2010年の重大ニュース

2010-12-31 vendredi

大晦日恒例の2010年の重大ニュース。
さて、今年は何があったのでしょうか。
(1)『日本辺境論』で2010年度新書大賞を頂いた。
『私家版・ユダヤ文化論』で2007年の小林秀雄賞を頂いたのに続いての受賞。
「言葉が読み手に届く」ということが私がものを書くときにいちばん気に懸けていることだが、それが「届いた」らしいということが、何よりうれしい。
(2)書いたものが外国語に訳された。
フランスの雑誌から農業についてのエッセイを訳したいというオッファーがあった。ドイツの雑誌からは「日本人の自殺」についてのエッセイの寄稿を求められた。
ヨーロッパの言語に訳されるのははじめてである(ユーロで原稿料が振り込まれたのも)。
これまで中国語では『村上春樹にご用心』が中国と台湾で、名越先生との『十四歳の子を持つ親のために』が台湾で、『下流志向』は台湾と韓国で訳された。
今年は『若者よマルクスを読もう』と『寝ながら学べる構造主義』が韓国語訳された。
この選書から察するに、韓国の人文系の学者には「アカデミックな話をコロキアルな文体に噛み砕く」という仕事をしたがる人があまりいないようである。
なんか、わかるような気がする。
でも、これまで「英訳したい」というオッファーは一つも来たことがない。
『日本辺境論』は英語圏の人が読んでもけっこう面白いと思うんだけど。
(3)大阪市の特別顧問を委嘱された。
平松邦夫市長と仲良しになって、ときどきお酒なんか飲んでいるうちに、顧問就任を要請された。
教育関連のことで市長にアドバイスするお仕事で、ボランティアである(代わりに美味しいフレンチをごちそうしてくれる)。
私は「教育のことは現場に任せて欲しい」ということをずっと書いているので、市長へのアドバイスも「地方自治体の首長は教育行政に容喙しない方がよろしい」というものである。
平松さんも「『市長は何もするな』と言われてはせっかく顧問に頼んだ甲斐がない・・・」と内心ではずいぶんがっかりされていると思うけれど、紳士なので、失望は顔に出さずに、会うとにこにこしている。
できた方である。
(4)ラジオによく出た。
平川くんと二人でやっているラジオデイズの『たぶん月刊・話半分』の他に、西靖さんが司会で名越康文先生と僕がおしゃべりする『辺境ラジオ』がMBSで不定期放送されることになった。子守康範さんの生放送『朝からてんこもり』にもいつのまにか「季刊」で出演することになってしまった(次の出演は1月27日の朝早く)。大瀧詠一さんとの『年末放談』も恒例化したし、ラジオによく出るウチダです。
ラジオはいいですよね。カジュアルで。ジーンズにポロシャツで出かけて、好き勝手おしゃべりして、「んじゃ」って帰ればいいんですから。
(5)道場の土地を取得した。
2月17日に住吉に道場用地75坪を購入。念願の道場用地をついに獲得することができた。
(6)光嶋裕介くんを設計者に指名した。
去年の暮れの打ち納めに画伯が連れてきた早稲田の建築での教え子、光嶋君の麻雀の負けっぷりのよさが気に入って、まだ一軒も住宅を設計したことがないという光嶋くんに道場と住宅の設計を依頼。光嶋君も気合いを入れてすごい図面を引いてくる。
この不思議な建物のニュースが建築業界になぜか広まり、ミサワホーム主催の住宅建築についてのシンポジウムで光嶋君、五十嵐太郎さんと鼎談。その勢いで、いくつかの住宅雑誌に取材されることになる。
一階がパブリックスペース(道場)、二階の半分がセミ・パブリック・スペース(書斎と客間とお稽古場)、残り半分がプライベートという「三極構造」コンセプトが珍しかったようである。
今般土地を取得したのは、土地建物は私物化すべきものではなく、公共財としてひろく活用すべきだという年来の主張をちょっとだけ実現するためである。
「縁側のある家」「隣近所の人がテレビを見に来る家」というのが50年生まれの私や平川くんにとっては「家の原風景」である。
そのような開放的な家を現代に再現することはできぬものか。
アブラハムの幕屋は東西南北どの方向から人が到来しても歓待できるように、四方に入り口があったそうである。
私はそれこそが家の理想型だと思っている。
レヴィナス先生がそうおっしゃっているんだから、たぶんそうなのである。
けれども、果たして「外に向かって開放された家」というのが、ほんとに可能なのかどうか。ちょっと(かなり)不安である。
でも、せっかくそういう機会を頂いたのだから、やってみるのである。
(7)「塩漬け宣言」をしてみた。
あまりにゲラがたまってきたので、「ゲラ塩漬け宣言」を発令する。
こんなにたくさんのゲラを読んでいたら眼が悪くなってしまうし、だいいち、買う方だってどれを買えばいいのかわからなくて、困ってしまう。
集中豪雨的な出版は私には身体的につらいし、読者だって物入りが続いてかなわない。
というわけで、せめて季刊ペースくらいでは、という割と「つつましい」願いを抱いたのである。
どういうわけかこれが「断筆宣言」というふうに誤伝されて、「断筆宣言しているわりには書いているじゃないですか」というようなイジワルなことを言われてちょっと傷ついたりした。
(8)いろいろな方とお仕事をさせてもらった。
養老孟司先生、茂木健一郎さん、中沢新一さん、安田登さん、成瀬雅春先生、釈徹宗先生、名越康文先生、高橋源一郎さん、平川克美くん、そして大瀧詠一さん。今年はほんとうにありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
数えたら8つだけれど、まあ、こんなものでしょう。
では、みなさんもどうぞよいお年をお迎えください。