アメリカから見る普天間問題

2010-05-11 mardi

普天間基地問題について、アメリカの人はどう考えているのだろうと思っていたら、知人から次のようなテクストがあることを教えていただいた。
しゃべっているのは、チャルマーズ・ジョンソンさん(カリフォルニア大学教授、政治学部長、中国研究センター所長などを歴任。その後、日本および環太平洋地域の国際関係を研究する民間シンクタンク “日本政策研究所”(JPRI)を設立)。
記事は http://diamond.jp/articles/-/8060 で配信されたもの。その一部を採録する。

―鳩山政権は普天間問題で窮地に立たされているが、これまでの日米両政府の対応をどう見るか。
まったく悲劇的だ。両政府は 1995 年の米兵少女暴行事件以来ずっと交渉を続けてきたが、いまだに解決していない。実を言えば、米国には普天間飛行場は必要なく、無条件で閉鎖すべきだ。在日米軍はすでに嘉手納、岩国、横須賀など広大な基地を多く持ち、これで十分である。
そもそもこの問題は少女暴行事件の後、日本の橋本首相(当時)がクリントン大統領(当時)に「普天間基地をなんとかしてほしい」ということで始まった。この時、橋本首相は普天間飛行場の移設ではなく、無条件の基地閉鎖を求めるべきだったと思う。
―普天間を閉鎖し、代替施設もつくらないとすれば海兵隊ヘリ部隊の訓練はどうするのか。
それは余った広大な敷地をもつ嘉手納基地でもできるし、あるいは米国内の施設で行うことも可能だ。少なくとも地元住民の強い反対を押し切ってまでして代替施設をつくる必要はない。このような傲慢さが世界で嫌われる原因になっていることを米国は認識すべきである。
沖縄では少女暴行事件の後も米兵による犯罪が繰り返されているが、米国はこの問題に本気で取り組もうとしていない。日本の政府や国民 はなぜそれを容認し、米国側に寛大な態度を取り続けているのか理解できない。おそらく日本にとってもそれが最も簡単な方法だと考えているからであろう。
-岡田外相は嘉手納統合案を提案したが、米国側は軍事運用上の問題を理由に拒否した。
米軍制服組のトップは当然そう答えるだろう。しかし、普天間基地が長い間存在している最大の理由は米軍の内輪の事情、つまり普天間の海兵隊航空団と嘉手納の空軍航空団の縄張り争いだ。すべては米国の膨大な防衛予算を正当化し、軍需産業に利益をもたらすためなのだ。
米軍基地は世界中に存在するが、こういう状況を容認しているのは日本だけであろう。もし他国で、たとえばフランスなどで米国が同じことをしたら、暴動が起こるだろう。日本は常に受身的で日米間に波風を立てることを恐れ、基地問題でも積極的に発言しようと しない。民主党政権下で、米国に対して強く言えるようになることを期待する。(…)
日本にはすでに十分すぎる米軍基地があり、他国から攻撃を受ける恐れはない。もし中国が日本を攻撃すれば、それは中国にこれ以上ない悲劇的結果をもたらすだろう。中国に関するあらゆる情報を分析すれば、中国は自ら戦争を起こす意思はないことがわかる。中国の脅威などは存在しない。それは国防総省や軍関係者などが年間 1 兆ドル以上の安全保障関連予算を正当化するために作り出したプロパガンダである。過去 60 年間をみても、中国の脅威などは現実に存在しなかった。
北朝鮮は攻撃の意思はあるかもしれないが、それは「自殺行為」になることもわかっていると思うので、懸念の必要はない。確かに北朝鮮の戦闘的で挑発的な行動がよく報道されるが、これはメディアが冷戦時代の古い発想から抜け出せずにうまく利用されている側面もある。
(…)
―日本では普天間問題で日米関係が悪化しているとして鳩山政権の支持率が急降下しているが。
普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのはまったく問題ではない。日本政府はどんどん主張して、米国政府をもっと困らせるべきだ。これまで日本は米国に対して何も言わず、従順すぎた。日本政府は米国の軍需産業のためではなく、沖縄の住民を守るために主張すべきなのだ。日本人が結束して主張すれば米国政府も飲まざるを得ない。(…)
同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本人はなぜ立ち上がろうとしないのか、私には理解できない。もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう。

これは私が海外特派員協会で英国人のジャーナリストから聞いたこととほぼ同一の内容である。
彼は韓国における基地縮小のプロセスを例に引いて、「もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう」という見通しを語った。
私が韓国における基地縮小のための国民的運動について何も知らないと言うと、彼はひどく驚いていた。
日本のメディアはそれを報道していないのか。
韓国民が米軍人や家族に対して、基地周辺でのレストランや商店への入店拒否などの激しい排斥運動を通じて国民の意思を示したということを君は知らないのか。
私は知らないと答えた。
あるいは小さな外信では紹介されたのかもしれないが、これを範として日本列島内の基地の縮小撤去のために国民的運動を起こそうというようにた提言したメディアのあることを私は知らなかった。
私が基地問題について書いていることは前からほとんど変わらない。
それはもう少し時間的にも空間的にも大きな文脈で問題を見た方がいいのではないか、ということである。
滑走路の距離が何メートルであるとか、紛争地に飛ぶのに要する時間が何分であるとか、「くい打ち」だと工費がいくらかかるとか、そういうテクニカルな議論に入る前に、まず「すること」があるのではないかと申し上げているのである。
なぜ、日本国民が結束して米政府に対して「基地は要らない」という要求をなすための合意形成を支援するといういちばん常識的な仕事をメディアは選択的に放棄するのか。
メディアはこの問いに答える義務があると思う。
まだ誰も答えてくれない。
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