技術評論社の安藤さんから「若い読者のための選書60冊」を頼まれた。
本屋さんで『最終講義』の刊行イベントとして、お薦めの本を選んで、それを並べて、あわせて買って頂こうという趣旨のものである。
本を選ぶのはたのしい仕事なので、さくさくと60冊選んだ。
もうフェアは終わってしまい、「どんな本を選んだのか知りたい」という人からメールがあったので、ご参考のために掲げるのである。
こんなのでした。
「日本および日本人論」として読むべき本(35)
『福翁自伝』(福沢諭吉)
『明治十年 丁丑公論・痩我慢の説』(福沢諭吉)
『氷川清話』(勝海舟)
『柳北奇文』(成島柳北)
『勝海舟』(子母沢寛)
『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)
『坂の上の雲』(司馬遼太郎)
『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人)
『澁江抽斎』(森鴎外)
『断腸亭日乗』(永井荷風)
『「坊っちゃん」の時代』(関川夏央・谷口ジロー)
『日本の思想』(丸山眞男)
『日本人の法意識』(川島武宜)
『「甘え」の構造』(土居健郎)
『「いき」の構造』(九鬼周造)
『忘れられた日本人』(宮本常一)
『風土』(和辻哲郎)
『文明の生態史観』(梅棹忠夫)
『呪の思想』(白川静・梅原猛)
『思い出袋』(鶴見俊輔)
『戦中派不戦日記』(山田風太郎)
『共同幻想論』(吉本隆明)
『逝きし世の面影』(渡辺京二)
『ヨーロッパ退屈日記』(伊丹十三)
『ものぐさ精神分析』(岸田秀)
『父・こんなこと』(幸田文)
『細雪』(谷崎潤一郎)
『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎)
『堕落論』(坂口安吾)
『愛と幻想のファシズム』(村上龍)
『あ・じゃぱん!』(矢作俊彦)
『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹)
『さようなら、ギャングたち』(高橋源一郎)
『橋』(橋本治)
現代日本とはずいぶん離れたところにいる人たちに共感するためのレッスン本(15)
(ちょっとフランスに偏っているのは私の趣味です)
『火を熾す』(ジャック・ロンドン)
『あしながおじさん』(ウェブスター)
『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)
『桜の園』(チェホフ)
『悪霊』(ドストエフスキー)
『飛ぶ教室』(ケストナー)
『魔の山』(マン)
『異邦人』(カミュ)
『夜の果てへの旅』(セリーヌ)
『陽はまた昇る』(ヘミングウェイ)
『ザ・ロング・グッドバイ』(チャンドラー)
『エピクロスの園』(フランス)
『パルムの僧院』(スタンダール)
『感情教育』(フローベール)
『自由への道』(サルトル)
『阿Q正伝』(魯迅)
『山月記・李陵』(中島敦)
知性にキックを入れるために読む本(10)
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(マルクス)
『悲しき熱帯』(レヴィ=ストロース)
『精神分析の四基本概念』(ラカン)
『開かれた社会とその敵』(ポパー)
『精神分析入門』(フロイト)
『善悪の彼岸』(ニーチェ)
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(ウェーバー)
『孔子伝』(白川静)
『唯脳論』(養老孟司)
『アースダイバー』(中沢新一)
同じころに、「大学生のためのブックガイド」というのも頼まれた。
それは5冊限定だったので、選んだのはこれ。重複したのもある。
「大学生が読んでおくといい本」
若い人のブックガイドを頼まれると、なんとなくわくわくします。
それは「こういう本を読め」とえらそうに言えるのがうれしいからではなく、「この本をまだ読んでいない人がこの本を読んだら、世界が一変するかもしれない」と想像するからです。本を閉じて顔を上げたときに、読む前とは「別人」になっているような本をお勧めせねば・・・と考えて、5冊を選びました。
カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(平凡社ライブラリー)。
1851年のルイ・ボナパルトのクーデタをリアルタイムで分析したマルクスの著作です。「ジャーナリストとしてのマルクス」の天才性が堪能できます。それがどうした、と思う人がいるかも知れませんけど、みなさんは例えば、現代の政変(リビアの革命とか、日本の政権交代とか)についてひとりのジャーナリストが書いたドキュメントが150年後にも読むに耐えるという事態が想像できますか?僕にはできません。この本でマルクスは隣国で起きたある政治事件についてのノンフィクションを書いているだけなんです。その分析が150年後も胸がどきどきするほどスリリングであるというのは、そのときのマルクスがほとんど鳥瞰的な視点から地上の事件をおおづかみに見下ろしていたということです。レヴィ=ストロースは学術論文を書き始める前には必ずこれか『経済学・哲学草稿』を何頁か読み返すことにしていると書いていました。知性に「がつん」とキックが入るらしいです。
クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(中公クラシックス)。
レヴィ=ストロースは僕が知る限り「歴史上もっとも頭のいい人」の一人です。そのレヴィ=ストロースが文化人類学という生まれたばかりの学問を選び、そのフィールドワークにアマゾンの奥地にでかけるまでの自伝的なドキュメントです。「頭がいい」というのはいろいろな意味がありますけれど、「人間の知性って、一息で『そんなところ』まで行けるの?」という「思考の肺活量」に何より驚嘆します。
あと、僕はこの人から「悪口の言い方」を学びました。鮮やか過ぎて「斬られた人がわからない」くらい悪口うまいです。
鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)。
鶴見さんの文体は「にべもない」のが特徴です。飾らない、言い訳しない、自己正当化しない。いきなりずばっと核心に入ります。武道的な比喩を使って言うと、「斬る」には、鋭利なメスのような薄刃のもので「切り裂く」のと、重たい斧のようなもので「斬り潰す」の二つがありますが、鶴見さんの切れ味は後者の方です。こういうタイプの知性は日本には珍しい。
一番「来た」ところを引用しておきます。ハーヴァード大学にいた鶴見さんが、日米戦争が始まり、交換船で帰ることを決断したときの話。「この戦争で日本が米国に負けることはわかっている。日本が正しいと思っているわけではない。しかし、負けるときには負ける側にいたいという気がした。」
白川静『孔子伝』(中公文庫)。
白川先生のことを僕は直感的に「戦後日本でいちばん偉い学者だ」と思っています。白川先生は超人的な画像記憶力の持ち主で、古代の漢字が専門なのですが、どうも一度見た文字(発掘された甲骨や石盤や金属に手彫りしてある数十万ものそれぞれかたちの違う文字ですよ!)を全部記憶していたらしい。それを脳内で高速度でスキャンすることで、漢字の古義を「幻視」する。だから、白川先生の漢字学は基本「断定」です。「古代中国においては、こうであった」と「見てきたように」断定する。でも、あれは「ほんとうに見てる」から書けるんだと僕は思います。すごい。
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)。ランニング論であると同時に文学論であるという不思議な書物です。僕は「合気道論であると同時にレヴィナス論でもある書物」を書くことをライフワークにしているので、この本は今のところ最高の「先達」です。村上さんはご本人が繰り返し言うように「文学的天才」にそれほど恵まれていたわけではないかも知れません。でも、自分の中に潜在する才能(身体資源も知性も想像力も含めて)を最大限まで開花させるための努力においてはほとんど超人的です。才能は学ぶことができませんが、才能を開花させる方法は学ぶことができます。
(2011-09-29 12:19)