トランプとミリシア

2020-07-05 dimanche

 ミネアポリスから始まった人種差別と警察暴力への抗議運動Black Lives Matter(「黒人の命を軽んじるな」)は全米に広がり、収束への道筋が見えない。震源地であったミネアポリスではついに警察署が解体されて、新たな公安組織が再建されることになった。それほどまでに市民の警察暴力に対する怒りと不信は根深い。
 本来なら治安回復の責任を負うべきトランプ大統領が騒乱の火に油を注いだ。抗議者たちに対話的な姿勢を示すどころか、デモの背後にはテロ組織があるという不確かな情報をSNSで発信して、FBIから「そんな事実はない」と否定され、さらにデモ隊鎮圧のために連邦軍の投入も辞さずという強硬姿勢を示したことについては、米軍の元高官たちが次々と異議を申し立てた。マティス前国防長官は大統領を「私が知る限り、国民を統合するより分断しようとする最初の大統領だ」と批判し、パウエル元国務長官も「大統領は憲法を逸脱している」として、秋の大統領選では民主党候補に投票する意思を示した。
 日本では自衛隊の元高官が現職総理大臣の政治姿勢や憲法違反を批判するということはまず起こらない。たぶん日本人の多くは世界中どこでもそうだと思っているだろう。でも、現に同盟国の米国では「日本では起こり得ないこと」が起きている。なぜ、そんなことが米国では起きるのか。
 それは米国の陸軍が憲法上の規定では常備軍ではなく、市民によって編制された義勇軍だとされているからである。建国の父たちが憲法に書き込んだその規定は今も生きている。
 合衆国憲法8条12項は連邦議会に「陸軍を召集(raise)し維持する(support)」権限を付与しているが、その後に重大な但し書きが付してある。「この目的のための歳出の承認は2年を超える期間にわたってはならない。」つまり、米陸軍は必要がある度に召集されるものであって、常備軍ではない、そう合衆国憲法は定めているのである(海軍について歳出の期限が定められていないのは、おそらく長期にわたる集中的な訓練をしないと帆船が動かせないという技術的な事情があったからだろう)。
 独立戦争の時、英国軍は国王の命令一下ためらわず同胞である植民地人民に銃を向けた。その悔しさと痛みを建国の父たちは骨身にしみて知っていた。だから、合衆国連邦軍については「決して市民には銃を向けない」ということを第一原理としたのである。それを実現するためには、職業軍人たちに「何があっても市民に銃を向けない」と誓言させるよりも、「武装した市民を以て連邦軍を編制する」ことの方が確実だった。だから、それ以後100年以上にわたって、陸軍は必要があれば、そのつど召集に応じる武装市民(militia)によって編成されてきた。
 ミリシアがどういうものかを知る印象的な例を一つ挙げる。南北戦争の頃、ドイツからの移民にヨーゼフ・ヴァイデマイヤーという人がいた。彼は『新ライン新聞』以来のマルクス=エンゲルスの同志で、米国最初のマルクス主義組織アメリカ労働者同盟の創立者だった。彼はリンカーンの奴隷解放の大義に賛同し、ドイツ移民たちを糾合して義勇軍を組織し、北軍大佐としてセントルイス攻防戦を指揮した。戦争が終わると再び政治活動に戻り、ロンドンの第一インターナショナルと連携して、米国における労働運動の組織化に努めた。
 ヴァイデマイヤーに見られるような「自立した市民が、市民としての義務を果たすために戦う」というありようはたぶん日本人にはうまく理解できないと思う。それはミリシアのようなものが日本に存在しないからである。
 もちろん今の米軍は誰が見ても常備軍である。いつの間にか、そのようなものに変質したのである。けれども建国の父たちが憲法に託した倫理的な「しばり」はまだ生きている。だから、軍人たちは自分たちが「武装した市民」であって、「権力者の私兵」ではないということを時々思い出すことができるのである。