東京死のロード対談四連発

2011-02-24 jeudi

死のロード、対談4連発ツァーを終えてようやく帰宅。
疲れました。
あまりに忙しかったので、何をしたのかツイッターでもぜんぜん報告できなかったので、備忘のためにここに記す。
2月22日
昼から東京へ。渋谷のセルリアンタワーホテルにて、まず『芸術新潮』の取材の続き。足立真穂さん、光嶋裕介くんももちろんいっしょ。
どのようにして光嶋くんを建築家に選ぶことになったのかについて、同じ話を4回目くらいだけど、またする(そのつど内容が変わるが)。
しかし、「麻雀の負けっぷりがよかったから」というのはほんとうである。
人間は病んでいるとき時、衰弱しているとき、元気がないとき、負けが込んでいるとき、長期の敗退局面などにおいて、その本性を露呈するというのは長く生きていて学んだたいせつな経験則の一つである。
ツキのあるとき、勢いに乗じて勝つことは少しもむずかしいことではない。
ツキのないとき、さっぱり芽が出ないときに、それでもまわりを愉快にすることができる人間は本物である(そういう点でいうと、連盟総長はまるで贋物だということになるが、あれは「さっぱり芽が出ないで腐り果てているが、いつも威張ってばかりいるので、まわりからはひそかに『ザマミロ』と思われている初老の男」というものをやや過剰に演技することによって、それなりにまわりのみなさんを愉快にしているのであるから、あれはあれでよろしいのである)。
とまれそのときの光嶋君の負け方は尋常のものではなかったように記憶していたのである、さいわい今はエクセルで記録が残っているのでこれを繙くと、光嶋くんは実はそんなに負けてなかったのである。
四半荘やって、1位プラ35,2位マイナ1,2位プラ3,4位マイナ48で、その日のトータルはわずかマイナ11にすぎず、勝率だって0.250だったである。
それが私には「ボロ負け」したと記憶されている。
なぜか。
思うに、それは、私と直接対決した2度の半荘において、光嶋くんが最初は私を抑えてトップを取ったのだが、二度目には私に報復されて2チャに沈んだ、この二度目の勝負を私がおのれの「歴史的大勝利」として大本営発表的に記憶したからではないかと推察されるのである。
つまり、私に負けた人間はつねに「私に歴史的大勝利をもたらしたもの」すなわち「歴史的大敗北を喫したもの」として記憶されるということである。
なんと人間とは業の深いものであろう。
おそらく光嶋くんはこの二度目の半荘のどこかで、たぶん南場において私のトップを確定せしむるような放銃をなしたのであろう(おそらくは南三局において「立直平和一並刻高めの5800点くらい」)。
それによって「がはは、はいゴッパ。はい、二百点お返しね。ぐふふ、よっしゃよっしゃ、これでオレのトップは確定だな。おい、コウシマくん、君、なかなか新参にしてはいいやつじゃないか」という印象を強く私にもたらしたのではないかと推察されるのである。
すでに1年以上も前のことですべては記憶の彼方なのであるが、彼がマイナ48のとき、カウンターのしたの席で、にこにこ笑いながらなけなしの点棒を払っていたことはいまでも私の記憶に深く残っている。
あれは実によい笑顔であった。
点棒を払うときの表情で人間の質は決まる。
連盟会員諸君はよろしく拳々服膺するように。
おっと、こんなことをかいていたのでは夜が明けてしまう。
その後、最上階のフレンチにおいて、『Sight』のためのトークセッション。
オマール海老、鴨などを食し、三鞭酒のグラスを傾けつつ、高橋源一郎、渋谷陽一ご両人と北アフリカ情勢および地域政党について語る。
何を話したのか忘れてしまったが、それは(例によって)源ちゃんが「明日までXX枚書かなくちゃいけないんだ、もう校了三日過ぎてて、印刷所待たしてるんだ・・・」というタイトロープ締め切り人生を送っているという話を聴いただけで血圧が上がってしまったからである。
源ちゃんの担当編集者の方は(誰かは存じ上げないが)どれほど命の縮む思いをされているのであろうか。
学士会館に投宿。爆睡。
2月23日
学士会館にて7時半起床。朝食ののち、前夜源ちゃんからうかがった「方便の内幕」について琉球新報の記事を読んでブログを更新(源ちゃん、いつもネタ提供ありがとう~)。
マトグロッソの浅井愛ちゃん登場。単行本の打ち合わせ。ボーナストラックで柴田元幸さんと「ナショナル・ストーリー・プロジェクト アメリカと日本の違い」という対談をするという企画を立てる。
