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「存在しないもの」との折り合いのつけ方について

ニ期倶楽部というところがやっている「山のシューレ」という催しに呼ばれて、那須高原で二日過ごした。
能楽師ワキ方の安田登さんが対談の相方にお呼び下さったのである。
お題は「能の身体性、能の霊性」。
これまで安田さんとは能楽について何度か対談している。そのつど、だんだん話が深くなる。
先方は玄人、こちらは馬齢は重ねても所詮素人であるから、専門的なことはよくわからない。
けれども、二人とも興味があることが近い。
それは「存在しないもの」とのコミュニケーションである。
「存在しないもの」、端的には「死者」のことあるが、より広く「絶対的他者(Autrui)」と呼ぶこともできる。
神も悪魔も、すべての神霊的なもの、天神地祇、妖精も鬼も河童も山姥も含めて、「存在しないもの」と呼ぶことができる。
「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'être) 私たちに「触れてくる」。
端的には「夢を見ているとき」がそうである。
夢の中で私たちが経験する出来事や、そこで出会うものたちは「存在しない」。
けれども、夢の中ではありありと存在している。
そこで私たちが経験する不安や恐怖は「本物」である。
ただし、私たちはそこから逃げることができる。
夢の中で耐えがたい苦痛や恐怖を経験しているとき、それがある閾値を超えると、私たちは厭な寝汗をかいて、はっと目を覚ます。
そして「ああ、夢だったのか・・・」と呟くことができる。
けれども、それはやはり一種の経験であって、夢の中の出来事を経由したことによって私たちのものの見方は変わる。
『邯鄲』の夢枕で盧生は粥の炊けるまでのわずかな時間のあいだに夢の中で数十年に及ぶ人生を駆け抜けるように生きる。そして、目覚めたときにはその分だけ年を取って「現実」に戻ってくる。
もちろん、その経過時間は脳内現象であって、身体的には数分前のままとほとんど変わらない。
けれども、盧生は「主観的には」それだけの歳月を生きたのである。
現に、その夢のあと、盧生は大悟解脱を求めるはずの旅を打ち切って、故郷に戻ってしまう。
それが現実の人間の生き方を変えてしまうのであれば、この夢の中で経験したことは、盧生にたしかに「触れた」ことになる。
「存在するとは別の仕方で」とは、このことである。
私たちは「存在しないもの」に囲繞されている。
私たちの外部にある「自然」は先へ先へと触手を伸ばすと、どこかで「そこから先にはもう手が届かない境位」に達する。私たちは「宇宙の果て」のさらに先に何があるかを私たちが理解できる言語や感覚に即しては語ることができない。
だとすれば、それは定義上は「存在しないもの」である。
私たちの内側に垂鉛を下ろしていっても、同じである。
分子の向こう、原子の向こう、素粒子の向こう・・・と現に存在している私たち自身の内部に深く深く踏み込んでゆけば、やがて、私たちの言語や感覚に即しては語ることのできない境位に達する。
私たちが「存在する」とか「存在しない」とかいう識別法を当てはめて論じることのできる範囲は実は非常に狭い。
「存在する/存在しない」という二分法が適用できる界域は果てしのない「存在しないもの」に覆われているのである。
そのような捉え方をすれば、私たちにとってとりあえず進化上の喫緊の課題が何かはわかるはずである。
それは「存在するもの」の領域をすこしずつ押し拡げ、「存在しないもの」を「存在するもの」に繰り込むことである。
宇宙開発も、分子生物学も、その意味では同じことをしている。
だが、私たちが論じているような「ゲートキーパー」の仕事は、「ゲート」を大きく拡げて、人間たちの領域を拡大することよりもむしろ、「ゲートを守る」ことに軸足を置いている。
「ゲートキーパー」は境界線を超えて「漏出」してくる「もの」たちを防ぎ止めることを主務としている。
ただし、「防ぎ止める」というのは「追い出す」ということではない。
そうではなくて、「お引き取り願う」ということである。
むりやり境界線の向こうに押し戻すのではなく、できることなら、自主的に「帰る」ように仕向けることである。
