追悼・橋本治

2019-01-29 mardi

橋本治さんが亡くなった。
今日(2019年1月29日)の15時9分だと伺った。
私にとっては20代からのひさしい「アイドル」だった。最初に読んだのは『桃尻娘』で、「こんなに自由に書くことができるのか」と驚嘆して、それからむさぼるように、橋本さんのあらゆる本を読み漁った。
何年か前についに念願かなってお会いすることができて、『橋本治と内田樹』という対談本を出すという幸運に恵まれた。
その後、『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞を受賞したときには、橋本さんが選考委員を代表して、「授賞の理由」を語ってくれた。
20代からのあこがれの人が、僕の作品を解説してくれたのである。
謝辞のためにマイクの前に立ったときに「いま、橋本治さんが、授賞の理由についてお話ししてくださいましたけれど、これはアマチュアバンドが自費出版で出したCDが音楽賞をもらったときにジョン・レノンがその曲のコード進行について解説してくれたようなものです」というよくわからない比喩を使って感動を伝えたことがある。
橋本さんにははかりしれない恩義を感じている。
なにより「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれたことである。
いわば、橋本さんが地雷原をすたすた歩いていって、振り返って「ここまでは平気だよ。おいで」と言ってくれたようなものである。
橋本さんの通った後なら大丈夫。あそこまでは行っても平気というのは後続するものにとってはほんとうに勇気づけられることだった。
そういう意味では橋本治さんは、大瀧詠一さん、私の兄とともに、私のたいせつな「先達(mentor)」だった(奇しくも三人とも1948年生まれである。二歳年上のその三人の「悪い兄」たちはみな鬼籍に入ってしまった)。

追悼の意を込めて、昔書いた橋本さんの書評を掲載する。
2009年の9月に書いているので、たぶん『橋本治という考え方』についての書評ではないかと思うけれど、定かではない。

説明する人-橋本治

橋本治さんの本を解説や書評をよく頼まれる。
90年代のなかば、関西に来て5年くらい経った頃に、東京の出版社からの原稿の注文がぱたりとなくなったことがあった。会って打ち合わせをするのが面倒な距離に引っ越したし、もともと失って惜しいというほどの書き手でもないから・・・ということでご縁が切れたのだと思う。それにもかかわらず、例外的に東京から回ってくる仕事があった。それが橋本さんの新刊の書評であった。
思いあまって、書評誌の編集者に訊ねてみた。
「どうして、僕なんかに書評頼むんですか?そちらにいくらも書く人がいるでしょう」
意外なことに、その編集者は「いないんです」と答えた。
「頼んでも断られちゃうんですよ」
ずいぶん正直な方だったと思う。たしかにそうでなければ、私になんか原稿を頼んでくるはずがない。
そのときはじめて日本の文壇論壇の方々は「橋本治が苦手」という事実を私は知ったのである(それまで気づかなかったのもどうかと思うが)。
その後、橋本さんにお会いしたときに、驚くべき事実を橋本さんご自身から聞いた。
『窯変源氏物語』を書き終えたときに、ある全国紙の学芸の記者が橋本さんにインタビューをしようと思って自社のデータベースを調べて、「橋本治」で検索をかけた。すると、過去、その新聞の学芸欄には橋本さんに言及した記事が一つもなかったそうである。
すごい。
なぜ日本の批評家たちは(学芸部の記者までも)橋本治を解説することをかほど忌避するのか。本書の解説として、それについて少し書きたいと思う。
まず批評についての一般論から。
批評家たちは、「書かれた作品」に先立って、作家には何か「言いたいこと」があると考えている。作家には、政治的主張であれ、審美的意見であれ、人間いかに生きるべきかについての教訓であれ、とにかくまず何か「言いたいこと」があり、それを小説や評論や詩歌を通じて迂回的に(場合によっては無意識的に)「表現」している。批評家はそういうふうに考えている。
それゆえ、批評家たちの仕事は、作品の表層を突き破ってその源泉に遡行し、純粋状態の「言いたいこと」にたどり着くこととなる。批評家が「書き手はこれを書くことによって何を言いたかったのか」を明らかにすれば批評家の「勝ち」、何を言いたいのか言い当てられなければ批評家の「負け」。そういうルールで批評というゲームは行われている。
でも、ただ作品をじっと見つめているだけでは作家が「言いたいこと」はわからない。「言いたいこと」を言い当てるためにはさまざまな「作品外的」データとの突き合わせが必要である。性別、年齢、国籍、家族構成、信仰、階級、イデオロギー、性的嗜癖、疾病歴、交友関係などなど。そして、これらの「作品外的データ」と作品がうまい具合に結びつけられると(例えば、「書き手の無意識な性差別意識が人物造形にはしなくも露呈している」とか、「書き手の階級的偏見がこのようなプロットを要請した」とか)、批評家は満足げな顔をする。
