裁判員制度の「成功」について

2013-01-23 mercredi

寺子屋ゼミでは前田さんの「裁判員制度」についての発表。
この制度の趣旨は理解可能なのだが、いったいどういう歴史的文脈の中で策定されたものなのか、ほんとうのところいったい「何を」実現しようとしているのか、そこがよくわからないと発表者は言う。
たいへんな手間暇とコストをかけた制度改革であるし、裁判員に選任された市民たちの負担も軽いものではない。そうである以上「こんな『いいこと』がある」あるいは「こんな『悪いこと』が除去される」というメリットの開示があってよいはずである。
それが、ない。
私自身もこの制度の議論ははじめのころから追ってきているが、「裁判員制度が始まると、司法はもっと身近になります」(法務省HP)以上の「よいこと」を示された記憶がない。
司法が市民の身近になるのはよいことである。
司法判断と市民感情のあいだの乖離はできるだけ少ない方がいい。
それに反対する人はいない。
でも、それは「これだけのコスト」に見合う成果なのか?
いつも口うるさく「効率」とか「費用対効果」とかいう官庁がどうしてこれほどわずかの「いいこと」のために、司法制度の基礎部分に手をつける気になったのか。
法務省はほんとうに「司法制度はこのままではダメになる」と思っていたのだろうか。
裁判員制度は、法科大学院や検察審査会と同じく、80年代からの行政改革の中に位置づけられる。
97年、橋本内閣の行政改革会議の最終報告でははっきりと「事前チェック・調整型社会から事後監視・救済型社会への転換を図るために」司法制度改革の必要性が指摘された。
90年代に大学改革にかかわった人間にはおなじみのフレーズである。
官庁が事前規制し、調整するいわゆる「親方日の丸・護送船団方式」から「規制緩和・事後チェック」への制度改革があらゆる領域で進められた。
今にして思うと、どうしてあれほどヒステリックに「事前審査から事後チェックへ」のシステム変換が求められたのか、その理由がよくわからない。
それまでの行政制度に「行き詰まり感」があったのは事実である。
もっと自由に、もっとフレキシブルに制度が動かせる方がいい。そうしないと「急速なグローバル化」に対応できないという言い分も、それだけ聞くとごく常識的である。
反対するいわれはない。

だが、それからの20年の経緯を私はとりあえず大学制度については「砂かぶり」で拝見していた。
大学の設置基準を緩和し、さまざまなプレイヤーが高等教育に参入できる門戸を開き、自由な競争をさせる。そうすれば、その中でもっとも効率よく、質の高い教育機関だけが生き残り、あとは「市場が淘汰する」という「適者生存説」が唱えられた。
大学の場合は「18歳人口の急減」と「大学急増」という二つのことが同時に起きたわけで、大学教職員たちの最優先課題は「どうやって市場の淘汰に耐えて生き残るか?」ということになり、研究教育は「どういう研究教育をすれば市場に好感されるか?」という問いの枠組の中で、つまり「商品開発やマーケティング」の用語で語られる副次的事案になった。
その結果日本の大学は「失われた20年」を経験することになったのである。
この間に「市場の淘汰圧」はもっぱら日本の学術レベルを引き下げることにしか働かなかった。
たしかに、「市場に選別されて生き残った大学」はある。
けれども、それは「学術的に高いアクティヴィティを発揮している大学」と同義ではない。
例えば、金を払えば学位だけ出す、いわゆる「degree mill」は学術的価値はゼロだが、市場からのニーズはある。教育コンテンツ・教育システムを規格化・標準化した「コンビニ大学」は格安授業料を実現できるから学士号を「教育投資」というタームで考える保護者はそういう大学を選好するだろう。
だが、それらは学術とも知性とも何の関係もない次元の出来事である。
とりあえず20年にわたる教育改革は、誰が読むのかわからない膨大なペーパーワークと、なぜあるのかわからない無数の委員会を作り出すことには成功した。
だが、それを相殺してあまりあるほどのどんな「よいこと」があったのか、私には思いつかない。

