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PISAのスコアについて

AFPによると、OECDが12月7日に公表した国際学習到達度調査(PISA=Program for International Student Assessment)結果で上海が世界のトップに立った。
国別のトップは韓国とフィンランドだが、初参加の上海が全科目で首位を独占した。
アジアのほかの国・地域も極めて良い成績を収めた。韓国は読解力部門で2位、数学で4位、科学で6位にランクイン。香港、シンガポール、台湾、日本も好成績だった。
OECDの教育専門家は「質だけでなく機会の平等も重視する教育思想がアジア大陸の成功をもたらした」と分析している。
西洋諸国の専門家が高く評価する教育システムを持つフィンランドは、欧州勢でトップの成績で、読解力部門で3位、科学で2位、数学で3位につけた。
また、報告書によると、すべての国で、女性の方が男性よりも読解力の成績が良く、その差は学校教育1年分だった。この性差は2000年以降縮んでおらず、フランスやイスラエル、韓国、ポルトガル、スウェーデンでは逆に差が開いた。
また、分析の結果、成績が優秀な学校では1クラスあたりの人数を減らす代わりに教員給与を上げる傾向があった。
というのはフランスの通信社からの報告。次は日本の通信社の報道。
日本の高校1年生の成績は一部回復した。
「読解力」が前回調査時の15位から8位。「数学的応用力」は10位から9位、「科学的応用力」は6位から5位とわずかに上昇した。
文部科学省は03年に行われた第2回調査での順位急落を受け、読解力向上や学力強化を打ち出したことが成績回復につながったと分析。「学力は改善傾向にある」に改めた。
以上。
二つだけの記事を読み比べて決定的なことを言うことはできないが、それでも「徴候的」なことは見て取れる。
それは、フランスの通信社の配信記事が「フランスの高校生の学力」については一行も書いていないことである。
それに対して、日本の記事は「日本人の学力」についてだけしか報道していない。
たぶん中国や韓国や台湾の新聞報道も日本に似たものではないかと推察される。
それに対して、フランス人やドイツ人やイタリア人やアメリカ人は、自国の高校生の学力を他国のそれと比較して一喜一憂するということはあまりなさそうな気がする(気がするだけで、調べたわけじゃないけど)。
それは欧米の国々が基本的には「階層構造」を持っているからである。
前にも書いたけれど、欧州の人々は階層が違う自国民よりも、階層が同じ他国民の方に親近感を覚える傾向がある。
『大いなる幻影』はその好個の適例である。
「大いなる幻影」(la grande illusion)とは、同じ貴族階級出身のフランス人捕虜ド・ボアルデュー大尉と、ドイツの収容所長ラウフェンシュタイン大尉のあいだの「国境を越えた階層的友情」のことである。
それが国民国家という「新しい幻影」の前に崩れ去ることを、ジャン・ルノワールは一掬の涙とともに点綴した。
そのような超国家的な横のつながりはヨーロッパにはその後もかたちを変えて残っている。
「文芸の共和国」(République des lettres)とは、「文化資本を潤沢に享受している人々」の国境を越えた集団のことである。
そのような集団を意識的に形成する努力はすでに中世から始まっている。
文化資本はその集団に排他的に蓄積されてきたし、いまもされている。
オックスフォードやケンブリッジやハーヴァードに世界中から秀才が集まるのは、そこにいけば「世界中から集まった秀才たちだけから成る集団」に加盟して、国民国家の枠を超えた相互支援・相互扶助の利益集団に参与できるからである。
それを今日「グローバリズム」と呼ばれるものの先駆的形態とみなすことも可能である。
グローバル化というのは、「国境を越えた能力主義的社会編成」のことである。
どこの国の国民であるかにかかわりなく、能力のあるものは高いランキングに格付けされ、能力のないものは資源の分配で不利益を蒙るというのがグローバル化の実相である。
ヨーロッパの階層上位の方たちは自国民の平均学力にはあまり関心がない。というのは、自分の帰属する集団が潤沢な文化資本を享受しているなら、それを優先的にわかちあう相手は他国の「同類」collègue たちであって、自国の下層階級の人々ではないからである。
