朴聖焌先生のこと

2012-12-26 mercredi

朴聖焌先生と『日本辺境論』の韓国語訳者である金京媛先生がギルダム書院の日本語クラスのみなさん13人と一緒に昨日凱風館を訪れてくれたので、日韓合同ゼミが開かれた。
安藤忠雄の「光の教会」と直島を訪ねるツァーの途上である。
この日本語クラスは私が8月にソウルを訪れてギルダム書院で講演をした後に始まって、最初のテクストが『日本辺境論』で、それを読み終えての訪日である。
日本語クラスの次のテクストは光嶋くんの『みんなの家』だそうである。
テクストを読んだら、書いた人間に会いに行く。
「みんなの家」凱風館を見学して、建築家自身の話を聞いてから、それが建つまでの経緯を書いた本を読む。
朴先生ならではの「現実主義」の本領が伺い知れる。
この合同ゼミはついこの間ソウルに別件で訪れた光嶋くんがギルダム書院に行って、朴先生と意気投合して、決めてきた話である。
光嶋くんも朴先生も話が早い。
朴聖焌先生については、前に少し紹介したことがある。
軍事政権時代にソウル大学で経済学を学んでいたときに、反共法で逮捕拷問投獄されて、13年半獄中にあり、出獄後アメリカで神学の学位をとって、日本にも滞在されていたことがある老学究である。
今はソウルでギルダム書院という書店、カフェ、画廊、コンサートホールを主宰している。
金浦空港ではじめてお会いしたとき、キャリーバッグから無数の付箋のはりついた私の本を何冊も取り出して「これだけ読みました」見せてくれた。
朴先生と私をつないでくれたのはレヴィナスである。
先生は長くキリスト者として生きてきた。神学者として研究生活を送り、布教や伝道に携わってきた。
けれども、七十歳に近づいた頃、長い眠れぬ夜に「自分にはほんとうに信仰があるのか」を自問したとき、「ある」と言い切れない自分に向き合うことになった。
信仰の支援なしで、なお人間として倫理的に生きることは可能だろうか。
それについて考えているときに先生はレヴィナスに出会った。
正確にはレヴィナスという「名前」に出会った。
レヴィナスの主著は韓国語に訳されていない。
オランダに留学していたある韓国人研究者の論文にレヴィナスについての言及があり、それを一読して、「この人の本を読みたい」と思った。
そのためにフランス語を学び始めた。
哲学書も読み出した。
朴先生は日本語にも堪能なので、レヴィナスについて書かれた日本語の文献を渉猟し、そのとき私の著書に出会ったのである。
『レヴィナスと愛の現象学』と『他者と死者』を読んで、朴先生はおそらく「信仰の支援ぬきで、イデオロギーの支援抜きで、倫理的に生きるための規矩」をレヴィナスのうちに求めている年下の日本人研究者に何か共感するものを覚えたのではないかと思う。
レヴィナスの他者論は、ホロコーストの後、ヨーロッパのユダヤ人たちが、「神に見捨てられた」と思い込んで信仰に背を向けようとしているとき、彼らを信仰に引き留めるために錬成されたものである。
神はその民を救うためにいかなる天上的な介入もされなかった。
それを「神の不在」だとみなして、棄教の誘惑に屈しかけた同宗者たちに向かって、レヴィナスはこう語った。
ホロコーストは人間が人間に対して犯した罪である。
神は、人間が神に対して犯した罪は赦すことができるが、人間が人間に対して犯した罪をとりなすことはできない。
それは人間の仕事である。
自分たちの住む世界を人間的なものにするのは人間の仕事である。
もし、神が人間に代わって世界に整序をもたらし、手際よく悪を罰し、善に報いたら、人間は無能な幼児のままでよいことになってしまう。
神が完全に支配する世界で人間は倫理的である必要がない。
倫理的であるとはどういうことかを思量する必要さえない。
神が人間に代わってすべてを整えてくれるからである。
神なしでは何もできない人間を創造することが神のめざしたことだったのだろうか。
もし神がその名にふさわしい威徳を備えているなら、神は神の支援抜きでこの世界を人間的なものたらしめるだけ霊的に成熟した人間を創造されたはずである。
「唯一なる神に至る道程には神なき宿駅がある」(『困難な自由』)
この「神なき宿駅」を歩むものの孤独と決断が主体性を基礎づける。
「秩序なき世界、すなわち善が勝利しえない世界における犠牲者の位置を受難と呼ぶ。この受難が、いかなるかたちであれ、救い主として顕現することを拒み、地上的不正の責任を一身に引き受けることのできる人間の完全なる成熟をこそ要求する神を開示するのである。」(同書)
朴先生はこのレヴィナスの曲がりくねった弁神論の理路をたどることで一度無神論を経由することによって再びおのれの信仰を基礎づけるという困難な道筋を歩もうとされているのではないか。
そんな気がする。
先生は「受難」された人である。
朴先生を13年半獄舎に投じたのは先生の同国人たちである。
先生が戦前の日本の改造社版の「マルクス全集」を所持していたことを咎めた人たちは「マルクス主義」というのがどんな思想であるのかさえ知らなかった。
朴先生自身も知らなかった。
その書物を手に入れたのは「マルクス主義というのはどういう思想か」を誰も教えてくれなかったからである。
若い学究の知的好奇心に非人間的な罰を与えたのは彼の同国人、彼と同じ言葉を話し、彼と同じように祖国を愛し、家族を愛し、勤勉に職務に励む人たちであった。
先生の苦しみは「人間が人間に対して犯した罪」である。
それを正すのは人間の仕事であって神の仕事ではない。
先生は「受難者」という立ち位置から、そう考えられたのではないかと思う。
朴先生がどんなことを話されたのかについてはまだ記しておきたいことがあるが、今日は昨日の英語でされた講演を紹介するにとどめておく。
これは先生がアメリカのユニオン神学校に留学していたときに、獄中体験について語って欲しいと乞われて話したものの一部分である。
英文の原文は朴先生から頂いた。昨日のゼミに出ていない方たちにも読んで欲しい。
英文のあとに私訳を付しておく。