司法制度改革もまた同じ「外からのグローバル化圧・内からの市場淘汰圧にさらすことによる制度の改善と強化」という期待の文脈のうちに提案された。
だとすれば、結果も大学改革とあまり変わらないはずである。
司法制度改革審議会ではとりあえず「制度改革をする」ということについてだけは委員たちは合意した。
だが、英米型の陪審制度を導入するか、大陸型の参審制度を導入するかでは、意見がわかれた。
議論が膠着するなかで、あるヒアリングで「裁判員」という言葉が口にされた。
陪審制でも参審制でもないでもない「折衷」案である。
市民の評決参加に反対していた最高裁の抵抗がこれですこし軟化した。
2001年の1月のことである。
その5ヶ月後に、審議会は司法制度改革の答申を出している。
誰かが、あるいはある集団が、積極的に「これは素晴らしい制度である」と訴えて、情理を尽くして委員を説いて回り、粘り強く合意をとりつけて策定された制度ではない。
まあ、ナカとって、この辺ですかね・・・という「例のアレ」で決まった話なのである。
つまり、この制度改革には「ヴィジョンを持った提案者」がいないということである。
「ヴィジョンを持った提案者」がいないということは、それを是が非でも成功させねばならないというつよい使命感を持っている人間がいないということである。それが失敗したときに「すべては私の責任である」と思う人間がいないということである。
さいわい、裁判員制度ではまだそれほどの失敗は報告されていない。
どういう「いいこと」があるのか、よくわからないという程度で済んでいる。
ということは90年代以降の制度改革のうちでは、もしかすると「大成功」の部類に数えていいのかも知れない。

同じ文脈の中で2004年から始められた法科大学院制度はすでに破綻を来している。
全国20~30校程度を予定していたが、現実には74校が名乗りを上げ、いきなり供給過剰となった。合格率(5年間に3回受験した場合の累積合格率)も70~80%を予定していたが、現実には20~30%。さらに合格者は名門校に集中し、合格率の低いところは続々と定員割れを起こし、第三者機関から「不適切」の査定を受けた大学院も2010年度で22校に及んだ。2011年には入学者ゼロのために姫路獨協大学の法科大学院が廃校になったが、いずれ適正規模になるまで法科大学院の廃校の流れは止らないだろう。
ずさんな制度設計の結果、高額の授業料(私学だと、卒業時まで1000万に達する場合がある)を払った末に、30歳で無業者となる人々を量産するこの制度改革について、「私が悪かった」と言って陳謝した人のいることを私は知らない。

検察審査会は「訴訟の権限を独占していた検察官から市民が権利を取り戻す」という「いいこと」があるはずだったが、陸山会事件で明らかになったように、判断基準があいまいであり、「民意」という得体のしれないものが司法を混乱させている。これを「すばらしい制度だ」と評価する声を私自身は誰からも聞いたことがない。

私が知っているのは司法制度改革のこれらごく一部についてに過ぎない。
でも、それでもこの制度改革がほとんど「いいこと」をもたらさなかったらしいことは推定できる。
いったい、これらの改革は何を実現しようとしていたのか?
その所期の目的のうちの何が実現されて、何が実現できなかったのか?
それについて責任ある回答をする人が見当たらない。
「とりあえず始めてみて、うまくゆかなかったら、そのときに緻密に成否の経緯を吟味して、誤りを正し、うまくいった点を強化してゆく」というのが「事後チェック」ということの趣旨ではなかったのか。
お訊きしたいのは、その場合、「事後チェック・救済型社会」モデル導入の成否についての「事後チェックと救済」は誰が行うことになっていたのかということである。
もしかして、このときの制度改革論者たちは、自分が導入した「事後チェック・システム」の成否についての事後チェック・システムを何も講じないままに、制度を導入したのだろうか・・・