よい企画であるが、柴田さんがつかまるかどうか。
でも、もとはと言えば、柴田さんに持ち込まれた企画を柴田さんが「ぼく忙しいから、こういうのはウチダさんに頼んだら」と私にパスした仕事なのである。私は「ほかならぬシバタさんの頼みなら・・・」と泣く泣く引き継ぎ、そのときちょうど新書大賞のパーティの席で隣にいた源ちゃんを掻き口説いて、選考のパートナーになっていただいたのである。
これは柴田さんに出てきていただかねば。
そこに松井孝治さんと平田オリザさんがお迎えに来てくださったので、新築の議員会館へ行く。
議員会館というのは、あれですね。「有名人の巣窟」みたいなところですね。私は数歩あるいただけで佐藤ゆかり議員と高市早苗議員とすれちがってしまい、一瞬ミーハーになってしまった。
その後議員のみなさまと名刺交換。寛也さんや安藤聡さんが来ている。
正午から1時過ぎまで民主党BBL(Brown Box Lunch,つまり「茶色い袋に入れたランチ」(コンビニおにぎりのようなもの)を食しつつ、カジュアルに議論するという趣向の催し)で『平成の攘夷論』という演題でお話をする。
司会は松井さん。途中から仙谷由人さんがおいでになって演壇にふたり並んだ恰好で、私が講演をして、仙谷さんがさらさらとメモを取る、というかたちになる。
「平成の開国論」とりわけTPPについて、「いかがなものか」という持論を申し上げる。
TPPに限らず、アメリカのグローバリズム戦略の基本には、「最終的に人間は自己利益を最大化するように行動する」という人間観が伏流している。
つまり、市場に国産品より1円でも安い外国製品があれば、消費者は迷わずそちらを買う、という人間観である。
自国産業の保護育成なんか知ったことではない。1円でも安いものを買うのが消費者の権利であり、かつ義務である、と。
国が亡びても、自分の財布が潤うなら、アイドンケアー。
そういうのが人間の天然自然の姿である、と。
そういう人間たちばかりで世界市場は構成されているという前提から「国際競争力」という概念が導出されている。
私はそれは違うだろうと思う。
すべての人間が「金で動く」わけではない。
中には「金では動かない人間」もいる。
そして、「人間が金で動く仕方」は世界共通であるが、「人間が金で動かない仕方」は国ごと、地域ごとに異なっている。
私は「人間が金では動かない仕方」(言い換えれば「金以外のファクターで動く仕方」)にローカリティというものは宿ると考えている。
例えば、私は安い洋材を使わず、割高な国産の美山杉と飛騨檜を使って家を建てるのだが、それは「日本の林業を守るのは、日本人ひとりひとりの義務である」と思っているからである。
「日本の林業を守る」などというと一般論じみているのでやめるが、もっとスペシフィックに言えば、「美山の哲学するきこり」小林直人さんの育てた美山の杉で家を建てるという約束を20年前にしたからである。
こういう約束ごとは景況とも市場価格とも関係がないし、日本の木材の国際競争力とも関係がない。
私と小林直人さんとのあいだの信義の問題である。
そういうごくごく個人的あるいは地域限定的な要素によって市場における消費者の行動は変化する。
そういうものだと思う。
そして、グローバルな消費者行動パターンから逸脱する個体が多ければ多いほど、その国の市場は「成熟している」と考えてよいと私は思っている。
消費者全員が同じような規格の同じような商品に雪崩打つというのは、企業からすれば最低のコストで最高の利潤が得られる夢のような消費行動であるが、そういうのは「未成熟な消費者」である。
市場が成熟すると消費者はそのような行動を取らなくなる。
そうすると少数の独占的な企業が市場を支配したり、投機マネーによって商品価格が乱高下するということも起こりにくくなる。
市場の成熟とは消費行動における「パーソナルな要素」の増大のことである。
それを私は「人が金だけで動くわけではない仕方」と呼んだのである。
TPPやFTAが前提にしているのは、「金だけで動く消費者」、つまり「つねにもっとも安い価格でもっとも高い質の商品を選択する消費者」というモデルである。
繰り返し言うが、成熟した市場はそのような人々だけによって構成されているわけではない。
「金では動かない」人はローカルな存在であり、その行動をグローバル経済のスペシャリストたちは予測することができない。