I have been in the prison for 13 and half years as a political prisoner.
When I was first imprisoned, I was cast in a tiny solitary cell for the first six months without being permitted even a book to read. I was hungry and so lonesome.
But the greatest hardship I met with in prison was that there was no music there. But later on I came to know that music was there. In summer, when it began to rain at a distance, first came the smell of dust and then the sound of rain. It came nearer and nearer to my attentively listening ears. The sound became bigger and bigger and bigger. And suddenly the rain began to pour down and drummed violently on the tin-roofs of the old prison buildings. Then there were the sound of the water gushing out of the gutters and the creaks of the iron bars and the gates. Throughout the prison there was a flood of music. And suddenly the lightening came running across the sky and the thunder a little later, making the musical performance more dramatic. What a spectacular music it was!

In the yards and in every nook and cranny there grew various kinds of plants. Even out of the cracks on the high concrete fence there were living tiny wild plants. They had their four seasons. In spring, they awoke and raised their green fists. In summer, they boasted of their exquisite flowers. In autumn, if a careful observer, you could watch how they were busy with the harvest. And in winter, the thin dry stalks of wild plants, high up on the top of the concrete wall, were waiting for the spring to come enduring steadfastly the piercing north wind.
The winter in prison was terribly cold. There were no stoves, no heating system whatsoever. The temperature in the room was almost the same as that of the outside of the building. If you put a bowl of water in your room, you would find a lump of ice in there in the morning. In the freezing night I was cold and lonesome. Yet my consciousness became so still and so concentrated and my senses so keen and vulnerable. My breathing became silent prayers. When there was a full moon in the cold sky, the moonlight flooded in through the small window of my cell and painted blue waves of the ocean on the opposite wall. I arose and tiptoed to look out at the trees in the yard. In the moonlight they were thrilling with joy as well as with cold, just as I was. I said ‘Hi’ to them in a low, quiet voice and they returned ‘Hello’ in a shy motion, we could have long consoling talks with each other.
But, alas! Since I was released, I have lost that stillness in the routine of daily life.

私は政治犯として13年半獄中にありました。
私が最初に投獄されたとき、私は六ヶ月間狭い独房に放り込まれました。そこでは一冊の本を読むことも許されませんでした。私は飢えて、そして孤独でした。
監獄にいていちばんつらかったことはそこに音楽がないことでした。けれども、やがて私はそこにも音楽があること知りました。夏になって、遠くに雨の気配がした時のことです。最初は埃の匂いがして、それから雨音が聞こえたのです。雨音は聞き耳を立てている私の耳元までしだいに近づいてきました。音はしだいに大きく、大きく、大きくなりました。そして突然雨が降り注ぎ始め、古い獄舎のトタン屋根を荒々しく叩き始めたのです。雨樋を流れ落ちる水音と鉄格子と鉄の扉をきしませる音が響き渡りました。次いで稲妻が空を切り裂き、少し遅れて雷鳴が轟き、この音楽の演奏をさらに劇的なものとしたのです。なんとみごとな音楽だったことでしょう!

庭にも隅にも割れ目にもさまざまな種類の植物が繁茂していました。高いコンクリート壁の亀裂からさえ生命力あふれる野生の植物が生えてくるのです。植物たちにはその四季があります。春には、植物たちは目覚め、その緑の拳を突き上げます。夏には見事な花を誇らしげに咲かせます。秋には、子細に観察すれば、彼らが収穫に忙しい様子が見て取れるはずです。そして冬になると、その細く乾いた茎は、コンクリート壁のはるか上で、刺し通すような寒風にしっかりと耐えながら、春の到来を待つのです。
冬の監獄は恐ろしい寒さでした。そこにはストーブも、およそ暖房器具に類するものは何一つありませんでした。室温はほぼ外気温と同じでした。ですから、室内の器に水を張っておくと、翌朝にはそれが氷の塊になっているのです。凍えるような夜、私は冷え切って、ひとりぼっちでした。しかし、私の意識は鎮まり、深まり、五感はひりひりするほど鋭敏でした。私の息づかいは沈黙の祈りに似たものとなっていました。寒空に満月が浮かぶと、月光は独房の小さな窓を通して獄舎のうちに溢れかえり、反対側の壁に大海原の青い波を描き出します。私は起き上がり、つま先立ちになって庭の木々を眺めました。月光を浴びた木々は喜びと寒気で震えていました。私もそうでした。「やあ」と私は低い、静かな声で彼らに呼びかけました。「やあ」と彼らははずかしそうに身をよじって返答してくれました。そんなふうにして私たちは長い間、心を慰めるおしゃべりを交わしたのです。

しかし、何と言うことでしょう!あの静けさは釈放されてから後、日々の生活の営みにまぎれているうちにかき消えてしまったのでした。