北方領土について考える

2010-06-09 mercredi

大学院のゼミでは北方領土問題が論じられた。
ゼミでこの問題を論じるのは、20 年間大学にいてはじめてである。
沖縄基地問題についての論及回数とは比較にならない。
南島とくらべてそれだけ扱いにくい論件だということなのかもしれない。
学生たちがこの論件を忌避する理由の一つは、たぶんこの問題をリアルかつクールに分析することに対して、きわめてパセティックな「抑圧」がかかるせいである。
領土問題になると、国民国家の成員たちはどの国でもすぐに熱くなる。
「国境線については絶対譲歩するな」という言説が幅をきかすのはどの国でも同じである。
「国境線を譲歩しても、隣国との友好関係を構築するほうが国益にかなう」というタイプの議論をする人間は袋だたきに遭い、うっかりするとテロリストの標的になる。
国境線を少しでも拡げた政治家は「英雄」ともてはやされ、国境線を少しでも失った政治家は「売国奴」と罵られる。
それは古今東西どこでも変わらない。
日露の領土交渉でも、それぞれの政権担当者たちは、自分たちのドメスティックなポピュラリティを勘案すると、領土問題では「絶対に譲歩できない」という縛りがかかっている。
少し前に谷内正太郎元外務事務次官が「3・5島返還論」について言及して、「主権を放棄する気か」というはげしい批判を浴びたことは記憶に新しい(私事にわたるが、谷地さんご一家は 40 年前に相模原の私の家のお隣に住んでいらした。なかなか他人とは思えない)。
3・5島返還論というのは、歯舞・色丹・国後の3島に択捉の20-25%程度を加えると、だいたい四島の総面積の50%になるので、それを返してもらって手を打ってはどうかという試案である。
吟味に値する試案だと思うけれど、日本政府は「四島全面返還」以外のいかなるオプションについてもこれを議論のテーブルに載せる気はないようである。
もちろん、ロシアが四島一括変換に応じる可能性はない。
だから北方領土はこのままではたぶん永遠に返還されないであろう。
日本政府は「それでも譲歩するよりはまし」という判断をしている。
日本政府は「領土問題で譲歩しない国である」ということを国際社会にアピールすることを「北方領土が一部でも返還されること」よりも優先させているということである。
これはこれでひとつの政治判断であるから、「そういうのもあり」かもしれないとは思う。
けれども、その場合でも「領土問題で譲歩しない国であるということを国際社会にアピールすることで得られるメリット」と「北方領土がまったく返還されないことのデメリット」を計量的に吟味する作業というのは誰かがやらなければならないと思う。
四島は日本固有の領土である、とういう主張は合理的であると私も思う。
1855 年の日露和親条約で両国の国境線が画定されたが、そのときに千島列島については「択捉島と得撫島の間」を領国国境とし、樺太については国境を設けず、両国民混在の地とすると決まった。
その後、日露戦争で、日本は南樺太と千島列島全島を領有することになったが、1951年のサンフランシスコ講和条約でこれを放棄した。
(この記述は不正確だというご指摘がありました。1875 年の樺太・千島列島交換条約で千島列島は日本領になっているので、ポーツマス条約で領有権が移ったのは樺太だけです。謹んで訂正いたします)
ロシア側は「千島列島全部を放棄」したときに、日本は、日露和親条約のときに確定した四島領有もあわせて放棄したと解釈しており、日本は四島は日本固有の領土であり、放棄した「千島列島」には含まれていないと主張している。
この両国の主張は常識的に見ればロシアの言い分が「いいがかり」である。
1855 年の国境線は日露双方が外交的に対等な交渉を行って合意したものである。
1905年のポーツマス条約で得た北方領土は日露戦争の「戦果」である。だから、次の戦争での戦勝国が「戦果」として「とったものを返せ」という主張をなすのは理屈としては通る。
けれども、「和親条約で日本領土として認めたものもこちらによこせ」というのは筋が通らない。
誰が見ても通らない。
これに関して、ロシアの主張に理ありとしている国がいくつあるのか私は知らないが、たぶんほとんどないだろう。
中国もロシアの主張を非としているし、ヨーロッパ議会も 2005 年にロシアに対して北方領土の日本への返還を要求している。
しかし、これを喫緊の論件とし、どうすれば返還が果たせるのかについて具体的な議論が国民的規模で始まる様子は見えない。
返還交渉はこれまでの経緯から見て、二国間会議ではまず埒があかない。
強力な第三国に仲をとりもつ周旋役に入ってもらうしかない。
選択肢は三つしかない。
EUか中国かアメリカである。
EUと中国は四島返還を求めているから、ロシアが厭がるかもしれないが、このどちらかが入ってくれれば、返還交渉は具体化する可能性が高い。
「3・5島返還プラス択捉島共同管理」とか「知床半島と国後島の世界遺産平和公園構想に基づく千島樺太共同開発」とか、いろいろなアイディアが出てくるはずである。
それがさっぱり始まる気配がないというのは、外務省にはEUや中国に斡旋を頼む気がないということである。
EUや中国に北方領土問題の斡旋を頼んだら、アメリカは激怒することがわかっているからである。
なんでオレに頼まないのか、と。
にもかかわらず、アメリカはこの問題についてはあきらかにぜんぜん「やる気」がないのである。
アメリカのこの徴候的な「やる気のなさ」は検討に値すると私は思う。
アメリカはなぜ北方領土問題にコミットしてこないのか。
それはおそらく北方領土問題が実は「南方領土問題」と同一の問題だと彼らが考えているからである。
北方領土問題は「戦勝国による敗戦国領土の不法占拠」問題である。
もしアメリカがロシアの北方領土の占拠を「不法」としてあげつらうと、その「天に向かって吐いた唾」は、そのまま「南方領土」を「不法占拠」しているアメリカの顔にかかってくる。
アメリカがいちばん困るのはロシアが「じゃあ、オレたちは北方領土返すから、お前は沖縄から出て行け」という「痛み分け」の提案をしてくることである。
これはロシアにとってはおおきな「得点」にカウントできる。
日本に(もともと日本のものである)小さな島を戻してやった代償として、西太平洋におけるアメリカの軍事的プレザンスを一気に減殺させたと国民に誇ることができれば、ロシアの為政者の支持率はとりあえず安泰である。
だから、ロシアはアメリカが周旋に出てきたら、絶対そう要求する。
「沖縄から出て行け」
アメリカはこれを言われるとほんとうに困る。
日本にとっては「北方領土問題と沖縄問題の同時的解決」がそれによって実現するわけだから、圧倒的多数の日本国民はロシアのこの提案を大喝采で迎えるであろう。
だから、絶対にロシアにそのような言葉を言わせてはならない。
わが外務省にもアメリカからは厳重にそれが言い渡されている。
北方領土問題に絶対にオレを巻き込むなよ、と。
だからといってEUや中国やASEANにも周旋を依頼してはならない。
つまり、北方領土問題を永遠に「現状維持」のままにしておくことがアメリカにとってはさしあたり国益維持のための最良のオプションなのである。
だから、「北方領土についてはいかなる譲歩もありえない」という原理主義的なスローガンを日本の「親米派」の政治家たちと官僚たちに言わせているのである。
それによって北方領土と「南方領土」の米露二国による不法占拠状態は永遠に継続されるからである。
だと私は思う。
どうして「起こってもいいはずのことが起こらないのか」を考えるのは、推理力のための重要な訓練であるというのはミシェル・フーコーとシャーロック・ホームズの教えである。
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