みなさん、こんにちは。内田樹です。
今回は『GQ JAPAN』に連載中のエッセイを単行本化しました。
この連載は、毎月いろいろなテーマについて担当編集者の今尾直樹さんからご質問を頂いて、それに僕が答えるという結構のものです。もうずいぶん長く続いています。前に一度、2016年に、自由国民社から『内田樹の生存戦略』というタイトルでまとめて単行本にしてもらいました。今回はそれ以後に寄稿したものを文藝春秋から出してもらうことになりました。
ご存じの方はご存じでしょうが、『GQ』って、すごくお洒落な雑誌なんです。なにしろ『VOGUE』の姉妹誌なんですからね。広告頁の時計とか服とか鞄とか車とかのブランドは、僕のような野暮な人間は生まれ変わってもご縁がないだろうと思われるものばかりです。でも、なぜか、その鈴木正文編集長は僕の反時代的な書きものが気に入ってくださって、もうずいぶん長いこと『GQ』でコラムを書き続けています。
コラムはかなり変わった作り方で、担当の今尾さんと鈴木編集長が神戸のわが家までいらしてくださって、お茶飲みながらおしゃべりをするのです。そして、今尾さんが用意してきたいくつか質問にその場で答える(素材が足りないときは、僕に会いに来る前に周りの人に「これからウチダさんに会うんだけど、なんか聞きたいことない? なんでもいいよ~」と言って集めてきたんじゃないかと思います。だからけっこう個人的な質問が多いです)。
その質問に僕と鈴木編集長が二人で答える。
そうなんです。二人で答えるんです。
だいたいいつも鈴木編集長が質問を聞いて、快刀乱麻のばっさり回答をする。それを聞いた僕が面白がって、負けじとさらに暴走的回答をする・・・というやり方で質問とぜんぜん関係ない方向に話が逸脱してしまいます。それを全部録音しておいて、今尾さんが鈴木さんの発言部分を抜いて、僕がした話だけ残して文字起こしする。それを僕が原形をとどめぬまでにリタッチして出来上がり、というプロセスです。
鈴木編集長の話にインスパイアされてその場で思いついて話したことが多いので、こうやってゲラになったものを読み返してみると、どうして「こんなこと」を言ったのか、よくわからないことも書かれていますが、「僕ならいかにも言いそうなこと」なので、そのまま採録しております。
トピックは政治経済から結婚や読書の感想まで多岐にわたっています。一回分全部を使って答える大ネタもあれば、にべもなく数行で回答しておしまいというものもあります。
タイトルは最終的に「コモンの再生」としました。
最初は違うタイトル案が提示されたのですけれど、全体を通して僕が一番言いたかったことは、やはり「それ」かなと思って、これにしました。
「コモン(common)」というのは形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですけれど、名詞としては、「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」のことです。
昔はヨーロッパでも、日本でも、村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。それを村人たちは共同で管理した。草原で牧畜したり、森の果樹やキノコを採取したり、湖や川で魚を採ったりしたのです。
ですから、コモンの管理のためには、「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になります。
コモンの価値というのは、そこが生み出すものの市場価値の算術的総和には尽くされません。そこで草を食べて育った牛の肉とか、採れた果実やキノコや、あるいは釣れた魚の市場価値を足したものがコモンの生み出す価値のすべてであるわけではありません。それよりはむしろ、「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りできる主体を立ち上げること、それ自体のうちにコモンの価値はあったのだと思います。
わかりにくい言い方をしてすみません。ちょっと問いの立て方を変えます。
「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りをする主体とは「誰」のことでしょう?
それは「私たち」です。そうですよね?「私たちの共有するこのコモンを、私たちでたいせつにしてゆきましょう」という言明を発することのできる主体は「私たち」です。つまり、コモンの価値は、「私たち」という共同主観的な存在を立ち上げることにあった。「私たち」という語に、固有の重みと手応えを与えるための装置としてコモンは存在した。そう僕は思います。
資本主義的に考えたら、別に土地なんか共有しなくてもいいわけです。というか、共有しない方がいい。共有して、共同管理するのなんて、手間暇がかかるばかりですから。使い方についてだって、いちいち集団的な合意形成が必要です。みんなが同意してくれないと、使い方を変えることもできない。
そういうのが面倒だと言う人が「共有しているから使い勝手が悪いんだよ。それよりは、みんなで均等に分割して、それぞれが好きに使ってもいいということにしよう」と言い出した。
実際に英国で近代になって起きた「囲い込み(enclosure)」というのは、この「コモンの私有化」のことでした。それが英国全土で起きた。その結果、私有地については、土地の生産性は上がりました。まあ、そうですよね。「オレの土地」なわけですから、必死に耕して、必死に作物を栽培し、費用対効果の高い使用法を工夫した。
資本主義的にはそれで正解だったんです。
でも、それと引き換えに、「私たち」と名乗る共同主観的な主体が消滅した。
もともと共同幻想だったんですから、「そんなもの」消えても別に誰も困るまいと思った。ただ、気が付いたら、村落共同体というものが消滅してしまっていた。みんなが自分の金儲けに夢中になっているうちに、それまで集団的に共有し、維持していた祭礼や儀式や伝統芸能や生活文化が消えてしまった。相互扶助の仕組みもなくなってしまった。
そのうち、生産性の高い農業へのシフトに失敗した自営農たちが土地を失って、小作農に転落し、あるいは都市プロレタリアとなって流民化した。そうやって英国における農業革命、産業革命は達成されたのでした。資本主義的には、それで「めでたし・めでたし」なのですが、ともかくそのようにしてコモンは消滅した。
その後、「鉄鎖の他に失うべきものを持たない」都市プロレタリアの惨状を見るに見かねたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって「コモンの再生」が提言されることになりました。それが「共同体主義」すなわち「コミュニズム」です。
「共産主義」という訳語だと、僕たちにはぴんと来ません(日常生活に「共産」なんて普通名詞がありませんからね)。けれども、マルクスたちが「コミュニズム(Communism)」という術語を選んだ時に念頭にあったのは、抽象的な概念ではなく、英国の「コモン」、フランスやイタリアの「コミューン(Commune)」という歴史的に実在した制度だったのです。
ですからもし、最初にマルクスを訳した人たちが「コミュニズム」を「共有主義」とか「共同体主義」とか「意訳」してくれたら、それから後の日本の左翼の歴史もちょっとは相貌が違っていたかも知れません。
僕がこの本で訴えている「コモンの再生」は、思想的には「囲い込み」に対するマルクスの「万国のプロレタリア、団結せよ」というアピールと軌を一にするものです。グローバル資本主義末期における、市民の原子化・砂粒化、血縁・地縁共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために、もう一度「私たち」を基礎づけようというのです。
ただ、僕はマルクスほどにスケールの大きいことを考えてはいません。僕が再生をめざしているコモンはずいぶんこじんまりしたです。かつて村落共同体が共有した草原や森、あるいはコミューンを構成していた教会と広場とか、その程度の規模のものです。いわば「ご近所」共同体です。
そんな構想にいまどき歴史的緊急性があるのかどうか。それについては最後まで読んでからご判断ください。
ではまた「あとがき」でお会いしましょう。
(2020-07-20 15:20)