圧倒的優位を持つことになる。
 中国政府はもちろんこのリスクを承知しているはずです。ですから、中央年齢が米中イーブンである今が「勝負どころ」だと考えている。あと20年で、中国は高齢化と人口減少で苦しむ今の日本のようになる。それまでに「貯蓄」した分をそれから後は「取り崩して」生きることになる。だから、「獲れる力があるうちに獲れるだけ獲る」というワイルドな国家戦略を嫌でも採用せざるを得ない。じっくり手間ひまをかけて国際社会の信望を集めるという王道戦略を採っているだけの余裕がないのはそのせいだと思います。

― 中国の「持ち時間」は少ない。今のうちに何らかの対策を打とうとするはずです。

内田 中国はこれから人口動態的な制約によって「切れるカード」がしだいに少なくなります。だから、今のうちに「切れるカード」を集められるだけ集める必要がある。中国はまず国際社会に味方を増やそうとしています。さきほど言った医療外交がそうですし、「一帯一路」構想もそうです。今、中国が力を入れているのはアフリカです。これからあと22世紀まで人口が増え続けるアフリカは、中国にとってはマンパワーを潤沢に調達できる製造拠点でありかつ巨大なマーケットです。ですから中国はアフリカに必死に食い込もうとしている。
 経済援助や民間への投資だけではありません。中国はアフリカのいくつかの国では中央銀行の仕事まで代行しています。もともとアフリカ諸国では旧植民地宗主国の銀行が独立後も金融業を支配していたのですが、その欧州の銀行が次々と中国資本に買収されて、中国系の銀行が今では金融政策や通貨発行をコントロールしている。
 もう一つは文化政策です。中国は2000年代から世界中に孔子学院という文化機関を展開して、中国文化と中国語の普及を行っていますが、アフリカでは46か国に61カの孔子学院が設置されています。アフリカ各国に中国語ができて、中国文化に造詣の深いエリート層を形成しようという長期的な計画です。中国語をマスターした若者には、手厚い奨学制度が用意されていて、希望すれば中国の高等教育機関に留学ができる。欧米で高等教育を受けることができるのは、アフリカでは上流階級の子弟に限られますが、孔子学院で中国語を習って、中国政府の給費留学生になれば、それほど豊かでない家の子どもでも中国で高等教育を受けて学位を得ることができる。そうすれば母国に戻ってそれなりの地位に就ける。彼らは当然中国に対して親和的であり、中国人の友人知己もいる。そういう人たちがアフリカ各国の未来の指導層を形成するように中国は支援しているわけです。

― 中国はアフリカでは王道路線をとっている一方、アジアでは覇道路線をとっているようです。

内田 僕もそう思います。中国はアフリカや西アジアでは数十年スパンで味方を増やし、東アジアでは短期的に敵を潰すというふうに王道と覇道の切り替えをしているように見えます。長期戦略の王道路線では時間をかけて親中派を養成する。短期戦略の覇道路線では軍事的・経済的な実力差があるうちに獲れるだけのものを獲っておく。そして、2040年以降の「後退戦」を戦う段階になったら、それを小出しにする。そのための「譲歩の余地」や「負けしろ」を今のうちに稼いでいるのではないかと思います。
「一帯一路」構想は単なる経済政策ではなく、中央アジア、西アジア一帯をコントロールするための戦略だということを前にイスラーム法学者の中田考先生から伺いました。たしかにそう考えるといろいろつじつまが合う。ウイグル、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン・・・というエリアはイスラーム教スンナ派のテュルク系諸族の土地です。これからトルコが力をつけて東に影響力を拡大してきた場合、このエリアで「中華帝国」と「オスマン帝国」が接触することになります。中国にとって喫緊の課題はこのスンナ派テュルク族ベルトが統治上のリスクファクターにならないようにすることです。ですから、長期戦略としては王道的にこの地域に多額の投資をして、経済成長を支援して、スンナ派テュルク諸族を味方につける。短期的な覇道戦略としては、辺境の新疆ウイグルでのナショナリズムを暴力的に弾圧して、スンナ派テュルク族のクロスボーダーな連帯が中国領土に入ることを許さない。そういう二面的な戦略なのだと思います。

