揺らぐ戦後国際秩序

2018-08-01 mercredi

今朝の毎日新聞の「論点」は「揺らぐ戦後国際秩序」というタイトルで、海外の二人の論者によるドナルド・トランプの保護貿易主義批判の論を掲載していた。
ひとりは国際政治学者のフランシス・フクヤマ、一人はWTO(世界貿易機関)前事務局長のパスカル・ラミー。
ふたりともトランプが戦後国際秩序の紊乱者であるという評価では一致している。
「米国は過去50年にわたって、自由主義に基づく国際秩序を作り出し、それを支えてきた。今、それをおびやかしている最大の脅威はトランプ米大統領だ。」(フクヤマ)
「トランプ米大統領が仕掛ける今回のような『貿易戦争』は前例がない。(...)トランプ氏はシステムを揺さぶることで事態を変えられると思い、『良い結果を得るには交渉のテーブルは2人(2国)でなければならない』と考えている。保護主義で相手を脅し、その撤回を求めてワシントンに来る人たちからどんな見返りを手にできるかを計算する。中世に見られた残酷な手法であり、成功しないだろう。」(ラミー)
とどちらも手厳しい。
フクシマははっきりと「国際経済がどのように働くかを理解していないトランプ氏が仕掛けている貿易戦争の行方を予想するのは難しい」とした上で、アメリカの国益を守るためには何があってもトランプの再選を阻止しなければならないとしている。
再選されなければ国際社会へのダメージは限られる。だが、もしトランプ政権が2期8年続いたら、米国は指導者の座から降り、国際政治の形が変わってしまう。」とまで述べている。
ラミーもフクシマもトランプがこのまま貿易戦争戦略を続けるつもりであるなら、アメリカ以外の国々は「アメリカ抜き」の国際秩序を構想しなければならないという結論では一致していた。
「国際社会にとって重要なのは、各国が協力してリベラルな国際秩序を守ることだ。米国の関税攻勢を前に日欧は連帯して対応する必要がある。日本の役目は米国抜きでも環太平洋パートナーシップを維持することだ。米国以外の各国が協力し、多国間の制度や機関を支えることが重要だ。」(フクシマ)
「もし米国がWTOを破壊したいというのなら、我々は米国抜きの新しい世界貿易のシステムの構築を考えなければならない。」(ラミー)
ふつう「論点」は両論併記的な構成なのだけれど、今回は珍しく「トランプの貿易政策はアメリカの没落を加速させる」「アメリカ人は任期終了までトランプの暴走を止めることはできない」「日欧はアメリカ抜きの国際秩序を構築して、アメリカがもたらす災厄を最小化するように努力した方がいい」という点で二人の論者が一致していた。
「アメリカがもたらす災厄を最小化するように努力した方がいい」ということをアメリカ人の政治学者が(他ならぬ『歴史の終り』で洛陽の紙価を高めた、かのフランシス・フクヤマ先生が)言い始めたということは尋常のことではない。
船が難破して操縦不能になったり、戦線が崩壊して指揮系統が機能しなくなったときに、船長や指揮官は「Sauve qui peut(ソーヴ・キ・プ)」という宣言をなす。
Sauve qui peut は「生き延びられる者は生き延びよ」という意味である。
「もう指揮官があなたたちにどうすべきかを命じることができない局面になった。あとは自分の才覚で生き延びてくれ」という「最後の命令」のことである。
フクヤマとラミーの言葉は「Sauve qui peut」にかなり近いと私は解する。
アメリカは戦後国際秩序にありかたについてもう指導力のあるメッセージを発することができなくなった。
だから、あとは各国は自分の才覚で生き延びるしかない。
「アメリカの指導力をもう当てにするな」どころではなくて、「これからはアメリカが何か言ってきても相手にするな。」そう言っているのである。

しかし、この重大なメッセージを安倍政権はきっぱり無視するだろうと私は思う。ノーコメントで押し通すはずである。
日本はこれからも引き続きトランプの貿易政策には、日本の国益に致命的な被害を与える政策についてさえ正面切った反対は自制するだろう。
そして、できるだけ低姿勢でトランプのご機嫌をとって、彼の大好きな「ディール」でいいようにあしらわれて、アメリカの兵器産業や水ビジネスや原発ビジネスに国民から集めた税金を流し続けるだろう。
そうしている限り、安倍政権の属国日本の「代官」の地位はトランプが保全してくれるからだ。
日本の国民資源をアメリカの富裕層の個人資産に付け替えることにこれだけ熱心な政権をトランプが切るはずがない。
それがわかっているから、政府はフクヤマやラミーの忠告には一切耳を傾けない。
「アメリカ抜きで・・・」というようなことを政権中枢の誰かが一言でも口走った瞬間に政権は終わる。
おそらく旬日を見ずに終わるだろう。
別にアメリカが「首相を替えろ」というような内政干渉をするわけではない。安倍の「跡目」を狙う自民党政治家たちとアメリカに恩を売りたい官僚たちやメディアが一斉に襲い掛かって、引きずりおろすということである。
アメリカに対してどれほど従属的であるかが日本ではドメスティックな格付けのほぼ唯一の査定基準である。
そのことを安倍首相は誰よりも知っている。
だから、トランプへの「忠誠競争」で他の自民党政治家の後塵を拝することがあってはならないと常日頃自戒しているはずである。
だが、トランプに追随してゆけばいずれ日米は共倒れになる
それくらいのことは官邸だってわかっているはずだ。
トランプが「こける」前にアメリカの「次の大統領」に繋がりをつけることができれば、あるいは生き延びられるかも知れない。
でも、そんな長期構想に基づいてアメリカ国内に親日派の「アセッツ」を扶植し育成しているような有能な政治家は日本にはいない。少なくとも官邸まわりには一人もいない。
「ポスト・トランプ」政権がトランプに追随した日本をどう遇することになるか、誰も予測できない。
冷遇されるリスクは高い。
それなら、どれほど強欲であろうと、トランプ再選に賭けた方がましだ。
共倒れにならないためにはトランプに勝って欲しい。
たぶん官邸はそういう考えだろうと思う。
トランプ再選を支援するためには、トランプが「貿易戦争で勝利している」という印象をアメリカの有権者に刷り込むのが効果的である。
「トランプは経済大国日本を好き放題食い物にして、アメリカ国民に膨大な利益をもたらしている」というニュースはトランプ再選にきわめて有利に働くだろう。
だから、安倍政権は「アメリカが日本に貿易戦争で圧勝している」というシナリオをアメリカ向けには用意し、国内的には「日本は貿易戦争でアメリカに果敢な抵抗をしている」というシナリオを宣布するという「二正面作戦」を強いられている。
はたして、この困難なマヌーヴァーに安倍政権は成功するだろうか。
私は懐疑的である。
いずれこんなトリックは破綻するだろう。
その時に日本はどうなっているのか。
あまり想像したくないことだが、その時点でなお国際社会において占めるべき名誉ある地位が日本に残されていると考えるのは楽観的に過ぎるであろう。