「そのうちなんとかなるだろう」あとがき

2019-07-11 jeudi

あとがき

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 今回はなんと「自叙伝」です。もうそんなものを書くような年齢になったんですね。
 前に『内田樹による内田樹』(140B、2013/文春文庫、2017)という本で自著の解説ということをしたことがあります。その時も、企画を持ち込まれて、自分の著作について通史的に解説ができるくらい本を書いたのか・・・と驚きましたが、今回はいよいよ「私の履歴書」です。そういうのはだいたい「功成り名遂げた」人が「ははは、わしも若い頃はずいぶん苦労もしたし、やんちゃもしたもんだよ」と縁側で渋茶を啜りながら語るもので、僕にはまだまだ縁遠いものだと思っていました。
 最初にこの企画を持ち込んだのは NewsPicks というウェブマガジンです。半生を回顧するロング・インタビューをしたいと言ってきました。そう聞いたときは驚きましたけれど、よく考えてみれば僕も齢古希に近く、もう父も母も兄も亡くなり、親しい友人たちも次々と鬼籍に入る年回りになったわけですから「古老から生きているうちに話を聞いておこう」という企画が出てきてもおかしくはありません。
 というわけで、このロング・インタビューでは年少の聴き手相手に「あんたら若い人は知らんじゃろうが、昔の日本ではのう・・・」と遠い目をして思い出話を語る古老のスタンスを採用してみました。1960年代の中学生高校生が何を考え、どんな暮らしをしていたのかについては、同世代の作家たち(村上春樹、橋本治、関川夏央、浅田次郎などのみなさん)が貴重な文学的証言を残しておられますけれど、それらはやはりフィクションとしての磨きがかかっていまして、実相はもっと泥臭く、カオティックで、支離滅裂です。あの時代について、これから若い人たちが何か調べようとしたときに、少しでも「時代の空気」を知る上で役に立つ証言ができればいいかなと思って、インタビューではお話をしました。
 そう言えば、僕よりちょっと年長だと、椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』(小学館文庫)がありますね。これは1950年代末の「時代の空気」についてのとても貴重な記録だったと思います(これに類するものを僕は他に知りません)。本書も椎名さんより少し年下の人間が書いた60年代終わり頃の『哀愁の町』のようなものと思って読んで頂けたらうれしいです。

 NewsPicks のロング・インタビューがネットに上げられてしばらくしてから、マガジンハウスの編集者の広瀬さんから「単行本にしたい」というオッファーがありました。インタビューだけでは分量が足りないので、かなり加筆する必要があります。そこで、家のパソコンのハードディスクをサルベージして、「昔の話」をしている原稿を探し出し、それを切り貼りして、もとの原稿を膨らませることにしました。日比谷高校の頃の友人たちについて書いた二編のエッセイもそのときに掘り起こしたものです。これは広瀬さんが一読して、これだけ独立したコラムとして本文中に配分しましょうと提案してきたので、そういうかたちになりました。

 編集されたものを改めて通読してみて思ったことは、最後の方にも自分で書いてましたけれど、僕って「人生の分岐点」がまるでない人間なんだということでした。
 あのとき「あっちの道」に行っていたら、ずいぶん僕の人生が変わっていただろうなあ・・・という気がさっぱりしないのです。仮想的には、いろいろな「自分」があり得るわけです。東大を落ちて早稲田に行った自分、大学院を落ちてアーバンの専従になっていた自分、就職が決まらなくて(やっぱりアーバンに戻って)編集の仕事をするようになった自分、神戸女学院大学じゃない大学に採用された自分、別の女の人と結婚していた自分・・・いろいろな岐路があり得たわけですけれど、どの道を行っても、この年になったら、やっぱりいまの自分の「瓜二つ」の人間になっていたんじゃないかという気がします(なったことがないので、あくまで「気がする」だけですけれど)。
「自分らしさ」という言葉が僕はあまり好きじゃないのですが、それでもやはり「自分らしさ」というのはあると思います。ただ、それはまなじりを決して「自分らしく生きるぞ」と力んで創り出したり、「自分探しの旅」に出かけて発見するようなものじゃない。ふつうに「なんとなくやりたいこと」をやり、「なんとなくやりたくないこと」を避けて過ごして来たら、晩年に至って、「結局、どの道を行っても、今の自分と瓜二つの人間になっていたんだろうなあ」という感懐を抱く・・・というかたちで身に浸みるものではないかと思います。