― 内田さんは中華帝国の世界観(コスモロジー)からも中国の動きを読み解いています。

内田 華夷秩序コスモロジーにおいては、世界の中心(中原)に天命をうけた中華皇帝がいる。そこから同心円的に「王化の光」が広がり、その光が及ぶところが「王土」であり、光が届かない薄暗い辺境には「化外の地」が広がっている。そこには禽獣に類する「化外の民」が蟠踞している。「化外の地」である辺境は中華皇帝が実効支配しているわけではありません。でも、そこに住む者たちは皇帝に朝貢し、見返りに皇帝から官位爵位を受けています。だから、辺境の地は名目上は中国の属邦であり、事実上は辺境の王が支配する自治区であるわけです。「一国二制度」というのは華夷秩序コスモロジーにおいてはもともと辺境の本来的なあり方だったのです。皇帝の力が強い時は中原も辺境も治まっていますが、皇帝の力が弱まると、謀反が起きたり、辺境の蛮族が中央に攻め込んできて、天命が革まって別姓の皇帝が新王朝を開く・・・という「易姓革命」が行われる。 
 皇帝と人民、中原と辺境はつねに緊張関係にあるわけです。だから、皇帝はつねに革命の可能性を警戒して、国民を猜疑のまなざしで監視するし、人民の側も皇帝や彼の官僚たちを信用しない。国民が政府にではなく、より小さな公共である親族ネットワークや郷党コミュニティなどの相互扶助的な中間団体に頼って生きてきたのは国家と人民の間にはつねにそういう緊張関係があったからです。
 現在、中国政府は世界最先端のIT技術を駆使して国民を監視していますが、これも伝統的な王と臣民の緊張関係を考えれば当然のことで、今に始まった話じゃない。すでに何年も前から中国では国家予算のうちの治安維持費は国防費を上回っていますが、それは中国政府が外敵の侵入を警戒する以上の警戒心を以て国民を監視しているということを意味しています。
 日本政府もあれこれと国民の個人情報を集めようとしていますけれど、マイナンバーのような効率の悪い制度設計ではまるで機能していない。それはそうです。税金の取りはぐれがないように国民監視するというようなゆるいインセンティブと、内戦や武装蜂起のリスクを回避するために国民監視するというのでは必死さが違います。

― 皇帝と辺境の関係はどうですか。

内田 華夷秩序における辺境は「化外の地」ですから、中国の領土なのか、そうではないのかがはっきりしない。かつての沖縄や朝鮮半島のような帰属のはっきりしないエリアが辺境には広がっている。中央のハードパワーが弱まると辺境の人々は皇帝への服属を止めて独立しようとするか、あるいは中原に攻め込んで自分たちの王朝を立てようとする。モンゴル族の元朝や女真族の金朝や満州族の清朝がその例です。明朝を滅ぼして、後陽成天皇を中華皇帝に頂いて、新しい日本族の王朝を立てようとした豊臣秀吉の考え方も辺境人としては当たり前のものだったわけです。
 中国は香港の民主化運動を弾圧していますが、これは香港という辺境を実効支配するのか、それとも現地の人たちの自治に任せるのか、直接支配か一国二制度か、その選択の問題です。
中国には55の少数民族がいます。「少数」といってもあくまで漢民族に対して少数ということであって、雲南に住むチワン族は1900万人、西域のウイグル族は1100万人、回族は1000万人ですから、規模としてはほとんど世界各地の国民国家と変わらない。少数民族が中央に朝貢し、形式的に服属する限り、中央政府は彼らに一定の自治を認めるけれども、民族独立をめざして「ここは中華皇帝の権力が及ばない土地だ」と宣言しようとすると暴力的に弾圧する。その華夷秩序の統治原理は昔から変わっていません。中国が香港を弾圧するのは、ここで香港の独立を許してしまうと、自治権拡大運動がそれ以外の辺境各地に飛び火するリスクがあると考えているからでしょう。

