吉例2012年の十大ニュース

2012-12-31 lundi

吉例2012年の十大ニュース

恒例の「2012年の十大ニュース」の発表。
一年が「あっ」という間に過ぎてしまった。
もう2013年ですか・・・
「玉手箱を明けたらたちまち白髪の老人」という浦島太郎の感懐はおとぎ話ではなくて、加齢の実感だということがよくわかる。
気を取り直して、この1年間をふりかえってみたい。
1) 凱風館道場に人がどんどん入門してきた。支部がどんどんできた。
光嶋裕介、神吉直人、三島邦弘、森田真生と前途洋々たる青年たちが続々と凱風館の門人になって、道場が急速に「梁山泊」化してきた。
これまでの傘下3道場(佳奈ぴょんの「合気道芦屋道場」、ウッキーの「芦屋合気会」、はるちゃんの「合気道高砂道場)に加えて、新たにさまざまな試みが始まった。はるちゃんの「ヨハンナ稽古」、社長の「足捌き部」、ドクターの「気の錬磨と当事者研究」、篠原さんの「ささの葉合気会」、トーザワ青年の「お稽古会」、アーサーの「踊らないダンス教室」Platform。来春には清恵さんの大阪の道場もスタートする。
できるだけ「教える立場」を経験するように、というのは多田塾甲南合気会の基本方針である。
自分が「エンドユーザー」であれば、術技や術理が不正確であっても、それで困るのは自分ひとりである。教えられた技に得心がゆかなくても、身体に違和感があっても、スルーすることができる。
自分が「教える側」であり、「パッサー」であるということは、「自分の不具合」が自分ひとりの問題ではなくなるということである。
「自分からパスを受け取る人たち」のために稽古しなければならない。
そのようなマインドで稽古するものと、自分ひとりのために稽古するものとの差は本人が思うよりもはるかに大きい。
2) たくさんのイベントを開いた。
自分の道場を持つことで「好きなことが、好きなときに、好きなだけできる」環境が整った。
さっそく今年開いたのは
多田宏先生の合気道講習会、甲野善紀先生の武術講習会、光岡英稔先生のナイフと意拳の講習会、安田登さんの甲骨文字と能楽のワークショップ、高橋佳三さんの武術的身体運用講習会。
いずれも来年以降も継続的に開催される予定である。
守伸二郎さんの講習会は3月から隔月で行われる。
3) スピンオフ加速する。
拠点ができるとそこから「リゾーム」状に活動が拡がってゆく。
いったいいくつ「部」ができたのだろう。
中心にあるのはもちろん多田塾甲南合気会と甲南麻雀連盟。
そこから派生したクラブ活動は私が把握しているだけで以下の通り。
ジュリー部(ジュリーの歌をカラオケで歌いまくるクラブ。なぜか最大派閥)、巡礼部(前田さんとシンペーくんが主宰する聖地巡礼活動。目標はサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼。釈先生と私の『聖地巡礼』プロジェクトを支えてくれている)、江弘毅とワンドロップ(江さんがバンマス、エレクトのおじきが音楽監督、イーダ先生がリードヴォーカルをつとめるラテンバンド。レパートリーも増え、クラブデビューも飾った)、おでん部(ジローくんが「ちくわぶ」を伝道しているC級グルメ部)、フットサル部(ワンドロップとともにこの一年もっとも活動的であったクラブ。さ兄さんとかんきちくんが幹事)、昭和歌謡部(最近できた。MBSの福島くんとナカノ先生とくろやんが昭和歌謡を歌いまくるらしい。ようしらんけど)、不惑会(ドクター佐藤と青山さんと西さんがしみじみしているクラブ)、うな正会(「街の悪いうなぎを正す会」。江さんとドクターが創立メンバー。鰻好きのナカノ先生と釈先生と私もまぜてもらいました)、ス道会(大学には「極楽スキーの会」があるが、道場にスキーの会がなかったので、去年からタニオさんが幹事となって創設。高橋佳三さんをコーチに迎えて神鍋高原で武道スキーと蟹三昧)、シネマ部(光安さんが主宰するコアでディープな映画鑑賞会)、蹴球廃人連盟(清恵さんが主宰しているサッカーを深夜から早朝にかけてテレビで見るために全員社会的に廃人化するプロジェクト)、ちはやふる部(毎年お正月に着物を着て百人一首をする会)。