超領域的・超国家的なエリート集団に社会的リソースを蓄積することを優的課題にしている人たちはたぶんPISAの結果にはあまり関心がない。
PISAに異常に高い関心を示すのは、国民国家こそ自分が帰属すべき究極の場であると信じている人たちである。
アジアの人たちは、たぶんそうなのである。
OECDの専門家(フランス語圏の人でした)が何と言っていたか。
「質だけでなく機会の平等も重視する教育思想がアジア大陸の成功をもたらした」と言っていたのである。
それは裏返して言えば、アジア諸国では、何よりも先ず「他国との競争に勝つ」というナショナリスティックな課題がつよく意識されているということである。
国民全体の斉一的な「底上げ」をどうやって達成するか、それについてアジア諸国は工夫をめぐらせている。
けれども、アジア諸国の人々がそのような工夫に知恵を絞るのは、「国民国家という幻影」が「文芸の共和国という幻影」よりもつよいからである。
資源の配分についての考え方がヨーロッパとアジアでは違うのである。
アメリカは移民の国だから階層はヨーロッパほど強くはないが、「エスニック・アイデンティティー」というかたちで利益集団は残存している。
アメリカでは、どのエスニック・グループがヨーロッパにおける「貴族」の地位を占めるか-もっとも有利な資源配分を受けるか-を国内の集団間で争っている。
だから、教育についてもアメリカ国民全体の「斉一的な底上げ」ということがホワイトハウスのアジェンダに載ることはたぶんないはずである。そういうことは州政府やコミュニティの専管事項であって、連邦政府の所管ではない。
でも、アジアは違う。
中国や韓国や日本では教育は国家的事業として観念されている。
成績競争がナショナリズムの発露になっているのである。
別にそれがいいとか悪いとか申し上げているのではない。
「そういうこと」をしているのはたぶんアジア諸国だけではないのか、という問に少し時間を割いても罰は当たらないのではないかと申し上げているのである。
たぶんPISAのスコアは、その国の「国民的統合度」に相関する。
だから今回上海が世界一になったが、それは上海という「選ばれた人間しか住めない」エリアの住民たちの「均質性」が世界一高いということとほぼ同義だと解釈できる。
韓国も台湾もそれぞれ国民的統合度を高めていることがスコアに反映しているように思われる。
どちらも「臨戦体制」にある国である。
そういう国では、国民の全体的な知的パフォーマンスを斉一的に底上げするほうが「国力」を早急に高める上では効果的であるという考え方が支配的になる。
PISAのスコアを私は毎回興味深く眺めているのであるが、このスコアにはたぶん次のようなさまざまなファクターが関与している。
(1) その国の階層化の進行度
(2) その国の国民的均質性の高さ
(3) その国における資源配分のフェアネスの程度
(4) その国の隣国との軍事的・外交的緊張関係の有無
(5) 「華夷秩序的先富論」(中国)や「先駆的エリートによる一点突破全面展開戦略」(韓国)のような資源の傾斜配分システムについての伝統的国是の有無
日本の教育行政の人々や教育評論家は「ゆとり教育」がどうしたというような瑣末な論件に学力問題を落とし込んで論じているが、それほど簡単な話ではないと私は思う。
だいたい、つい先日までは多くのメディアはPISAのランキングを根拠に「フィンランドに学べ」と言っていたのではなかったか。
だったら、同じロジックで今回は「上海に学べ!」と社説に大書すべきではないのか。
けれども私が知る限り、PISAのスコアの発表の後に、「上海や韓国の成功事例に学ぼう」と呼号した社説は存在しない。
けれどもそう書かないと、これまでの議論との整合性がとれないのではないか。
「上海に学べ」と書けないのは彼らが畢竟するところ学力の優劣を「ナショナルな威信の問題」だと思っているからである。
学力の高下は教科書やカリキュラムの問題ではなく、社会がどのように構造化されているか、そこではどのような階層イデオロギーが支配的であるかという、すぐれて政治な条件に相関する。
そのような仮説をめぐって、もうすこしマクロな教育議論がそろそろ始まってもよいのではないかと私は思う。

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2010年12月09日 11:46 に投稿されたエントリーのページです。

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