― 皇帝は国民と辺境を恐れいている。

内田 僕は2007年に『街場の中国論』(ミシマ社)という本出版しました。しばらくして中国の出版社から翻訳のオファーがあったのですが、その際、先方から条件が出されて、それは「文化大革命と少数民族について書いた章はカットさせてほしい」ということでした。結局、そういう条件での翻訳は困るということで、お断りしたのですが、中国では「漢民族同士の内戦」と「辺境の独立」という二つのストーリーが最大の政治的タブーなのだということが分かりました。

― 日本は建国以来、中国とどう付き合うかという問題に頭を悩ませてきました。改めて日本は中国とどう向き合うべきですか。

内田 大事なのは華夷秩序のコスモロジーを理解することだと思います。中国は伝統的に「西」を目指してきました。漢代には張騫、李陵、霍去病らの将軍たちが数十万の大軍を率いて何度も西征しました。彼らがたどった道筋は今の一帯一路の「シルクロード経済ベルト」のコースとそのまま重なります。「21世紀海洋シルクロード」のコースの方は明代の鄭和の大艦隊がたどった航路とほぼ同じです。鄭和は泉州を出て、南シナ海からマラッカ海峡を抜けて、インド洋を通って、アラビア半島を経由して東アフリカに向かった。つまり、中国人には陸路をまっすぐ西に向かうか、海路をいったん南に下ってから西へ向かうというGo Westという基本的な趨向性があるということです。
 その一方で、中国人は「東」にはほとんど興味を示さない。僕たちが知っている事例はせいぜい秦代に始皇帝の命をうけた徐福が不老不死の薬に東海に旅立ったくらいです。でも、これも変な話で、海路でわずか数日あれば日本列島にはたどりつけるはずなのに、中国人は「東海へ船出する」ということをなんだかはるか遠い「ミステリー・ゾーン」に向かう旅のように思いなしていた。現に、鄭和の大艦隊は7回も航海に出て、東アジア全域に明の国力を誇示したのに、一度も東へ向かっていないのです。1回くらいはちょっと遠回りしても、日本列島に立ち寄って、沖合から大艦隊の威容を見せつけて、日本人をびびらせるくらいのことはしてもいいはずなんですけれど、それをしなかった。
 中国軍が東海に来たのは元寇だけですけれど、来たのは漢民族ではなくモンゴル族です。漢民族は日本列島に領土的野心を示したことが過去にないのです。663年に白村江の戦いがありました。日本は唐・新羅連合軍に歴史的大敗を喫しました。当然、このあと唐は日本列島に攻め寄せるだろうと日本人は考えた。何しろその時点で東アジアで唐に帰属していなかったのは日本だけなんですから。日本を潰せば、それで東アジア全域が唐の支配下に入る。だから、必ず日本に攻めて来ると思って、日本人は防人の制を整え、大宰府に水城を建設し、防衛のために内陸の大津京に遷都しました。でも、なぜか唐は攻めてこなかった。結局、しばらくして遣唐使をそっと送り出したら、これまで通りふつうに処遇してくれた。それで唐が攻めてくるという話は立ち消えになった。
 歴史家は「ある出来事がなぜ起きたか?」については説明してくれますけれど、「起きてもよかったのに起きなかった出来事はなぜ起きなかったのか?」という問いには興味を示しません。でも、僕はむしろそちらの方に興味がある。なぜ唐は日本列島に攻め込まなかったのか? 僕はそれを「東海」への関心の低さのせいだと思います。朝鮮半島までは「東夷」征伐に何度も行ったけれども、そこから海を渡ってさらに東海に船出するのは何となく気が乗らなかった。どうしてもその気にならない。そういうことってあると思うんです。現に、習近平は「一帯一路」で示した「西へ」というアイディアには国民が熱狂するが、「西太平洋の制覇」を目標に掲げても、国民はそれほどには熱狂しないことは直感的にわかっていた。漢民族をスケールの大きな構想でまとめ上げようとしたら「西へ」しかない。そういう民族心理は地政学とは別のレベルで働いているんです。

