先週の金曜に、大阪市役所で大阪市特別顧問の委嘱式というのがあった。
平松邦夫市長から、「委嘱状」というものをいただく。
そのあと市長といっしょに記者会見。
特別顧問就任の「抱負」をどうぞと市長からいわれる。
考えてみれば、そのようなことを言わなければならないに決まっているのであるが、促されるまで、何も考えていなかった。
市長からの依頼は、「ときどき会って、美味しいものでも食べながら、あれこれ話きかせてください」というきわめてアバウトかつフレンドリーなものであったので、改めて「抱負を」と言われて困ってしまった。
市長からはとくに教育方面についての助言をいただきたいとお願いされていたのであるが、ご存じの通り、私の年来の主張は「政治は教育に介入してはならない」というものである。
政治とマーケットとメディアは教育に口を出さない方がいい。
というのは、私の年来の主張である。
教育のことは現場に任せて頂きたい。
というわけで、抱負を訊ねられたことを奇貨として、記者諸君には「メディアは教育には口を出さないで頂きたい」と申し上げ、市長には私からの渾身のアドバイスとして「首長はできるだけ教育現場に個人的信念を伝えることを自制していただきたい」と申し上げる。
もちろん市長は私のそういう考えを熟知された上で、特別顧問に委嘱されたのであるから呵々大笑されていた。
去年の10月にはじめてお会いしたナカノシマ大学の「21世紀懐徳堂シンポジウム」(市長とワッシーと釈せんせといっしょ)での私の冒頭の発言は、「懐徳堂的な教育機関を21世紀に再生しようとしたら、それは市民の発意によるべきであって、行政に依存してはならない」というものであった。
市長は「教育は行政から独立的であるべきだ」という私の主張のうちに掬すべきものがあると思われたからこそ、あえて行政の長として、私を特別顧問に委嘱されたはずである。
メディアは教育に口を出さないでいただきたい、というのもまた私の年来の主張である。
近刊『街場のメディア論』には、メディアのせいで教育現場がどれほど混乱させられてきたのかについて、縷々(どころではないな)恨みごとが綴ってある。
教育はその本性上、きわめて惰性の強い人類学的制度である。
子どもを成熟に導くシステムにそれほどくるくる「変化」があっては困る。
しかし、メディアはその本性上「変化」以外のものに関心をもたない。
変化しないものは「ニュース」にならないからである。
メディアは教育制度に「絶えざる変化」を求めるけれど、それは教育にとってはたいへんに迷惑なことである。
私が教育にかかわる特別顧問としてできることは、政治とメディアの影響を退けて、大阪市の各級教育委員会と各学校での教育活動の独立性と自由裁量権を支援することである。
むろん一大学教員からのモラルサポートにすぎないけれど、それでも、教育に政治過程が影響力を行使することは望ましいことではないという考えをもつ人間を市長が教育にかかわる助言者に指名したということの意味は教育現場には伝わるはずである。
--------
(2010-06-29 20:26)