サッカー見たり、株主総会出たり、政治家になる可能性について考えたり

2010-06-30 mercredi

土曜日は合気道のお稽古、それから6月例会。
このところ絶不調であり、今回も3戦して、勝てず。
サッカーを見ていると、よく「ゴールが遠い」という言い方をするが、それに倣って言えば「トップが遠い」。
それゆえ、渾身のシュートがノーゴール判定されて、天を仰ぐイングランドの8番、フランク・ランパードの絶望的な表情にウチダは深い親近感を覚えるのである。
この瞬間、世界でもっとも深く共感された人間は君だと思うよ、フランク。
だって、「人生って、ほんとにそういうもん」だから。
君はこのノーゴール判定ゆえに、サッカー史に名前をとどめることになるだろう。
悲劇性こそがサッカープレイヤーとしての「栄光」のありかただからである。
あらゆるボールゲームの起源は他者との共感のプラットフォームを形成することである。
私たちは敗者に共感する。
だからトーナメントは一チーム以外すべてが敗者になるように(勝者も勝ち続けることができないように)制度設計されているのである。
敗者に一掬の涙と花束を。
コマノくんもあまり気を落とさないようにね。

日曜日は光嶋くんと設計の詰め。
道場、住居部分の細部がだんだん固まってくる。

午後から長田の上田能楽堂で下川先生の『遊行柳』を見る。
帰って、大倉源次郎先生の『大和秦曲抄II』を見る。
連続5時間くらい能の音楽ばかり聴き続けたので、身体が「能化」してきた。
一調の緊張感がすばらしい。

月曜日。
下川先生のお稽古。謡『藤戸』と仕舞『笠之段』。
来年の大会は『笠之段』である。
それから大学へ。会議が一つ。それからサキちゃんの修論面談。
「弱者支援の倫理的基礎づけ」というたいへん重い問題を提示してくる。
サキちゃんて、根はまじめな子だったのね(いや、前からうすうすそうではないかな〜と思ってはいたのですよ)。
それから堂島に行って、平川くんと会って、140Bオフィスにて、ラジオデイズのための収録。
大相撲とサッカーの話で1時間。
大相撲は「あのようなもの」として存在する意味があると私は思っているけれど、その理論的基礎づけを誰も担っていないことが問題である。
相撲は神事であり、伝統芸能であり、呪術儀礼であり、スポーツであり、フリークショーであり、格闘である。
同時にその全部である。
これほど多様な機能を担う「芸事」は他に存在しない。
その雑種性において相撲はきわめて「日本的」なものだと私は思う。
相撲の本義はおそらくこの「異種架橋」能力のうちにある。
その起源はおそらく太古のどこかで、言葉の通じない異族同士が出会ったときに遡るのだと思う。
そのときに、ふたりの男が裸形となって、柏手を打ち、大地を踏み、「浄め」の儀礼を行い、歌を歌い、そしておそらく同じ動作を鏡像的に反復してみせたのである。
勝敗を競うのは、擬制的に勝敗を競うことで、鏡像関係がもたらす暴力性を抑制することができるということを古代人が知っていたからである。
だから、相撲においては、極端な話、「勝敗はどうでもいい」のである。
それを「フェアプレー精神から見てどうか」とか「スポーツマンシップが蜂の頭」とか言うのはまるで見当違いな話である。
けれども、ついに「相撲の人類学的意味」について、科学的な言葉で語る人は出てこなかった。
それはアカデミアの側の問題なのか、相撲界の側の問題なのか、わからない。
相撲はその存立の危機にさしかかっているけれども、「相撲の科学」が今こそ必要だという言葉はどこからも聴かれない。
140B株主総会のあと、串カツ懇親会。
140Bは第四期も順調で、黒字決算。
めざせ10割配当!
平川くんがうちに泊まったので、ごろ寝しながら、サッカー観戦。

火曜日。
ゼミが二つ。そのあいだに取材。
ウェブ上に「多事争論」というコラムがあって、そこに掲載するための談話取り。
四人お見えになる、うち二人が筑紫哲也さんのご遺児。
名刺交換してから、頭の中で「ブログで筑紫哲也の悪口書いてないよな・・・」と必死に記憶を探る。
たぶん書いてないと思う。
筑紫哲也の「語り口」についてはずいぶん批判的な人がいて、私もその批判の所以はわからないでもなかったが、「リベラル派のインテリおじさん」は日本の宝であるという信念に基づき、その種の批判に同調することは自制したのである。
マスメディアの凋落と再生の可能性について、いろいろとお話する。
最後にご令嬢から「もし政界への出馬要請があったらどうしますか?」という質問を受ける。
筑紫さんも一度だけ「心が揺れた」ことがあったそうである。
家族会議で否決されて、断念を余儀なくされたのだが、そのときに出馬を否とした家族の判断が正しかったのかどうか、今ではよくわからないと率直に話されていた。
なるほど。
ただ、私はもうあと半年ほどで「隠居」の身であり、もう「立場上、言いたいことが言えない、したいことができない」ということに疲れ果てている(これでも私は「言いたいこと」の半分も言っていないのである。日々どれほど「腹膨るる」思いをしているか、ご想像いただけるであろう)。
誤解している方が多いが、私は徹底的に「書斎の人」なのである。
許されるならば、一年365日朝から晩まで書斎にこもって、本を読み、ノートを作り、原稿や論文を書くことさえできれば至福の人なのである。
世の中には、仕事で外へ出かけて、他国を旅し、見知らぬ人と会ったり、はじめて経験することを試したりすることが大好きという人がけっこう多いが、私はまったくそうではない。
私は散歩さえしない人間なのである(1993年春に山手町を10分ほど歩いたのが最後の散歩であり、それからあと一度もしたことがない)。
旅行も嫌いである。
例外的にドライブだけは好きだが、それも「いつもと同じ道を、いつもと同じように走る」のが好きで、はじめての道はどきどきするのでさっぱり楽しくない。
講演とか、対談とかいうのも、正直言うと、あまり好きではないのである。
「そのわりにはよく対談してるじゃないか」というご異論がおありだろうが、よく見て欲しい、あれは全部「ともだち」とやっているのである。
ときどき友だちと会って、思い切りおしゃべりがしたいなあと思うことがあるとその企画に乗るだけで、「知らない人」との対談というのは原則やらないのである。
そんな人間に、政治家なんかできるはずがないです。
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