東京バレエ団が三島由紀夫没後50年を記念して、モーリス・ベジャール振付、黛敏郎作曲の『M』を上演した。公式パンフレットに寄稿を依頼されたのでDVDで最初の公演の映像を見て、次のような文章を寄せた。
三島由紀夫は「三島由紀夫」というヴァーチャル・キャラクターをきわめて精密に彫琢したことで作家として奇跡的な成功を収めた。
もちろん、どんな作家も、程度の差はあれ、謎めいた「虚像」を読者の前に掲げることでその作品の魅力を上積みしている。別に作家自身が仕掛けなくても、読者や批評家たちが進んで「虚像」を作り込んでくれる。それは作家が凡庸で世俗的な人物であるよりミステリアスな存在である方が読者の快楽が強化されるからである。作家にいくつもの相貌があり、いくつもの地層があることを私たちは読者として素朴に願う。だから批評家たちの主務は「この作家は諸君の知らない一面を隠し持ち、諸君が気づかぬ屈託や欲望を抱え込み、諸君が見落としているメッセージをひそかに発信している」という仮説を提示することになるのである。それは「謎解き」というよりはむしろ「謎をふやす」ことに等しい。批評家の仕事は実はそれなのである。それが作品の魅力を増し、読者を引き寄せ、出版社の売り上げに結びつく限り、作家と批評家はある種の「共犯」関係にあると言ってよい。
三島由紀夫の独自性はそのような共犯関係を峻拒したことにある。三島由紀夫は批評家や読者によって「謎解き」をされることも、作家の許可なしに勝手に「謎を加算されること」も、どちらも拒絶した。その拒絶の仕方はまったく独特のものだった。
彼は自分にまつわるすべての「謎」を最初から自作したのである。これから先、彼の死後も、自分に関して「解かれたり、付加されたりする」であろうすべての「謎」を批評家に先立って網羅的にカタログ化し、それを「決定版」として残そうとしたのである。
よくこんな不思議なことを思いつくものである。それは三島の作家的矜持のなせるわざであったと同時に彼の超絶的な知性が切望したものだったと思う。「そのようなことをなしうる作家は文学史上私以外にいない」という圧倒的な自負が三島由紀夫を「三島由紀夫を造形する作業」に駆り立てたのだ。
『仮面の告白』について三島自身はこう書いて、自らのテクスト戦略を明かしてみせた。
「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の藝術家の自畫像』を書いた。私がこの小説を書かうとしたのは、その反對の欲求からである。この小説では、『書く人』としての私が完全に捨象される。作家は作品に登場しない。しかしここに書かれたやうな生活は、藝術の支柱がなかったら、またたくひまに崩壊する性質のものである。従ってこの小説の中の凡てが事實に基づいてゐるとしても、藝術家としての生活が書かれてゐない以上、すべては完全な仮構であり、存在しえないものである。私は完全な告白のフィクションを創らうと考へた。」(「『仮面の告白』ノート」)
「『書く人』としての私」とは実在の平岡公威のことである。彼はそれが「完全に捨象される」ような私小説を書くことで、その小説の作家として作品のあとに登場してくる三島由紀夫という、「完全な仮構」「存在しえないもの」を虚空のうちに造形したのである。
わかりにくい話で申し訳がないが、そんな変なことを考えて実践した作家は三島以前にも以後にもいないのだから、話がわかりにくくなるのは仕方がない。
作家は作品の前にいるのではなく、作品の後に、事後的に、仮構された起源としてはじめて登場してくるという知見自体は三島の創見ではない。モーリス・ブランショはこう書いている。「作家はその作品によってはじめて自己を見出し、自己を実現する。作品以前に作家は自分が誰であるかを知らないばかり、存在しさえしないのだ。彼は作品に基づいてしか存在しない。」(『文学と死ぬ権利』)
三島由紀夫はその作品が書かれる前には存在しなかった。平岡公威は三島由紀夫に命を吹き込み、三島由紀夫という作家に「作品の起源」の座を譲るという仕方で姿を消した。後に残されたのは三島由紀夫という「あたかも全作品の創造主であるかのように仮構された被造物」である。三島由紀夫についてのすべての「謎」もまた「三島由紀夫の謎」として計画的に製作されたものなのである。作品だけでなく、彼が造型した肉体にも、写真や映像にも、政治的行動にも、三島由紀夫の日常生活の挙措のすべてに、目を凝らして見れば「製造元・三島由紀夫 不許複製」という刻印が押されている。それはもはや「書く人」のいない完全な虚構であり、それゆえ完全な芸術だったのである。
だから、三島由紀夫の全生涯をいくつかの特権的な図像的主題に凝集させてバレエ作品に仕上げるというモーリス・ベジャールの仕事も、三島の生涯をいくつかの特徴的な音楽的主題にとりまとめるという黛敏郎の仕事も、二人のクリエイターに「これは三島という巨大な存在を切り縮めることにはならないだろうか?」という不安をもたらすことはなかったと思う。むしろ、これは二人にとって心楽しい作業だったはずである。それは「三島由紀夫という主題」を選定して、いくつかの特権的な主題や言葉や図像にとりまとめ、「これが三島由紀夫だ 決定版」カタログをあらかじめ作り置きしておいたのは作家自身だったからである。
ベジャールも黛も、「三島が作り置きした三島由紀夫についての物語」に忠実に準拠してそれぞれの作品を創り上げた。この仕事は「死せる三島と共同作業をしている」という高揚感を彼らにもたらしたはずである。そして、それこそが三島由紀夫からの後世への気前の良い贈り物に他ならなかったのである。
モーリス・ベジャールはみずから解題して、「M」は「謎(mystère)のM」だと語った。「Mが何を意味するかは誰も知りません。ですから、ひとりひとりの観客は物語の意味を、自分にとっての神話(mythologie)を自分自身で見出さなければなりません。」
ベジャールはにこやかにこう語った。このような言葉は「『M』を見た観客たちは物語の意味を、自分にとっての神話を必ず見出し得るであろう」という自信なしには出てこない。ベジャールが自信を持っているのは、自分が独特の三島解釈を下したわけではなく、三島自身が手ずから創り上げた「三島解釈」に忠実に従って振り付けたことに確信があるからである。そうである以上、仮に三島由紀夫が冥界から甦ってこの舞台を見ても、きっと深く満足して破顔一笑するに違いないという自信がベジャールにはあった。
死んだあとでさえ、三島由紀夫については、誰にも謎解きすることも、謎を付加することも許さない。その死せる作家の強烈な意志がこの舞台をすみずみまで貫いている。そのような法外な意志を死後半世紀のちにまで貫きとおすことのできた作家を私は文学史上三島由紀夫の他に知らない。
(2020-10-25 08:08)