そういう批評家には橋本治のような書き手は論じられないだろうと思う。そして、残念ながら「そういう批評家たち」が私たちの国の文壇のマジョリティを構成しているのである。彼らが橋本治を論じないのは「橋本治は何が言いたいのか」を言い当てることができないからである。彼らの採用しているルールからすれば、それは彼らの「負け」になる。
現代国語の試験じゃあるまいし、「作者が言いたいこと」なんかどうでもいいだろう。そんなこと気にせずに、どんどん読んで、どこがどう面白いのか読者の立場から愉快に談じればいいと思うのだが、批評家たちはどちらかというと不愉快そうにテクストを論じ、「それは読むに値しない」という評価を下すときだけ少し高揚感をにじませる。それは彼らが作品に「勝った」しるしである。
半世紀ほど前、ロラン・バルトはこういう批評的態度のことをまとめて「大学批評」(critique universitaire)と呼んだことがある。
大学の先生の仕事は学生に知識を授け、その習得の程度に応じて成績をつけ、卒業証書を出すことである。だから大学批評は学生に「難解でかつ大量の知識」の習得を要求することになる。別に意地悪でそうしているわけではなく、大学というところは、「教師がすでに有しており、学生がいまだ有してない知」だけが学ぶに値するものであるという前提で教育が行われているからである。だから、大学の先生が批評をすると(あるいは批評家が大学の先生になると)、彼らは学生たちにとりあえずできるだけ多くの「作品外データ」の収集を要求する。この書き手の家族構成はどうであったか、幼児期をどう過ごしたのか、当時の階級情勢はどうであったのか、国際関係はどうであったのか、性規範はどうであったのか・・・そういうことを知っていないと、「書き手が言いたかったこと」は言い当てられないぞ、と大学批評家は脅かす。
大学批評家は、作品をただしく理解するためには、大量の作品外データを集積せねばならないと告げる。しかし、作品外データというものは原理的には無限に存在する。
「小学生のときに両親が離婚したことのトラウマ的体験と重ねあわさなければこの作品の意味はわからない」とか「作家が幼稚園児のときに犬に噛まれた事実を抜きにこの作品は理解できまい」というようなことは、言おうと思えばいくらでも言えるからである。そして、大学批評を学んだ学生たちは、どんどん「重箱の隅をつつくような」トリビアルな情報の探索に不可逆的にのめり込んでゆくことになる。
だから大学批評はダメだなどと無法なことを私は申し上げているのではない。大学批評にだって読んで面白いものはあるし、私だってフランス文学の研究者だったころにはずいぶん書いたものである(書いている本人はけっこう楽しいし)。
でも、大学批評では橋本治のような書き手は論じることができない。橋本治は要するに何が言いたいのかと、橋本治はどういう作品外的理由によって『アストロモモンガ』とか『シネマほらセット』とかを書くようになったのかというような問いに答えられる人はどこにもいないからだ。
橋本治本人も含めて。
現に、本書の冒頭にははっきりとこう記してある。
「私の場合、『よく分かんないからこの件で本を書こう』というのがとっても多い。分かって書くんじゃない。分かんないから書く。体が分かることを欲していて、その体がメンドくさがりの頭に命令する―『分かれ』と。」(2頁)
ご本人がこれだけすっぱりとみずからの作品の生成の秘密を解き明かしているのだから、ほとんど付け加えることはないのだけれど、あえて贅言を弄するならば、次のようなことになる。
橋本さんは書く前に「言いたいこと」があるので書いているわけではない。自分が何を知っているのかを知るために書いているのである。
だから、橋本さんの書くものは本質的に「説明」である。橋本さんの「体」が橋本さんの「頭」にもわかるように、「あのね、これはね・・・」と噛んで含めるように説明しているのである。自分で自分に向かって説明しているのである。
きちんとした説明をするためにはいくつか守るべきルールがある。
第一に、そこに「自分の意見」を混ぜてはいけない。主観的な好悪や良否の判断を混ぜ込むと、説明は濁って、わかりにくくなる。
第二に、「自分が知っていること」は当然読者も知っているはずであるという前提を安易に採用してはいけない。「周知のように」と冒頭に告げてから、読者の知らないことをずらずら平気で書くような人間は説明には向かない。
きちんとした説明をするためには、自分の主観的な判断を織り込まないだけでなく、「自分が知っていること」をとりあえず「かっこに入れる」ことができなければならない。自分の主観的判断を自制することのできる人は少なからず存在するが、「自分の知っていることを知らないことにする」という技術を駆使できる人は少ない。きわめて少ない。