― しかし今の中国は東シナ海に進出して尖閣諸島を脅かしています。中国は第一・第二・第三列島線を設定して西太平洋を支配下に置くという海洋戦略があると言われています。

内田 中国は尖閣にそれほどの興味は持っていないと思います。日本が「尖閣は日本領土だ」と言うから「違う」と言っているだけで。漢民族にとって辺境というのは「誰に帰属するのかよくわからない土地」のことなんです。だから、鄧小平の「誰に帰属するのかよくわからない土地は、わからないままにしておこう」とい「棚上げ論」が出てくる。それが華夷秩序では「ふつう」だから。
 カール・シュミットの「陸の国、海の国」という分類法がありますけれど、それで言えば中国は本質的に大陸国家です。海軍を増強して、太平洋の制海権を持つことが地政学的に有用であることはもちろん理屈では分かっているでしょうけれども、民族心理的にはそれほど優先順位の高い国家的課題とは思われていない。

― 日本はアメリカと連携して中国に対抗する方向に進んでいますが、それは逆効果になるリスクがある。

内田 日米同盟一辺倒では東アジアの安全保障は立ちゆきません。韓国、台湾、香港、ASEAN諸国との連携を深め、日米同盟以外の外交基軸も追求しておくべきです。忘れてはならないのは、台湾、香港、シンガポールは当然として、アジア諸国ではどこでも同じ言語を語り、同じ生活文化を共有する漢民族のネットワークが存在して、政策決定に大きな影響力を行使しているということです。彼ら漢民族は一種の運命共同体を形成しています。国民国家の間で国益が対立していても、国境を越えて漢民族同士にはある種の連帯感が存在する。だから、東アジア諸国の対中国外交は複雑なものになるんだと思います。

― 内田さんの著書『日本辺境論』(新潮新書)は中国共産党の中央規律委員会の推薦図書(幹部必読書)にも指定されていますが、日本は「辺境」としての強みを生かすべきだと思います。

内田 日本は久しく中華帝国の辺境でした。「日本」という国号自体「中国から見て東」という意味なんですから。それほど深く華夷秩序コスモロジーは日本人に内面化している。秀吉の朝鮮出兵も、大日本帝国の満州建国や日中戦争も「辺境民が中原に鹿を逐う」というスキームの中の出来事です。それを指摘する人が日本にはあまりいませんけれど、中国人から見ると僕の言っていることは「当たり前」なんだです。「当たり前のことを書いている珍しい日本人がいる」というので推薦図書になったんじゃないですか。
 華夷秩序のコスモロジーは東アジア全域に共通するものです。韓国も台湾もベトナムも辺境です。だから、辺境同士では話が通じる。僕は大国中国に対抗するために、日韓台の「合従」による東アジア共同体を提案していますが、韓国でも台湾でも「合従連衡」と言えば誰でもその意味するところがわかる。これが文化的同質性の強みです。
 これまで欧米の政治学者が書いた中国についてのレポートをたくさん読んできましたけれど、華夷秩序コスモロジーが東アジアの人々の思想と行動にどう影響しているかを論じたものは寡聞にして読んだ覚えがありません。だから、本来なら日本人は中国の内在的論理を欧米の政治学者よりはよく理解できるはずなのです。でも、そのアドバンテージを活用しているようには見えない。
 とはいえ、東アジアにおける華夷秩序コスモロジーも実は弱まりつつあるのかも知れません。原因の一つは漢字文化圏の衰退です。遣唐使の時代から戦前まで、大陸でも朝鮮半島でも台湾でも、どこでも知識人同士なら筆談で質の高いコミュニケーションができた。しかし戦後、中国は漢字を簡体字に改め、韓国は漢字を捨て、日本は漢文教育を軽視した。このままなら遠からずクロスボーダーな漢字文化圏は消滅するでしょう。僕は漢字文化圏の再構築が東アジアに平和と安定をもたらすために非常に有用だと思っていますけれど、なかなか共感してくださる人がいないのです。

(12月30日インタビュー、聞き手・構成 杉原悠人)