天皇の「おことば」について

2016-12-23 vendredi

ある通信社から天皇陛下の「おことば」についてのコメントを求められた。一般紙面には「おことば」の要旨だけしか公開されないので、紙面と整合しないところはカットされた。
そこを戻して、すこし加筆したものをここに掲げておく。

今回の陛下のお言葉はかなり「読みで」のあるものだったと思います。
表面的には、ただこの一年間の出来事を羅列したように見えますが、一つ一つの扱いかたや措辞に細やかな気遣いが感じられました。
経時的な理由から最初に置かれた「フィリピン訪問」には分量的には最も多くの字数が割かれていました。
フィリピンでの戦闘については、かつて大岡昇平は『レイテ戦記』で「あの戦争でいちばん苦んだのは日本人でもアメリカ人でもなく、現地のフィリピン人だ」と書いたことがありましたが、「先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に」とあえて「フィリピン人」を先に置いた陛下の気遣いには大岡の思いに通じるものが感じられます。
8月の「おことば」において陛下は「象徴的行為」といういささかこなれない言葉を用いて、天皇の責務は何かということを示されました。それは具体的には、戦争や天変地異で横死した人々を鎮魂し、被災者の傍に寄り添う「旅」のことです。そして、今回の「おことば」で、その「人々」とは決して日本人だけに限定されないことを示されました。
今回の「おことば」では、オリンピック・パラリンピックとノーベル賞のほかは、すべて死んだ人、傷ついた人の悲しみ・痛みに言及したものでした。
この「共苦(compassion)」という営みが現代の天皇の引き受けるべき霊的な責務、「象徴的行為」の実体であるということを一歩踏み込んで明らかにしたという点に今回の「おことば」に歴史的意義はあるのだろうと思います。