私はこの技術を「情報を抜く」と呼んでいる。橋本さんは「情報を抜く」技術において、現代日本にまったく類例を見ない、卓越した存在であるというのが私の理解である。
こういうことだ。「1989年に何が起きたのか」ということを正確に説明しようとしたら、1990年以降に起きた出来事のことを忘れる必要がある。そうしないと、1989年のリアルタイムで人々が感じていた未来の不透明感が追体験できないからである。「これからどうなるかわからない」という未来の未知性を勘定に入れないと、「あとから見ると理解しがたい奇矯なふるまい」をどうして私たちがあれほどおおまじめに演じていたのか、その消息がわからない。
橋本さんにはこの「あとから見ると理解しがたい奇矯なふるまい」を理解することへのつよいこだわりがある。『20世紀』や『'89』のような「年表」系の作品が橋本さんの著作リストにはいくつも含まれている(本書もその一つである)が、このようなタイプの書きものを定期的にかつ大量に書いている作家は橋本さん以外に日本にはいない。
なぜ、こういうものをたくさん書くのか。書けるのか。
それは橋本さんが、指定されたある歴史上の時間に想像的にタイムスリップしたときに、それ以後の歴史的出来事についての情報を自身の脳から「抜く」ことができるからである。そうしないと、ほんとうにそのリアルタイムを呼吸することができない。その時代の、その社会にみなぎっていた空気やざわめきや匂いや不安のようなものを、そのまままっすぐ体験することができない。
歴史的にものを見る人にはこの技術が不足している(というより、そのような技術の必要を認めない人の方が多い)。
歴史的にものを見る人は、過去現在未来を貫く「鉄の法則性」を見出そうとする。だから彼らは「起きたこと」しか見ない。
でも、リアルタイムで私たちの意識や行動を支配しているのは、「起きたこと」ではなく、「これから起きそうなこと」である。「これから起きそうなこと」への期待と不安、欲望と恐怖である。でも、「これから起きそうなこと」として私たちの脳裏に取り憑いていた未来予測のほとんどは実現しないまま消える。
人々が「起こりそう」だと思っていたが、「実際には起こらなかったこと」、歴史的にものを見る人はそれには一顧をも与えない。彼らは「実際に起きたこと」だけが起きるべきことであり、起こる必然性があったと考えるからである。
でも、それは違う。
実際に起きたことは必ずしも起きるべくして起きたこととは限らない。それとは違う出来事が起きてもよかったのだが、それはたまたま起きなかった。理由はよくわからない。そういうものである。
橋本さんは、この「未来が未知であった時点」に想像的に遡行する能力において卓越している。そして、「それから後に起きたこと」を一時的に記憶から消すことができる。そういう人にしか、歴史上のある時点のリアリティというものは再現できないと私は思う。
橋本さんのライフワークである古典の「新訳」も構造的には同じ作業である。橋本さんは作品ごとに、ほんとうに平安時代や江戸時代に行ってしまう。そして、そのときのリアルタイムの人々の身体感覚や生活実感に同調して書く。
『窯変源氏物語』についてうかがったとき、橋本さんは『窯変』を書き始めるまで、「源氏物語」を通読したことがなかったと聞いた。文学研究者だったら、「ありえない」と言うだろう。ふざけるなと怒り出すかも知れない。けれども橋本さんの場合なら、むしろそうでなければならなかったのだと思う。読んだことがない物語だからこそ、物語の登場人物たちがそれからどうなるのかわからないまま読み進んでいるからこそ、登場人物たちはリアルで、複雑で、生々しい厚みを持って橋本さんの前に登場してきたのだと思う。そのリアリティを活写することを橋本さんは望んだのである。
『小林秀雄の恵み』もそうだ。「小林秀雄がいて、小林秀雄が読まれた時代の、日本人の思考が知りたい」と思ってこの本を書き出した橋本さんは、それまでに小林秀雄の著作を『本居宣長』しか読んだことがなかった。この本を書いたときも小林秀雄について書かれた膨大な先行研究を橋本さんはたぶん一冊も読んでいないと思う。橋本さんは小林秀雄が日本文学史上にどういう意味をもつ存在であるかというようなことには興味がない。興味があるのは、書きつつある小林秀雄をリアルタイムで駆り立てていた「何か」に同調することだけである。書きつつある小林秀雄が見ていたもの、感じていたもの、とりわけ小林秀雄が小林秀雄自身に対して説明しようとしていたことを感知することに橋本さんはつよい興味を抱いた。
橋本さんはそういう点ではたぶんいつも自身の「同類」を探しているのだと思う。自分の知らないことを自分自身に向かって説明することに長けた書き手。
例えば、三島由紀夫はそういう書き手だった。