でも、「じゃあ、帰る」と言わせるためには、その前にひとしきり、彼らが「じたばた」するのに耐えなければならない。
デリケートな仕事である。
「存在しないもの」たちと「交渉する」ためにはどのような能力が要るのか、どのような技法がありうるのか。
「存在しないもの」は秩序の周縁に、理性の統御が弱まるところに出現する。そこをある種の「受信能力」を備えたものが通りかかると、それを手がかりにして、「それ」は境界線の向こうから「漏出」してくる。
能におけるワキの多くは「旅の僧」である。
彼は秩序の周縁である土地に、日のくれる頃に、疲れきってたどり着く。
彼はそこに何らかの「メッセージ」をもたらすためにやってきたわけではない。
むしろ、何かを「聴く」ためにやってきたのである。
彼はその土地について断片的なことしか知らない。だから、その空白を埋める情報を土地のものに尋ねる。
そして、その話を聴いているうちに眠りに落ち、夢を見る。
これが「存在しないもの」との伝統的な「交渉」の仕方なのである。
そして、その一場の劇が終わったとき、「それ」は立ち去り、私たちの世界と「存在しないもの」の世界のあいだの「壁」の穴は修復され、「ゲート」は閉じられる。
そのような仕事を私は「インターフェイスのメンテナンス」と呼んでいる。
この仕事は、「一回やったらおしまい」というものではない。
「どぶさらい」と同じように、エンドレスで行い続けなければならない。
それは積極的に何か目に見える「価値」や「意味」をもたらすわけではない。
「災厄が起こらなかった」というのが、彼らの仕事が順調に推移している証拠なのだが、「起こらなかった災厄」をカウントする計数能力が私たちにはない。
だから、彼らはふつう誰からも感謝されず、誰からも敬意を示されない。
かつて「遊行の民」と呼ばれた人々は、この社会的な責務を担っていた。
その「呪鎮」儀礼は古代から、もっぱら音楽と舞踊と詩歌の朗唱を通じて行われた。
だから、私たちはせいぜいこの芸能を享受したり、巧拙を論じたり、それについての美学を構築するような迂回的な作業を通じてしか、この働き人に報いる方法を知らないのである。
西行は源平の戦いの後、国内を巡歴して、死者たちのために鎮魂歌を歌った。
その時代における最大の「祟り神」は崇徳上皇の怨霊であった。
西行は崇徳上皇が葬られた白峯陵に詣でて、一首を詠み、上皇の霊はそれによって鎮まったと伝えられている。
安田さんによると、芭蕉の「奥の細道」もほとんど趣旨は同じ呪鎮の旅だそうである。
芭蕉が鎮魂しようとしたのは、源義経一行である。
義経と弁慶もまた、その供養の仕方を誤ると、巨大な「祟り神」として王土に障りをなす可能性のある存在だった。
だから『平家物語』から能楽(『鞍馬天狗』、『橋弁慶』、『船弁慶』、『安宅』、『正尊』、『摂待』などなど)に至る無数の芸能によって慰撫されなくてはならなかったのである。
芭蕉の旅はその最後の大きな試みであり、それを芭蕉は「西行のまねび」というかたちで実行した(というのが安田説)。
私自身は武道の修業というのは、この「『異界』とのゲートのメンテナンスができるような心身の能力開発」と共通する要素が強い、と考えている。
芸能であれば、美的な観点からそれを賞美するというかたちでインセンティブが示されるが、武道の場合はやや違う。
「ゲートキーパー」の「メンテナンス能力」は「災厄の接近」を予兆的に感知する「アラーム」の能力に近く、また芸能による呪鎮の原基的形態である「群舞・群唱」は「気の感応」や「合気」という機微に通じる。
能については、そんな話をしたのである。
あまりに変な話なので、会場の皆さんには気の毒なことをした。
でも、それにも懲りずに、そのあとはさらに安田さんと今度は「論語」をめぐって、同じ位(もっとかも)変な話を2時間にわたって繰り広げたのである。
さいわい、この二つのセッションは音声を収録してあるので、活字化することに
安田さんと衆議一決。
3秒考えて、新潮社の足立さんに頼みましょう、ということになりました。足立さん、よろしくね!


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2011年07月31日 17:03 に投稿されたエントリーのページです。

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