ほかにもいろいろあるらしいけれど、もう思い出せない。たぶん来年もさらにスピンオフは増殖するのであろう。
4) 凱風館まわりで結婚・出産ブーム止まず。
今年も結婚・出産が続いた。結婚は大迫力・裕子、神吉直人・さやか、森田真生くんご夫妻。ご出産は常田くん・汐ちゃんと小野くん・澪ちゃん、谷口さんのところも今年でした。
みんなおめでとう!お幸せに。
4のB)これはびっくりの婚約発表。凱風館的には今年最大の「びっくり」事件だったのだけれど、本人たちからの許可がまだないので、しばらくは氏名非公開。
5) おともだちがAERA「現代の肖像」に連続出演
小田嶋隆、釈徹宗、森田真生、三島邦弘と友人たちが続々と「現代の肖像」に取り上げられ、周辺取材が私のところにも来た。
年間に4人というのはかなりの比率である。
別に「いもづる」式に次の取材先を探しているわけではなく、同時並行的に複数のライターが長期の取材をしている企画であるから、「たまたま」なのである。
6) 今年もたくさん本を出した。
『街場の読書論』(太田出版)、『街場の文体論』(ミシマ社)、『日本の文脈』(中沢新一との共著、角川書店)、『この国はどこで間違えたのか-沖縄と福島から見えた日本』(小熊英二ほかとの共著、徳間書店)、『ぼくの住まい論』(新潮社)、『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』(高橋源一郎との共著、Rocking on Japan)、『辺境ラジオ』(名越康文、西靖との共著、140B)、『荒天の武学』(光岡英稔との共著、集英社新書)。
文庫化されたのは『昭和のエートス』(文春文庫)、『九条どうでしょう』(平川克美、小田嶋隆、町山智浩との共著、ちくま文庫)、『いきなりはじめる仏教入門』(「いきなりはじめる浄土真宗」を改題。釈徹宗との共著、角川ソフィア文庫)『はじめたばかりの浄土真宗』(釈徹宗との共著、角川ソフィア文庫)。
翻訳は『日本辺境論』(中国語版、韓国語版)、『街場の教育論』、『先生はえらい』、『若者よマルクスを読もう』、『私家版・ユダヤ文化論』(以上、韓国語版)。
疲れるはずだ。
7) 韓国に行って、読者たちに出会った。
これがあるいは今年最大のイベントかもしれない。
韓国では私の本は三つの出版社から出ている。そのうち二社(ミンドルとガラパゴス)のご招待で8月15日から17日までソウルを訪れた。
金浦空港でミンドルの金敬玉さん、ガラパゴスの金さん、そして朴聖煥先生に迎えて頂いた。
朴先生についてはすでに断片的に書いたが、金敬玉さんからの事前の紹介ではこんなふうに書かれていた。
「パク•ソンジュン先生は、1970年代の朴正煕軍事独裁政権下で民主化運動をなさって長い年月刑務所生活をしました。出獄後、大学で講義をしたりしました。
また人文学の学習運動の必要性を痛感し、2006年ギルダム書院を作りました。
ギルダムという名前は、内田先生の街場のような意味で私は理解しています。
パク•ソンジュン先生は70代半ばの年齢にもかかわらず、書院で大衆と熱心にコミュニケーションし、世の中の変化のために活動してます。
数年前に内田先生の本を偶然書店で出会った後、その研究に邁進したそうです。
パク•ソンジュン先生の奥さんは、韓明淑という盧武鉉政府の時に総理大臣を務めた方です」
第一日は新聞の取材のあと、朴先生の主宰するギルダム書院で講演。