私はこれから先、景況とも物価とも無関係な消費行動、「非経済的な」消費行動をする人が増えてくるだろうと思っている。
それは国のローカリティの個人レベルでの表出であり、いささかオーバーな表現を許していただければ、その共同体の唯一無二性の現れだろうと思う。
日本の森林資源を守るために投資しませんかという詐欺に多くの人がひっかかった。中には数千万円を失った人もいるそうである。
この詐欺師は「日本の貴重な森林や水資源が外国の投資筋に買いあらされています。日本の国土を守るのはあなたがたしかいません」というアオリにくらくらして大枚を投じたのである。
もちろんそこにいくばくかの射幸心がなかったとは言わない。けれども、「日本の森を守る」というような非経済的な動機づけによって貯金を取り崩した人々の行動には「ローカルなものへの固着」がたしかに含まれている。
ある意味ではこの詐欺師たちは、TPP派の人々よりも日本人の心性に通じていると私は思うのである。
というような話をした(もっと違うことも言ったのであるが、それはまたいずれ)。
それから松井さん主催のランチへ。
仙谷さん、前原誠司さん、松本剛明さん、鈴木寛さん、細野豪志さん、古川元久さんがご一緒。
ずるずると中華そばを啜り、餃子をつまみつつ、前原外相と松本外務副大臣に沖縄の基地返還の可能性と東アジア防衛構想についてお訊ねし、仙谷代表代行には解散総選挙の時期とその後の政界再編についてお訊ねするなど、たいへん貴重な時間を過ごす。
ここで公開できないのがたいへん残念なのであるが、解散は●月。選挙の結果は●党の辛勝。むろんそのあと合従連衡の政界再編が始まる。なんとその場合の与党勢力は反●派連合というかたちで組織されるのではないかというのが仙谷さんの予測であった。
みなさんは自分で考えて、適当な●を入れてくださいね。
続いて、某社の某君と事業計画について密談。
メールを開くと、「明日の午前中が校了です」という原稿の督促が二つ来ていて、軽く卒倒する。
続いて、神保町の三省堂に移動して、今度は池田清彦先生とのトークセッション。
池田先生については養老先生から何度もうかがっているし、「野蛮人の会」のメンバーであるので、ほんとうはずいぶん前にお会いしていてよいはずなのだが、ご縁がなくて、この日がはじめてだったのである。
もう池田先生のお話が面白すぎて、会場はずっと爆笑の渦。
虫屋だからというべきか、「なまもの」を扱っている生物学者だからというべきか、養老先生とも深いところで通じる、「いきものってのは、よくわからねえ」という涼しい諦観が池田先生のラディカリズムを駆動しているようである。
「いきものっては、よくわからねえ」から、もちろん「わかりたい」と思う。それが学術的な探求心をドライブしているのだが、同時に、「いきものとは・・・である」というシンプルな定型に収めて話を済ませようとする知性の怠惰に対しては烈しい抵抗を示す。
「煙草は身体に悪い」というのも「CO2排出が地球温暖化の原因だ」というのも、たしかにそうかもしれない。でも、「それだけ」ではないだろう。それだけじゃないから、他にどんなことが起きているかを探るべきなのに、手近のところに説明をみつけたら、それに居着く。そういう知性の怠慢と、知性の怠慢が導き出す教条主義(「煙草を吸うな」とか「CO2を出すな」)とかに養老先生も池田先生も烈しく反発するのである。
たぶん世間の人は両先生を「へそまがり」とか「横車」とかいうふうにとらえているのだろうが、私は違うと思う。お二人ともきわめてまっとうな科学的知性にもとづいて、「よくわからないことは、『よくわからない』でいいじゃないか。それによってオープンクエスチョンを保持することが科学的ということなんじゃないかい」と言われているのである。
その「常識」が通らない世の中のほうがよほどどうかしていると私は思う。
講演のあと、新潮社の足立さん、野木さん、秋山さん、『増補版・街場の中国論』の営業に来ていたミシマ社の三島くん、大越くん、筑摩の吉崎さんと地下でビール。
池田先生の舌鋒がさらに冴えてきたところで私をピックアップに平川くんが登場。そのまま座り込んで、池田先生とわいわいしゃべり始める。
おしゃべりを堪能してから、二人でみなさんとお別れして、久が原へ。
そこから後の話についてはツイッターに書いたので、以下省略。
とにかくたいへんな三日間でした。