高校生へひとこと

2018-07-31 mardi

ある高校から40周年記念冊子のためのコメントを求められた。
以前に一度講演に行ったことがあるので、そのご縁である。
なかなか気合の入った高校生たちだった記憶があるので、ひとことコメントを寄せた。

40周年おめでとうございます。

ここまでの40年とこれからの40年では、世界の様相の変化のスピードがずいぶん違うはずです。
これからはかつてなかったほどの速度で世の中が変わってゆく。それに適切に対応しないと、生き延びることができない。
みなさんには、その覚悟を持って、新しい時代に臨んでほしいと思います。

いつの時代でも、新しいテクノロジーの登場はそれまでの産業構造を一変させます。でも、産業革命から後でも、新しいテクノロジーの出現から産業構造の全面的な改造までのあいだには、ある程度のタイムラグがありました。
電気の登場からその商業的利用までには46年かかりました。電話は発明されてから35年、ラジオは31年、テレビは26年かかりました。
でも、このタイムラグはどんどん短縮されています。パソコンは16年、携帯電話は13年、インターネットは7年、フェイスブックは3年、iPhoneは2.5年でマス利用に供されました。
これから後、このタイムラグはさらに短縮してゆくと予測されています。

よくAIのシンギュラリティが話題になりますけれど、それ以前にテクノロジーの進化が速すぎて、それに社会制度が対応できず、市民たちがさまざまな不利益をこうむるという事態が到来しそうです。
たぶん、こういう話をすると「だから時代の変化に最適化した方がいい」というふうに思って、つい浮足立つと思いますけれど、僕からみなさんへのアドバイスは「浮足立つな」ということです。
慌てたり、焦ったり、恐れたりという精神状態で下した判断はだいたい間違うからです。
「テクノロジーの進化なんかどうだっていいじゃないか。それはそれ、これはこれ」という腹の括り方をしていた方がいい。そうしておかないと、うっかりすると、この先一生回し車の中を全力疾走するハムスターのような生き方をしなければならなくなります。

社会全体が浮足立っているときに必要なのは「胆力」です。
たいせつなことなので、もう一度言います。
みなさんに必要なのは胆力です。
胆力というのは、「驚かされないこと」です。危機に臨んで肝をつぶして、白目を剥いて、腰を抜かさないことです。
そのためにはどうすればいいか。
簡単なんです。
こまめに驚いていればいい。
「驚く」というのは能動的な働きです。「驚かされる」というのは受動的な経験です。向きが180度が違います。
「驚く」とは、ほんのわずかな変化の徴候に気づくことです。
「風の音にぞおどろかれぬる」人は、他の人より早く秋の気配を感知して、驚いている。だから、他の人たちが秋の到来に気づかずに薄着のままで過ごして風邪をひいたりしているときには、すでに秋シフトを済ませている。
できたら毎日「おや、こんなことが」と驚いている方がいい。
別にテクノロジーのイノベーションとか国際政治の変動の話をしているだけじゃありません。四季の変化や人心の移り変わりに日々「驚かれぬる」ことを通じて「驚く」訓練をするのがいちばん手堅いやり方です。
そうやってこまめに「驚いている」と、地殻変動的な変化にはずいぶん早くからそのさまざまな予兆があることに気が付きます。日々のその予兆を見逃さずに備えをしておけば、世間の人が腰を抜かすときに、涼しい顔をしていられる。
それが「胆力がある」ということです。
何が起きても何も感じないということではありません。間違えないでくださいね。
ロラン・バルトというフランスの哲学者が「知性とは驚く力のことである」という言葉を残しています。ぜひ心に銘記しておいてください。

これから、みなさんが学校を卒業して、いろいろな仕事に就いて何年かした頃に、世界も、日本も大きな変動期を迎えるはずです。
どういう社会的な変化に直面することになるのか、まだ誰も正確には予測できていません。
でも、間違いなく大規模な社会的変化が、きわめて短期間に起きる。それだけは確実です。
みなさんの健闘を祈ります。
God speed you