翌日は読書会のメンバーと昼食会、そのあと教育関係の方たちとトークセッション、夜は市民対象の講演。思いがけなく若い聴衆が多くて驚いた。講演後、ずいぶんたくさんの若い人たちが私の著書を持ってきてサインを求めてくれた。
第三日も新聞社の取材。そのあとみなさんと昼食をとって、朴先生の熱いハグを受けて金浦から飛び立った。
取材記事はそのあと釜山大学の朴東燮先生が訳して送ってくれた。
http://blog.tatsuru.com/2012/08/28_1111.php
http://blog.tatsuru.com/2012/08/20_0918.php
帰国後、ガラパゴスの白さんという若い女性編集者にお礼のメールを書いた。
そのときの気分がよく出ているので、メールをそのまま採録しておく。
「韓国滞在はすばらしい時間でした。
ギルダム書院の朴聖焌先生とお会いできたことが、今回のソウルでのさまざまな出来事の中でもっとも印象に残ったことでした。
先生のような、国家権力と個人で対決して、屈服しなかった知識人というものを私たちの国では、もうリアルな存在として見ることができません。
戦後67年間にわたる平和と繁栄の代償として、私たちの国には、「硬骨の知識人」というものを失ってしまったのです。
もちろん、政府機関や秘密警察が市民を弾圧するような政体はすこしも望ましいものではありませんが、そのような体制が「ほんとうに信頼するに足る人間」とそうでない人間を区別できる「人間を見る眼」のたしかさを作り出したのは確かだと思います。
釜山大学の朴東燮先生も、ミンドルの金敬玉さんも、朴先生をみるときの眼が「きらきら」していました。
信頼でき、尊敬できる年長者をもつことが若い世代にとっては、心の支えになるということがよくわかりました。
日本でも若い人たちは孤立させられ、劣悪な雇用条件に追い込まれています。政治家もメディアも、「経済成長」に夢中で、若い人たちにどのような生きやすい環境を提供するか、若い人たちの市民的成熟をどう支援するか、というような問題にはほとんど関心を示しまていません。
その点では、韓国も日本もそれほど事情は変わらないだろうと思っています。
でも、次世代を担うのは、白さんのような若い世代です。
その人たちを同世代間での競争に追い込み、心身を疲労させれば、いずれ社会そのものの土台が崩れてしまうことに、ほとんどの人々はまだ気づいていません。
ガラパゴスやタンポポやギルダム書院は、そういう若い人の知性的・感性的な成熟を支援するための、自主的な試みだと僕は思います。
もう政府や行政には任せておけない。若い人は自分たちの手で支援しなければならない。そういうふうに考える大人たちが少しずつ増えているのだと思います。
日本の凱風館で僕がやろうとしていることと、深いところでつながる、そういう市民たちの運動と出会うことができて、ほんとうにうれしく思いました。
白さんもがんばってくださいね。
ガラパゴスの林社長、金さんにもよろしくお伝えください。
どうもありがとう。」
8) その朴聖煥先生がギルダムの講演のときに通訳をしてくれた金京媛さんとご一緒に日本語勉強グループを引率して凱風館を訪れ、寺子屋ゼミのメンバーと合同ゼミを開いてくれたことも十大ニュースに入る。
9) 初能『土蜘蛛』を披く。
能楽を始めて15年。はじめての能で『土蜘蛛』のシテを演じた。
ツレの頼光を佐藤“ドクター”友亮さん、胡蝶を飯田祐子先生に、ワキは福王茂十郎先生にお願いした。
これで9個。
あとのひとつは「オープンエンド」で席をひとつ空けておくことにする。
(追伸:新聞社からの問い合わせで調べたら、合気道七段昇段が今年の一月であることを思い出した。去年のことだと思い込んでいた。これで十大ニュースになった)
今年も忙しい、でも生産的な一年であった。
来年も凱風館で愉快な出会いを経験ができることを祈りたい。

すべての方々が佳き年を迎えられますように。