「死と身体」韓国語版のための序文

2019-01-29 mardi

「死と身体」韓国語版序文

みなさん、こんにちは。内田樹です。
『死と身体』の韓国語版が出ることになりましたので、序文をつけることにします。
『死と身体』は2004年に医学書院という医学の専門出版社から出版されました。どうして、医学系の出版社から僕の本が出ることになったのか。詳細はもう昔のことなので、記憶は定かではありませんが、ご縁の始まりだけは覚えています。
2001年に『ためらいの倫理学』という本を出して(この本は幸いもうすぐ韓国語版が出る予定です)、それがメディアの一部で注目されて、いくつかの媒体から寄稿依頼や取材依頼がありました。その中に医学書院の『看護学雑誌』という媒体からの取材申し込みもありました。依頼状を読むと「インフォームド・コンセント」についてインタビューしたいというものでした。
インフォームド・コンセント?
「医療に際して、患者が医療行為の内容やその効用やリスクについて十分な説明を受けて、それを理解した上で、自由意志に基づいて医療方針に合意すること」というのが辞書的な定義ですけれど、僕はもちろん医学の専門家ではありませんから、インフォームド・コンセントについて特段に意見なんかありません。ですから、断ろうと思って、そうお答えしたら、「資料を送りますから、それを読んでから考えてください」と言われました。しばらくしたら、どかんと資料を送ってきた。しかたなく、それを読んで取材を受けました。
僕の答えは次のようなものでした。
インフォ―ムド・コンセントは「自分の身体に対する支配権を占有していること」を高く評価する文化圏では有効だろう。そういう社会では、自分自身にかかわる医療行為を選択でき、決定できるという全能感そのものが患者の健康状態によい効果をもたらすことがあるからだ。だから、場合によっては、自己決定した医療方針がそれほど適切ではなかった場合でも、「その方針を決めたのは私だ」という自尊感情がもたらす全能感が不適切な治療法のもたらす被害を超えるということもあり得る。そういう社会でなら、インフォームド・コンセントは、患者を治療方針に関与させない療法より効果があるかもしれない。
インフォームド・コンセントの適否については、そういう意見をお伝えしました。
でも、問題は、「自分の身体を自分が支配しているという全能感」にそれほど高い評価を与えない文化圏も存在するということです。
例えば、日本がそうです。日本では「医療者が全能であって、病気について熟知しているので、患者は自分自身の疾病について心配する義務を免ぜられる」ということがしばしば起こります。なんだかすごい病気になったのかしらとどきどきして病院に行っても、そこで医師がつまらなそうな顔をしてよくある病名を付けて、ありきたりの治療方針を告げると、それだけでもう半分くらい病気が治ったような気になる。case closed 病気について心配する主体が患者自身から、医師に引き継がれて、患者は治療について考える責任から解放される。その安堵感のプラス効果が病気治癒に資することもあり得るのです。

医療というのは、病気と患者と医師という三者が参加するある種の「物語」だと僕は思います。そして、物語にはいろいろなパターンがある。
例えば、病気を患者の悪しき生活習慣がもたらした帰結だと考える医師がいます。
そういう医師から見ると、患者その人こそが病気の原因に見える。だから、「病気になったのはお前のせいだ。自己責任だ」と患者を責め立てます。患者はそう言われても反論できないので、しょんぼりして、生きる意欲を失う。病院に行くとまた叱られると思うと、病院へ通うのが嫌になり、薬が切れてもそのままにして、やがて手が付けられない状態になる・・・。
一方、病気を外宇宙から到来した「エイリアン」のようなものに見立てる医師もいます。この「ワルモノ」を相手に、患者と医師がチームを組んで戦うという勧善懲悪ストーリーを採用するのです。この場合は、患者と医師は仲間で、ともに「外部から到来した悪い病気」と戦うという話になっているので、患者の自責の念や心理的負荷は大いに軽減しますし、患者は医師の医療行為にできるだけ協力しようとする。
まれに、病気とはある種の心身状態の「偏り」に過ぎないのだから、それに合わせて自分の生活や体の使い方を変えればよいという考え方をする人もいます。「病と戦う」のではなく、「病と共に生きる」のだという独特の医療哲学です。これもまた一つの「物語」ですけれど、僕の知る限りでは、このような哲学的なスキームで自分の病気を記述できる人は総じて健康で、長寿です。
どの物語を選ぶかは、個人の自由だと僕は思います。どのような物語が結果的に患者の生活の質を最も高めることができるのか。それは医師が判断するしかない。
インフォームド・コンセントも「人間とはどういうものか」についての一つの物語から導き出されたものです(アメリカはすべてを自己決定し、誰にも責任を負わせないself made man を人間の理想に掲げる社会ですから、「アメリカ向きの物語」を選ぶのは医師として適切な判断だと思います)。
ただ、世界中どこでもそれが適用できるわけではない。それが効く患者もいるし、あまり効かない患者もいるし、そのせいでかえって悪くなる患者もいる。だから、こういうのは、ケース・バイ・ケースで対応すればいいんじゃないですかと僕はお答えしました。