 前に「強い現実」と「弱い現実」ということを考えたことがありました。
 例えば、僕が公募33校目の神戸女学院大学の採用面接にも落ちたとします(これはかなり蓋然性の高い仮定です)。その場合は、40歳で助手を辞めて、平川君と始めた会社に戻るつもりでいました。そこで編集出版の仕事に就いて四半世紀ほど働いたとして、今頃僕はどうなっていたでしょう。たぶん65歳くらいまで働いて退職した後、自由が丘か奥沢あたりの3 LDK のマンションで暮らして、合気道の稽古をしたり、趣味でフランス文学の翻訳をしたり、エッセイのようなものをブログに書いていたり、友だちと温泉に行って麻雀やったりしていたと思います(今とほとんど変わらないです)。
 その場合、その自由が丘あたりのマンションの書斎の本棚にある本と、凱風館のいまの僕の書斎の本棚にある本には相当数の「同じ本」がかぶっているはずです。いま僕の書斎には1万冊くらいの本がありますけれど、そのうちのたぶん1000冊くらいは仮想世界の僕が住んでいる部屋にもある。僕はどういう生き方をしても、この年になったときに手元の書架に並んでいるはずの書物を僕にとっての「強い現実」だと見なします。どんな人生を選択しても変わることのない僕の選書傾向がある。人生の岐路で僕が進んでいった先にあるすべての仮想世界において、1000冊の同じ本を僕は書架に並べている。そういう本を読んでいる僕が「自分らしい僕」です。
 逆に、大学教員になっていなければ絶対に読まなかったはずの本が自由が丘の部屋(想像しているうちにこのマンションのありさまがだんだんリアルに思えてきましたよ)の書架にはあるはずです。それらの本は僕にとって「弱い現実」です。もしそれらを面白がって読んでいる僕がいるとしたら、それは「自分らしくない僕」です。
 それくらいの「強い弱い」の区別を現実についてもできるんじゃないかと僕は思います。
「弱い現実」というのは、「入力の違いがあれば、現実化していなかったもの」のことです。「強い現実」というのは「かなり大きな入力変化があっても今と同じようなものとして現実化しているもの」のことです。それがその言葉の本来の意味での「自分らしさ」ということではないかと思います。
 さて、そこでぜひ強調したいのは、「自分らしさ」が際立つのは、「なんとなく」選択した場合においてです。とくに計画もなく、計算もなく、意図もなくしたことにおいて「自分らしさ」は鮮やかな輪郭を刻む。そういうことではないでしょうか。

 この本を読んだ皆さんは、僕がほとんど計画性のない人間であるということはよくおわかりいただけたと思います。人生を通じて絶対にこれだけは実現したいとか、これだけは達成したいとかいう目標を僕は持ったことがありません。いつも「なんとなく」です。
 僕がこれまでした仕事はほとんど誰かに「内田ちょっと、これやってくれない?」と頼まれて「うん、いいよ」と深い考えもなしに引き受けた仕事です。自分から「ぜひやらせてください」と頼み込んだ仕事によって年来の計画が実現して、人生が一変した・・・ということが僕の身には一度も起きたことがありません。いつも「頼まれ仕事」が転機になりました。「そんな仕事、僕にできるかな(したことないし)」と思いながらも、「他にやる人がいないなら、僕がやってもいいよ」と引き受けたことがきっかけになって、予測もしなかった繋がりが成立し、自分が蔵していた思いがけない潜在的な資質を発見した・・・そういうことを半世紀続けて来ました。
 でも、この「なんとなく」にはどうやら強い指南力があるらしい。磁石の針がふらふらしながらきちんと北を指すように、僕の「なんとなく」には義務感とか、恐怖心とか、功名心とかいうものが関与しません。「どうして?」と訊かれても、ただ、「なんとなく、これがやりたい」「なんとなく、それはやりたくない」としか答えようがない。でも、この「なんとなく」が指す方向には意外に「ぶれ」がない。そのことが半生を振り返って、よくわかりました。

