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『困難な成熟』韓国語版序文

「困難な成熟」韓国語版序文

みなさん、こんにちは。内田樹です。
『困難な成熟』韓国語版お買い上げありがとうございます。これで韓国語に翻訳された僕の本は何冊になるのでしょうか。10冊以上にはなっていると思います。多くの韓国の方々が僕の本を読んで下さっていることに改めて感謝致します。
いつも申し上げていることですけれど、日韓の密接な連携と相互理解はこれからの東アジアで、最重要の外交的課題だと僕は思っています。でも、残念ながら、日本国内では、僕のような考えは少数意見にとどまっています。政治家たちも官僚もジャーナリストたちも、日韓連携が死活的に緊急であるという考え方には特段の興味を示しれくれません。韓国でも、事情はそれほど変わらないのではないかと思います。
でも、僕はあまり悲観的ではありません。政治の水準での日韓連携が進んでいなくても、日韓両国の市民たちの間の草の根の繋がりは確実に深化していることがはっきりと実感できるからです。
僕が最初に講演のために韓国を訪れたのは2012年の8月です(その前には短い観光旅行で一度ソウルを訪れたことがあるだけです)。
『街場の教育論』や『先生はえらい』を出してくれたタンポポの金敬玉さんの企画で韓国を訪れ、ソウルでギルダム書院を主宰されていた朴聖焌先生や新羅大学の朴東燮さんや本書の翻訳者である金京媛さんをはじめとする韓国の読者たちにお会いすることができました。
僕が「自分の本の外国語訳の読者」という人たちに出会ったのはそのときが最初です。それはとても不思議な経験でした。
僕は日本の読者たちだけを想定してそれまでずっと書いてきました。海外の雑誌に短文が翻訳されて掲載されたことはありましたが、それはよくニュースで特派員が「現地の人の話を聞いてみました」とマイクを向けて街の声を拾うというような感じの紹介の仕方でした。「ちょっと変わったことを言う、日本の知識人のひとり」という程度の扱いでした。それらの雑誌でたまたま僕のエッセイを読んだ人たちも僕の名前なんかすぐに忘れてしまったでしょう。
でも、韓国語の訳書の場合はそうではありませんでした。
僕の日本語の著作を原文で熱心に読んでくれた人たちがいて、その人たちが「ぜひ、この人の本を韓国に紹介したい」と思って、翻訳出版の労を取ってくれたのです。これは僕にとってはじめての経験でした。
隣国の人たちがそういう関心を持って日本の書き手のものを吟味しているということを僕は考えたことがなかったのです。もちろん、村上春樹のような世界的な作家の場合は別ですけれど、僕はとくに読んで面白いものを書いているわけではありません。
大学の教師を長くしておりましたから、教育についてはいろいろ言いたいことがある。また武道を長く修業してきましたので、その経験に基づいて言えることはある。フランスの現代思想を専門的に研究していましたから、その分野については多少の知識がある。それだけです。
教育に興味がある人や、武道に興味がある人や、哲学に興味がある人は僕の書いたものをたまたま手に取ることがあるかも知れないけれど、広いポピュラリティを得られるようなタイプの書き手ではありません。それがなぜか隣国に読者を得た。それもずいぶん熱心な読者です。これはいったいどういうことなんだろうと考えました。
とりあえず一つだけわかったのは、韓国社会でも、僕が取り組んでいるのと同じ問題に強い関心をもって取り組んでいて、それを解決すべく「手当たり次第」に参考になりそうなものを読んでいる人たちがいるということでした。
ただ、僕たちが共有しているのは「問題」でした。「答え」ではありません。
「こうすれば問題は解決します」という具体的な解を共有したのではなく、「こんな題の前で必死に答えを探しています」という答えの欠如を共有していたのです。
僕の本で最初に翻訳されたものはどれも教育論でしたけれど、それは韓国の教育現場の人たちが欲しがっている「答え」を僕が知っていたからではありません。僕がしたことがあるとすれば、それは「教育現場に何が欠けているのか」をかなりはっきり描き出したことです。そして、日本の学校に欠けているものと、韓国の学校に欠けているものがたぶん非常に似ていたのです。
人々は必ずしも「存在するもの」を共有することで相互理解に至るわけではありません。僕が経験したことがあり、他の人も経験したことがあるものを「あ、あれなら知っている」「ああ、あれね」と言って、うれしそうに手を取り合うというのが相互理解だと思っている人がいるかも知れませんけれど、そうでもありません。むしろ、「僕も持っていないし、あなたも持っていないもの」の欠如を切実に感じるということの方が人と人を近づけるということがある。僕はそう思います。
この本で僕が「その欠落」について書いたのは「市民的成熟」です。それが「ない」せいで、僕たちの社会がうまく機能しないもの。それは「はい、これだよ」と言って取り出してお見せすることができません。だって、ないんだから。でも、この本を訳者の金さんが選んで訳してくれたのは、「それがないせいで日本社会がうまく機能していないもの」は、「それがないせいで韓国社会がうまく機能していないもの」と非常に似ていると直感したからではないかと思います。
僕はこれからの日韓の市民的なレベルでの連携は「現に共有しているもの」を基盤にするだけでなく、「欠落感を共有しているもの(だから「まだない」もの)」を基盤にしてしだいにかたちを取ることになるのではないかと思います。
なんだかわかりにくい話になってしまってすみません。
また次の本でお目にかかれるのを楽しみにしています。次に出る訳書はたぶん『困難な結婚』になるのではないかと思います。「市民的成熟」も難しいけれど、「結婚」も難しいです。それについてはご同意頂けると思います。そして、結婚生活においても僕たちは配偶者と共有している「まだないもの」のリストを長くすることで少しずつ幸せになってゆくのだと思います。
訳者の金さんはじめ、この本の出版にご尽力くださったみなさんに感謝します。いつもありがとうございます。

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2016年12月14日 18:00 に投稿されたエントリーのページです。

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