東に行ったり西に行ったり

2010-05-03 lundi

ハードな三日間。
4 月 30 日、教授会研修会で、大学のミッションステートメントについて研修。途中でアドミッション・ポリシー分科会を抜け出して、新幹線で東京へ。
「アドミッション・ポリシー」というのは大学がどういう学生を入学させたいのか、その「理想」を語るという趣旨のものである。
そのような「理想とする学生像」を提示できない大学にはペナルティが与えられるであろうという教育行政からのご指導である。
ほとんどの大学が志願者確保に苦しんでいる実情を勘案すると、ずいぶんシニックな考え方のようにも思われる。
だが、ほんらいは「こういう教育がしたい」という建学の理想がまずあり、「そのような教育を受けたい」という学生はその後に、その理想に「感電」するようにして登場するという順序で学校教育は生成したのである。
だから、「まず理想を」というのは順序としては正しい。
順序としては正しいが、口ぶりがよろしくない。
「きちんとしたミッションステートメントを提示すべきだ」というのは一般論としては正しい。
だが、それを「きちんとしたミッションステートメントを提示せよ」と命令法で語るのは間違っている。
それは、行政が大学をある種の「幼児」として扱っているということだからである。
ミッションステートメントを明らかにせよと「上」から言われて感じるのは、入学試験や就職試験の面接で「で、キミはうちに入ったら、何をしたいわけ? ん。具体的に言ってみたまえ」と査定している面接官の前でぺらぺらと作文を読み上げている受験生のポジションにいる気分である。
教育機関を査定される側の「おどおどした」ポジションに置くことを文部行政は好む。
だが、朝令暮改の行政指導に右往左往し、「こんなもんでよろしいでしょうか?」と上目遣いをするような教育機関ばかりになったときに、日本の教育はその理想状態に達すると彼らが考えているとしたら、彼らの知性はかなり不調であると判じてよろしい。
人は幼児のように扱えば、幼児のままであり、成人のように扱えば、成人に変わる。
それは私の経験則である。
わが教育行政は「高等教育機関を幼児のように扱う」ことのリスクについて危機感が少ない。
その危機感の欠如が高等教育の土台を掘り崩している可能性について懸念する人は教育行政の要路に一人もおられぬのであろうか。

池袋のジュンク堂にて、Monkey Business 三周年記念のトークセッションにご招待いただき、編集長の柴田元幸さんと「アメリカ」について語り合う。
私のアメリカ論の中心テーマは「日本人はアメリカ人の気持ちになることができない」というものである。
つよい心理的な抑制がかかっていて、私たちはアメリカ人に共感することができない。
いや、私はアメリカ人のことがよくわかっている、とおっしゃる方も大勢おられるであろう。
彼らが言っているのは、「外から見たときの」ある種の「パターン」についてである。
私が訊きたいのは、そういうものではない。
アメリカの国民的なアイデンティティーの中核部分を形成している「西漸の情熱」「旧大陸への憎悪」「武装権」「キリスト教原理主義」「先住民虐殺事実の忘却」「ニューカマーへの組織的迫害」「女性嫌悪」といった一連の行動を生み出す「胎」のようなものに私たちの想像力は届くのか、ということである。
この「アメリカ的なものの胎」に触れることをめざす研究者は私の知る限りほとんどいない。
ほとんどのアメリカ専門家はすでに制度化し物質化した「アメリカ」については詳しい。けれども「アメリカ」をそのようなものたらしめた本源的な力については言及しない。
それは富士山の造型や植生や登山ルートについては詳しいが、富士山をそのようなものたらしめた地下のマグマの状態については何も語らない人に似ている。
その「胎」のごときものの蠢動を感知し、それに部分的に共振できるような身体をもつ人の語る「アメリカについての言葉」を私は聴きたい。
柴田元幸さんはそれができる数少ない日本人の一人である。
トークセッションのあと、版元のヴィレッジブックスの平井さん、イーストプレスの浅井さんと四人でプチ打ち上げ。
さらにディープな話が繰り広げられる。
平井さんが必死になって IC レコーダーで録音していたので、Monkey Business の次号ではジュンク堂のあとワインを飲みながらの柴田さんとのトークも収録されるかもしれない。
お楽しみに。