 ですから、最近では若い人を相手に話すときには、「決断するときに、その理由がはっきり言えることはどちらかというと選択しない方がいい」ということをよく申し上げます。
 入学試験の面接でも、就活の面接でも、ゼミ選択の面接でも、必ず「どうしてあなたはそのことをしたいと思うのか?」と訊かれます。それにすらすらと答えきれないとよい評点がもらえない。でも、これは違うんじゃないかなと僕は思います。自分がほんとうにしたいことについては「すらすら理由が言える」はずがないからです。だって、自分のすごく深いところに根ざしている衝動とか欲望とかに淵源があるものがそうそう簡単に言語化できるはずがないじゃないですか。「グローバル人材になって活躍したい」理由が「母親の干渉が耐えられないので、早く海外に逃げ出したい」ということだってあるし、「パンクなアーティストになりたい」理由が「堅物の父親が嫌っている職業に就いて煮え湯を飲ませたい」ということだってある。そういうことって、人前ではそう簡単には口に出せないし、そもそも自分自身それに気づいていない。
 もちろん、そういう理由で職業を選択するのは「あり」なんですよ。それでいいんです。でも、「どうしてですか?」と訊かれて、すらすらと言えるような理由ではない。それが「なんとなく」です。だから、「なんとなく」に従って生きる方が「自分らしく」なれるよ。ということを最近は若い人たちにはよく言っています。

 スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式に呼ばれて祝辞を述べたことがあります。そのときにとてもよいことを言っています。
 The most important is the courage to follow your heart and intuition, they somehow know what you truly want to become.
いちばんたいせつなことは、あなたの心と直感に従う勇気をもつことです。あなたの心と直感は、あなたがほんとうはなにものになりたいのかをなぜか知っているからです。

 僕もジョブズに100パーセント同意します。たいせつなのは「勇気」なんです。というのは「心と直感」に従って(「なんとなく」)選択すると、「どうしてそんなことをするの?」と訊かれたときに、答えられないからです。エビデンスをあげるとか、中期計画を掲げるとか、費用対効果について述べるとか、そういうことができない。「だって、なんとなくやりたいから」としか言いようがない。だから、「なんとなく」やりたいことを実行するためには「勇気」が要ります。だって、周り中が反対するから。「やめとけよ」って。
「どうしてやりたいのか、その理由が自分で言えないようなことはしてはならない」というルールがいつのまにかこの社会では採用されたようです。僕はこんなのは何の根拠もない妄説だと思います。僕の経験が教えるのはまるで逆のことです。どうしてやりたいのか、その理由がうまく言えないけど「なんとなくやりたい」ことを選択的にやった方がいい。それが実は自分がいちばんしたかったことだということは後になるとわかる。それが長く生きてきて僕が得た経験的な教訓です。さいわいスティーブ・ジョブズもこれに同意見でした。
「あなたがほんとうになりたいもの」、それが「自分らしい自分」「本来の自分」です。心と直感はそれがなんであるかを「なぜか (somehow)」知っている。だから、それに従う。ただし、心と直感に従うには勇気が要る。
 
 僕がわが半生を振り返って言えることは、僕は他のことはともかく「心と直感に従う勇気」については不足を感じたことがなかったということです。これだけはわりと胸を張って申し上げられます。恐怖心を感じて「やりたいこと」を断念したことも、功利的な計算に基づいて「やりたくないこと」を我慢してやったこともありません。僕がやったことは全部「なんだかんだ言いながら、やりたかったこと」であり、僕がやらなかったことは「やっぱり、やりたくなかったこと」です。
 というわけですので、この本はできたら若い方に読んで頂いて、「こんなに適当に生きていてもなんとかなるんだ」と安心して欲しいと思います。僕と同年配の人が読んだら「なんだよ、ちゃらちゃら生きて楽しやがって。ふん」というような印象を抱くかも知れませんけれど。まあ、みんなに喜んでもらえる本を書くというのはそもそも無理なんですから、しかたないんですよね。

 最後になりましたけれど、最初にロング・インタビューを企画してくれた NewsPicks さんと、それを膨らませて単行本にするという無謀な企画を思いついたマガジンハウスの広瀬桂子さんのご尽力にお礼を申し上げます。おかげでこんな本ができました。ありがとうございます。

2019年6月
内田樹