説明がものすごく巧い作家。たしか、これは橋本さんが三島由紀夫を評したときに使った形容だと思う。
『豊饒の海』第三部には本多繁邦が唯識論について蘊蓄を傾ける箇所がある。プロット上それほど詳しい説明を要するトピックではないのにもかかわらず、三島の阿頼耶識の説明は数頁に及び、その説明のあまりの巧みさは私にとってはほとんど感動的だった(橋本さんは「何がなんだかわかんない」と書いているけれど)。これは三島由紀夫が自分自身に向かって噛んで含めるように説明した箇所なのだと思う。だから、ただの仏教用語解説であるにもかかわらず、その細部に至るまでほとんど愉悦的なのだ。
書き手は「自分が知っていること」をではなく、「今知りつつあること」を、遅れて知りつつある読者に向けて説明するときに、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達な文章を書く。橋本さんはどこかで経験的にそのことを知った。
だから、自分の中に「リアルタイムで知りつつあるもの」とそれを「遅れて知りつつあるもの」の水位差のようなものを設定すれば、言葉は無限に湧出する。そんなふうにして橋本さんは「たぶん自分で自分にきちんと説明できると思うけれど、これまで一度も説明したことがないこと」をそのつどの著作の素材にしてきたのである。
『三島由紀夫とはなにものだったのか』のあとがきに、橋本さんはその本を書くことになった経緯をこう書いている。
「自分とは関係がない。だから、『分かりたい』という気にはならない。しかし、『分かろう』と思えば、それが可能になるだけの用意はある-2000年になって、その人のことを『書いてもいい』と思った私にとって、三島由紀夫とはそういう存在だった。」
本書で、橋本さんが扱っている多くのトピックについても同じことが言えると思う。農業やオリンピックや金融危機は、どれも橋本さんにとって「関係がない」ことである。だから、別に「分かりたい」とは思わない。けれども、「分かろう」と思えば、それが可能になるだけの準備はある、そういう論件である。そして、「分かろうと思えばそれが可能になる」のは、橋本さんの「体」が先駆的な仕方ですでにものごとの本質を理解しているからである。あとの仕事は、「頭」に向かって情理を尽くして説明するだけである。
だから、本を読めばわかるとおり、橋本さんの「説明」には手抜きがない。他人が相手なら、「めんどうくさいから少し話を急がせよう」とか「引証はこの程度で結論に進むか」というようなこともあるかも知れない。でも、自分が相手なのである。自分相手に説明の手を抜くということはありえない。自分が納得しなければ話が終わらないのだから。
つい長々と書いてしまったけれど、どうして批評家たちは橋本治に手が出ないのか、その理由について考えているところだった。どうしてそういうことになるのか、ここまでの説明でだいたいはおわかりいただけたかと思う(私はだいたいわかった)。
橋本さんは「説明する人」である。「主張する人」ではない。批評家たちは「主張する人」の(あるいは隠され、あるいは露出している)「主張」を取り出して、それについて語るのが仕事である。でも、「説明する人」については語ることがないのである。
『三島由紀夫とはなにものだったのか』という本は三島由紀夫についての説明である。この本を読むと、三島由紀夫がなにものであったかについては実によくわかる。けれども橋本治はこの本を書くことによって何を言いたいのかと問われても「三島由紀夫のことをくわしく説明しようとしています・・・」という以外に答えようがない。
そうやって考えてみると、『桃尻娘』は「高校生とはなにものか」についての説明であり、 『窯変源氏物語』は「王朝人とはなにものか」についての説明であり・・・以下、橋本さんの書くものはすべて説明なのである。そればかりか、橋本治はなにものだったかについても、橋本さんはちゃんと本を書いていて、『橋本治という行き方』とか『橋本治という考え方』という本まである。これを読むと、橋本治という人がどういうふうに考えて、書いているかくわしく説明してある。
いったい批評家たちはこれに何を付け加えればよいのであろう。橋本さんが自作について語ったり、自分の書き方の特異性について説明したりしている文章に無意識的に伏流する「トラウマ」や「差別意識」などでも発見できればよいのであろうが、もしそんなもののかすかな徴候でもあろうものなら、誰よりもはやく橋本さん自身がそれを(大喜びで)分析しているはずであるから、そのような「落ち穂拾い」的仕事さえ批評のためには残されていないのである。
これから何年か(何十年か)したあとに、本格的な「橋本治論」や「橋本治研究」を書く批評家や文学史家は登場してくるのだろうか。生きているうちに読めるものならぜひ読ませていただきたいと思う(橋本さんだって読みたがっているはずである)。