大阪大学コミュケーションデザインセンター外部評価報告書

2014-04-17 jeudi

阪大のコミュニケーションデザイン・センター外部評価委員を委嘱された。
平田オリザさんからのご依頼であるので喜んでお引き受けした。
村上陽一郎先生を委員長とする評価委員会の報告書がさきほど届いたので、その中の自分の書いた分だけを採録する。


評価書(内田樹)        

1.組織と運営

a.すぐれている点
コミュニケーションデザイン・センターの設立趣旨はたいへんユニークで、かつすぐれたものと評価できる。領域を異にする専門家間の、あるいは専門家と非専門家間のコミュニケーションは、特異な能力を持った媒介者の存在なしには果し得ない。
しかし、この機能を担いうる「架橋する知性」あるいは「トリックスター的知性」を評価する伝統は日本の大学には存在しなかった。ひとつには、そのような知性を育てる効率的なプログラムが知られていなかったからであり、ひとつには架橋的な活動を数値的に評価する基準が存在しなかったからである。阪大のコミュニケーションデザイン・センターはこの先例のない、組織的に運営することの困難な研究教育活動の中心となるという野心的な企てである。その創発性は結果の成否を措いても評価に値する。

b・改善を求める点
創発的であるということは、言い換えれば、「これまで誰も取り組まなかった」ということであり、それはその事業の困難さを意味している。それゆえ、すぐれた点はそのまま問題点に転化する。
架橋的知性の育成については「こうすればうまくゆく」という経験知の蓄積が日本の大学には存在しない。いきおい、教育活動は試行錯誤の繰り返しにならざるを得ない。これまでのところコミュニケーションデザイン・センターの教育的取り組みは失敗もなく、十分な成果を上げているように見えるが、これは立ち上げメンバーの「意気込み」がオーバーアチーブをもたらしたと見るべきであろう。センターの活動がある程度ルーティン化したあとも、同質のオーバーアチーブを次世代以降の教員たちに継続的に期待できるかどうか。ただし、これは先の心配なので、「改善を要する点」とは言えない。
 もう一つ、コミュニケーションの生産性・豊穣性は「始めて見るまで、どこにゆくのかわからない」という予見不能性にあり、このような研究教育活動は「中期計画を示せ」とか「PDCAサイクルを回せ」というようなタイプの評価枠組みにはなじみが悪い。その点についてはしかるべき理論武装が必要だと思う。

2.教育

a.すぐれている点
 対話的・双方向的教育、専門的な社会知との接続など、多くの創意がみられ、成果も十分なものと評価される。

b.改善を求める点
 これも同じ話になるが、対話的・双方向的な教育活動というのは、臨機応変にあらゆる素材を教育的に活用できる教員の属人的資質に依存しており、この資質もまたマニュアル化することも、体系的に教育することもできないタイプの知的能力である。日本の大学教育はこういうタイプの知力を開発するプログラムを有していない。これもまたどうやってその任に堪える教員をどうやって継続的に供給するのかということが問題になる。

3.研究

a.すぐれている点
 協働型実践研究において、センターそのものがさまざまな他領域とのコミュニケーション実践を行い、それ自体を教育の場とするという発想がすぐれている。

b.改善を求める点
 特になし。

4.広報・社学連携活動

a.すぐれている点
 活動の特異性を伝える工夫はなされている。

b.改善を求める点
 「特異な活動をしている」ということはわかるが、その実績を社会に告知する媒体力が弱いように見える。書籍の有料頒布は制度的にできないという説明があったが、学校会計には研究教育活動で得られた収入の「戻入」という制度があるはずである(前任校では叢書の売り上げを毎年大学会計に戻していた)。一般書店での販売を視野にいれれば、研究誌の作り方はずいぶん変わるのではないかと思う。

5.自由記述

原理的なことを言うと、コミュニケーション能力というのは「円滑にコミュニケーションを進める力」のことではなく、「コミュニケーション失調に陥った状態から立ち直る能力」、「中断している回路を開通させる能力」のことである。コミュニケーション不全を「治療する能力」と言ってもよい。
すぐれた臨床医の場合と同じで、そのためには「使えるものは全部使う」というプラグマティズムと「出たとこ勝負」という覚悟が必要である。
こういう臨機応変の瞬発力を涵養するためにどういう体系的プログラムがありうるかということになると私にもわからない。とりあえずは、「そういうことができてしまう教員や専門家」たちを探し出して、学生院生たちの前に並べて、その手際を見せるしかないように思う。ある意味では、職人が弟子に伝えるような「技術知の継承モデル」である。現在の大学教育ではこのタイプの教育モデルは「前近代的」として廃絶されつつあるが、ぜひコミュニケーションデザイン・センターではこの貴重な学統を次代に繋いでいって欲しい。