光嶋裕介君の新著『ぼくらの家。』(世界文化社)の即売会と短いトークセッションが凱風館で昨夜、寺子屋ゼミのあとに行われた。ミシマ社も出店して、ゼミ生を中心に20人近くの聴衆が集まってくれた。
光嶋君が著作の意図を説明してくれた後に、僕が短いコメントをした。
その時に、以前、山本浩二画伯から展覧会用の解説を頼まれたことがあったので、その話をした。
僕は美術については門外漢だから、山本君の画業について専門的な見地から批評をすることはできない。彼の美術史的な系譜も知らないし、同時代の画家たちの中のどこに位置して、美術批評家たちからどういう評価を受けているかも何も知らなかった。僕にできるのは、山本君の絵を何点か所有していて、その絵を壁にかけて暮らしている僕にとって、山本君の絵が具体的にどういうふうに身体的な影響をもたらすものであるかを報告することだけだった。それについて書いた。少し長いけれど、再録しておく。
タブローの力:山本浩二の芸術
絵には「物理的な力」があるということを最初に実感したのは、二十年ほど前、パリのオルセー美術館でゴッホの絵を見たときのことだ。オルセーの最上階の印象派の部屋に入ったときに、背中に何かが触れてくるような感じがして、ふりかえったら、ゴッホのタブローと目が合った。
やはり同じパリのピカソ美術館の中庭で「山羊」の塑像と対面したときは、もっと強烈な体感を覚えた。ピカソの「山羊」はふみしめた四肢からパリの大地のエネルギーを吸い上げ、天空に向けて放射していた。
なるほど、芸術作品というのは「そういうもの」かということに、そのときはじめて得心がいった。
すぐれた芸術作品にはフィジカルな力がある。
その力は造形的に美しいとか、装飾的に巧みであるとか、空間的な配列に階調があるとか、そういう評価の水準に存するのではない。力のある作品は作品の外部の「何か」と繋がっていて、その「回路」として私に向き合い、私に触れ、私を賦活する。
私は以後ずっと芸術作品を「外部との回路」として活発に機能しているかどうかだけを基準に見てきた。
こんな見方は邪道なのかも知れないけれど、美術批評の訓練を受けていない私はそれ以外には芸術作品を判定する基準を持っていない。
だから、山本浩二の作品が専門的な美術評論家からどんなふうに評価されているかを私はよく知らないし、正直に言ってあまり興味もない。私が彼のタブローやドローイングを愛するのは、それがダイレクトに私に触れ、私の感官を活性化するからである。
私の家の壁には山本浩二の作品が五点かかっている。毎日、玄関から書斎まで、家の中を移動するたびに山本浩二の作品は私に触れる。それが触れてくるのは私の審美的な感受性にではなく、もっと深い、もっと根源的な、ほとんど分子レベルの感覚にである。
それは私の身体の安定性と運動性を同時に賦活する。のびやかな鉛直方向の力が私に安定を保証し、それと同時に、物体が運動を開始する直前の緊張感と、その運動によって解発される浮遊感が私を高揚させる。
そのような作品は希有である。少なくとも私にとっては希有である。(ここまで)
光嶋君に『ぼくらの家。』の感想を求められたときに13年前に書いたこの文章のことを思い出した。
僕が建築を批評するとしても、用いることができるのは知識や情報ではなくて、自分の身体実感だけである。
山本君の絵の場合と同じで、たぶん建築物でもいくつかの力がその中で活発に働いているかどうかか鍵になる。
その家の中で生活していることが僕の身体の安定性と運動性を同時に賦活するか。のびやかな安定感を浮遊感を同時に経験させてくれるか。
ただ落ち着いているだけでは足りない。ただダイナミックなだけでは足りない。
平穏と運動、安定と浮遊、静と動が同時に実感されないと、人間は「生きた心地」がしない。
でも、それは叡智的に理解したり、数値的に考量できるものではない。
皮膚で感じるほかない。