山の上ホテルに投宿。早起きして、広島の多田先生の講習会へ向かう。
GW のどまんなかにぶつかってしまったので、東京駅は朝から大混雑。広島行きの指定席はソールドアウト。とりあえず新大阪まで行き、そのあと新大阪発、広島行きの列車に乗り継いで、午後の講習の開始時刻にようやく会場にたどりつく。
夕方までばんばん稽古して、さすがにへろへろになる。
日頃受け身というものをほとんど取らないで、「口先合気道」に専念しているせいで、ごろごろ床に転がされると、だんだん起きるのが面倒になる。
それに四月以降、合気道も杖道も、会議や授業が重なって、ほとんど週日の稽古ができない状態なので、体力がだいぶ落ちている。
それもあと11ヶ月の辛抱である。来春からは思う存分稽古するぞ。
ホテルで汗を流して、5分ほど仮眠して、懇親会会場へ。
冷たいビールをごくごく飲んで、辛い四川料理をぱくぱく食べて、多田先生を囲んで愉快な時間を過ごす。
先生から「リゾット・コン・シャンパーニュ」のレシピを伺った話はツイッターに書いた。
一回にシャンペン一瓶を投じるそうである。
え、一瓶? いったいどれほどのお米を・・・とお訊ねすると、「イタリア米一パック」というご返事。
1パックはたぶん1キロ(7合)。それを父子おふたりで一食でお食べになるのだそうである。
センセ、それ食べ過ぎでは・・・
先生をとなりの ANA ホテルまでお送りしてから、二次会へ。
ほかの場所で飲んでいた諸君も合流して、15 人ほどになってフレンドリーなおばさんたちばかりのフェミニンな居酒屋へ雪崩れ込む。
「フレンドリーなおばさんたちばかりのフェミニンな居酒屋」というのはまことに斬新なコンセプトである。
そこでホッピーなどひとしきり痛飲。
11時にホテルに帰り、たちまち爆睡。翌朝8時まで9時間寝。

朝ご飯を食べて、タクシーで講習会のある武道館へ。
途中、S 嬢が道路中央にバッグを落とし、それが市電に轢かれて、携帯、デジカメなどが大破するという事故があった(市電は急停車、しばらくダイヤに乱れが生じた)。
S 嬢は前日より「新大阪にて新幹線乗り遅れ」「ロッカーの鍵紛失」「二次会会場よりタクシー乗り遅れ」と立て続けにトラブルに見舞われていたが、これで四つめ。
たいへん不運な方なのか、それとも・・・。いずれにせよ、今後の動きに道場関係者の注目が集まっている。

講習会無事に終了。多田先生をお見送りして、いつものように広島駅「第二麗ちゃん」にて、広島焼き(スペシャル:卵、イカ、海老、焼きそば入り)を食べ、生中をごくごく飲む。
初夏の一日稽古して、身体中の水気が絞り出されたあとなので、このときの冷たい生中はほんとうに「甘露」である。
恒例のごとく「もみじ饅頭」を購入し、新幹線待合室にて、同じ列車で帰る清恵さん、谷尾さん、ウッキーと寛也さんにいただいた雪中梅で乾杯。
美味しい〜
別の新幹線に乗る諸君がぞろぞろ前を通るので、そのつど呼び止めては乾杯。
車中にてもさらににぎやかに乾杯が続くのであった。
みなさん、お疲れさまでした。楽しかったね。
今年の参加者は31名。来年はもっと増えそうなので、往復バスを仕立てて、ホテルもまとめて予約することにする。ほとんど合宿と変わらない。
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