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司馬遼太郎についての連載最終回

産経新聞に1年間に4回寄稿した「司馬遼太郎」についてのエッセイ。最終回は「司馬遼太郎と国民国家」

日本はいつから「こんな国」になってしまったのか。
誰もがこの定型的な慨嘆句を口にする。リベラルも極右も、グローバリストもレイシストも、その政治的立場の違いにもかかわらず、「日本の劣化」という現実評価については同じ言葉づかいをする。
この吐き捨てるような現実嫌悪の言を制して、「少し前にもっとひどい時代もあったじゃないか。あれに比べたら今の方がまだずっとましだよ」と言ってくれる人は周りにもう見当たらない。司馬遼太郎がいなくなったというのは「そういうこと」なのだと思う。
司馬遼太郎は「国民作家」だった。
国民作家とは、国民国家を終の棲家と思い定めて、そこを動かぬ人のことである。
国民国家は石や滝のような自然物ではない。歴史の流れの中で形成された暫定的な制度である。歴史的条件が変われば変容し、時には消失する。司馬もそのことは骨身にしみて知っていたはずである。国民国家は脆い。だからこそ人々は日々の営みを通じてそれを支えなければならない。
『坂の上の雲』は次のような一節から始まる。

「小さな。
といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力の限りをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。」

わずか数行のうちにちりばめられた「小さな」「辛うじて」「精一杯」「幸運」「力の限り」といった徴候的な言葉を見落としてはならない。近代史をすみずみまで渉猟した司馬のもっとも率直な実感は、私たちの国がいまここにこうしてあるのは「ひやりとするほどの奇蹟」の賜だということであった。
司馬遼太郎が描いた国は小さな町内に似ている。それはたかだか暫定的な制度に過ぎない。集団のあるべき理想ではないし、他の「町内」に際立って卓越する必要もない。けれども、そこに生活しているものにとっては、そここそが命がけの現場である。天災に襲われ、建物が壊れ、田畑が流れ、死者が出れば、災禍が去った後、人々はとりあえず生き延びたことを言祝ぎ、失われたもののために涙し、暮らしの場を再建しようとするだろう。生活者というのはそういうものである。
司馬遼太郎は国民国家を「生活者がそこを離れては生きてゆけない必死の場」としてとらえた。
左翼でも右翼でも、政治思想を語る人々にとって国家はもっと「ファンタスティック」なものである。それを一過的な政治的擬制とみなそうとも、天壌無窮のものとみなそうとも、彼らにとって「生活者の必死」などは副次的な問題に過ぎない。
司馬遼太郎はそうではなかった。日本という国は、五体と同じく、私たちに与えられた生得的環境、初期条件である。私たちはそれを選び直すことができない。それを受け容れ、それを害するものを避け、益するものを求め、欠点を正し、長所を伸ばすしかない。
司馬遼太郎にとって国とはそのように「可憐なもの」だった。儚く、脆く、傷は容易には癒えず、一度滅したらもう蘇生することはない。だからこそ、心を鎮めて、ていねいに扱わなければならない。国家を政治的幻想の道具として手荒に扱う人は、自分の身体を観念や欲望の道具とする人と変わらない。だが、思い通りに動かないからと言って、自分の手足を罵倒したり、斬り落とす人がいるだろうか。国も同じだ。司馬遼太郎はそのように考えていたと思う。

私は司馬のその国家観を支持する。それもまた一つの「物語」に過ぎないことを私は否定しない。それでも私はそれを支持する。

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2016年12月26日 13:38 に投稿されたエントリーのページです。

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