武道の稽古では「触覚的に空間認知をすること」を要求する。人間は空間についてのほとんどの情報を視覚から得る。現代人はとりわけその傾向が強い。でも、視覚的認知では、自分が「どこにいるのか」についての座標的な認知はできるけれど、「自分がいてよい場所にいるのか、いてはいけない場所にいるのか」はわからない。どこに、どのタイミングで移動すれば、そこが「いるべき場所」になるのかは視覚情報だけからではわからない。
いるべき場所を教えてくれるのは皮膚感覚である。
だから、建築物についても、僕が第一に思量するのはそこが「僕がいるべき場所」であるかどうかである。そこが「僕がそこにいることを想定して造型されたものかどうか」である。
ほとんどそれに尽くされる。
それを見誤らなければ、そこには僕が果たすべきミッションがあり、僕が支援すべき人や、あるいは僕を支援する人と必然的に出会うことができる。
「僕がいるべき場所ではないところ」に長居は無用である。そこにとどまることはダイレクトに人の生命力を減殺するからである。
柳生宗矩はこう書いている。
「一座の人の交りも、機を見る心、皆兵法也。機を見ざればあるまじき座に永く居て、故なきとがをかふゝり、人の機を見ずしてものを云ひ、口論をしいだして、身を果す事、皆機を見ると見ざるにかゝれり」(『兵法家伝書』)
人との交わりには「機を見る心」が必須である。機を見ずに、いるべきではない場に長居すれば、ゆえのないトラブルに巻き込まれる。機を見ずに、不用意にものを言えば、要らぬ口論に巻き込まれ、ついには命を落とすことさえある。
僕たちが遭遇するトラブルのほとんどは「機を見誤った」ことで起きる。
自分がいるべき時に、いるべき所にいて、なすべきことをなすこと。
約めて言えば、それが「兵法」である。すべての修業はこの兵法を会得するためのものである。
だから、どんな建物に足を踏み入れても、僕はそこが「自分のいるべき場所」であるかどうかを感じ取ろうとする。
すぐに感知できるほどはっきりとしたメッセージを発信している建物がある。
例えば、僕が21年間を過ごした神戸女学院のヴォーリズ建築はそうだった。建築家はその建物の中のいたるところにそこで学び働くことになるすべての人々に対する歓待と挑発のメッセージを用意していた。それは単に「アフォーダンス」というのでは足りない。ヴォーリズはいたるところに、いくつかの行動の選択肢を差し出していた。ドアノブを回すか回さないか。階段をのぼるか降りるか。廊下を右に行くか左に行くか。例えば、図書館横の出口から対角線上にあるソール・チャペルの入り口までの数十メートルを進むために僕たちが選べる動線はたぶん数十種類ある。池の傍を通って水草やメダカを見る道や、紅葉する楓の下を通る道や、満開の桜が頬に触れそうな道や、いくつもの道をその時の気分で選ぶことができる。
You have the choice
それは学びを求めて大学の学舎に足を踏み入れた若い人たちに差し向けられるメッセージとしては最良のものだと思う。
逆に、まったく何のメッセージも発信していない建物もある。ほとんどのオフィスビルや公共建築物はそうである。建物が何も語らないことが公共性であり、動線が単一であることが効率性だと勘違いした建築家が作る建物はそういうものになる。
光嶋君とはじめて会った時、彼はまだ家を設計したことがなかった。だから、彼がどんな家を作る建築家なのか、僕はほとんど何も知らないまま彼に発注した。僕が彼を選んだのは、彼が自分のそれまでの作品(リノベーションした建物の写真といくつかのスケッチだけだった)を説明しながら「家の表情」という言葉を使ったからだ。
この青年は家には「表情」があるということを知っている。家はそこに暮らす人、そこを訪れる人ひとりひとりに別の「表情」を示すということを知っている。そして、表情が多様であることが住む甲斐のある家であるためにはどうしても必要だということを知っている。
それで十分だと僕は思った。
その時には自分がどうして彼を選んだのか、よくわからなかった。
でも、それからあとの彼の仕事を見て、僕の判断は適切だったということがわかった。
(2018-10-31 13:19)