素人が付け焼刃の勉強で出した答えでしたけれど、これが『看護学雑誌』に載って、看護師たちからずいぶん好評だったということを後から聞きました(実際に、このインタビューが掲載されたあと、いくつかの看護系の学会や看護の学校から講演の依頼がありました)。
編集者の白石正明さんが僕のところにやってきたのは、その頃です。おそらくこのインタビューを読んで、「変わったことをいう男がいるな」と思ったのでしょう。彼は「ケアをひらく」という医学書院の有名なシリーズの編集者で、「べてるの家の『当事者研究』」をはじめ、話題書を次々と出していました。そのシリーズの一冊として本を書いて欲しいというのです。
もちろん、「医療関係の本なんか、無理です。書けません」とお答えしました。

「あとがき」にあるように、その頃、僕は東京と大阪のカルチャーセンターで、コミュニケーションと身体についての7回の講演をしました。その講座に白石さんが毎回来て、講演を録音していました。あんなとりとめもない話をどうやって本にする気だろう、無理なんじゃないかなと思っていましたけれど、講座が終わってしばらくしてから、講演録を束にしてものを持ってきて、「あとは『まえがき』を50枚書けば完成です」と言ったのには、ほんとうに驚きました。あれほど取り散らかった話を、あちらこちらを切り貼りして、首尾一貫した講義のようにまとめてくれた白石さんの魔法使いのような手際のよさにはほとほと感服しました。

この本を書いた頃の僕がこだわっていた仮説があります。
それは本文中にもでてきますけれど、「簡単な話は複雑にした方が話は簡単になる(ことがある)」というものです(上に紹介したインフォームド・コンセントの話も「そういう話」です)。
矛盾した言い方ですけれど、最初の「簡単」と二番目の「簡単」はレベルが違います。
「私は正しい」と言い立てている人が二人いて対立している場合を想定してください。どちらかを正しくて、どちらかを間違いと裁定してしえば、話はとりあえず「簡単」になります。でも、「お前は間違いだ」と言われた方がその裁定に納得できなくて、「こんなのは認められない」と騒ぎ立てて、テーブルをひっくり返して暴れ出すと、話は全然「簡単」ではなくなる。
白黒の決着を付けずに、「どちらもちょっとずつ正しくて、ちょっとずつ正しくない」というふうに話を複雑にしてしまうという手もあります。そして、「どうです、両方でちょっとずつ歩み寄って、『双方ともに同じくらい不満な解』で手を打つというのでは」と持ちかける。「双方とも同じくらいに不満」で、正しくもないし、間違っているわけでもないという中途半端なあたりを「落としどころ」にして、「あと、細かいところは、そのつど調整して」というふうにしておく。
話は全然解決していないのですけれど、これが持っていきかたがうまければ、双方ともふくれっ面をしながらも、「とりあえずまあこの問題はしばらく放っておいていいか」ということになる。最終的かつ不可逆的な解決にはほど遠いのだけれども、とりあえずは問題をめぐる争いはクールダウンする。当事者たちは別のことに知的リソースを注ぐことができる。そして、時間が経つにつれて、解決不能と思われていた問題が、別の条件の変化によって、どうでもよいものになってしまったりするんです。ほんとうに。

僕はこういう解決法を「問題を複雑にすることを通じて問題を簡単にする」というふうに呼んでいるのです。それをもう少し洗練して、使い勝手のよいものにできないかということがこの時期の僕の実践的な課題でした。それを理論的に基礎づけるために、コミュニケーションと身体と死者というトピックを扱ったのです。
コミュニケーションと身体と死者。
この三つに共通するのは、「一意的に定義することができないけれど、一意的に定義できないことによって活発に機能する」という特性です。こんな説明ではもちろん何のことか分からないでしょうから、その理論の詳細は本文を徴して頂ければと思います。

もう15年も前に書いたものですので、書いた僕自身、どういうつもりでこれらの文章を書き綴っていたのか、正確には思い出せません。でも、自分がどういうつもりで書いたのかもう忘れてしまったその書物の印税はいまでも僕の銀行口座に振り込まれる。韓国語版が出るときには、僕に許諾願いが来る。
書いた内容もよく覚えていない書物について、その翻訳の可否について判断する権利がいまの僕にあるのでしょうか。どうなんでしょうね。でも、別にそれが不当なことだとは思いません。だって、僕が今書いているこの文章の原稿料が振り込まれる頃に、それを受け取る未来の僕(今年の夏くらいの僕)は1月の終り頃にこの文章をどういうつもりで書いたのか、たぶん正確には思い出せないはずだからです。
そういうものなんです。それでいいんです。
「内田樹」というはなはだ輪郭のぼんやりした「書く主体」がいて、それはいろいろな時期に、いろいろなことを考えていて、いろいろな文体を駆使する複数の書き手によって構成されている。そのいわば「共作」として僕の書き物は存在する。ですから、いまの僕が書いたものについて未来の僕が「これは僕が書いたものだ」と著作権を請求できることを保証する代わりに、過去の僕が書いたものを今の僕が「これは僕が書いたんだよ」という権利を保全してもらう。そういうゆるやかな「共作関係」の効果として「内田樹という書き手」はいる。そういうことでいいんじゃないかと思います。

最後になりましたが、次々と僕の本を翻訳して、出版してくださる韓国のみなさんに心から感謝申し上げます。日韓両政府はいろいろと対立点があって、ぎくしゃくしていますけれど、それとは違うレベルで、市民同士はこうして親しく気持ちを通わせることができることを日韓の未来のためにとてもうれしく思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。