大人への道

2010-04-22 jeudi

お休みの日だけれど、取材が二件あるので大学へ。
最初は花王の研究所のみなさん。30 代の中堅どころのチームリーダーのみなさんが「ちかごろのわかいもん」をどうやって組織人に仕立て上げたらよろしいのでしょうかという悩みをかかえていらしたのである。
よくぞ私のところに「それ」を訊きに来られましたな。
Right time, right place とはこのことです。
前日の週刊ポストの取材もほとんど同趣旨のお訊ねであった。
要するに「共同的に生きる」ということの基礎的なノウハウが欠如した社会集団がいるのだけれど、それを「どうしたらいいのか」という問いである。
「どうしたらいい」のかという対症的な問いの前に、「どうしてこのような集団が発生したのか」という原因についての問いが立てられなければならない。
同じことをもう繰り返し書いているので、詳しくはもう書かないが、要するに「自己利益を優先的に追求すること」「自分らしく生きること」がたいへんけっこうなことであるというイデオロギーが 80 年代から 20 年余にわたり官民あげての合意によって、日本全体に普及したことのみごとな結果である。
当の若い方たちに責任があるわけではない。
自己利益と自分らしさの追求が国策的に推奨されたのは、それが集団の解体を促進し、市民たちの原子化を徹底し、結果的に消費活動の病的な活性化をもたらしたからである。
考えれば当然のことだ。
資本主義は市民の原子化・砂粒化を推し進める。
「他者と共生する能力の低い人間」は「必要なものを自分の金で買う以外に調達しようのない人間」だからである。
それこそ理想的な消費者である。
それゆえ、高度消費社会は、「自分が自分の手で稼いだものについては、それを占有し、誰ともシェアしてはならない。『自分らしさ』は誰とも共有できない商品に埋め尽くされることで証示される」と信じる子どもたちを作り出すことに国力を傾けた。
共生能力が低く、自己利益の確保を集団の利益の増大よりも優先させる若者たちは官民挙げての国民的努力の「成果」以外のなにものでもない。
それについて「誰の責任だ」と凄んでみても始まらない。
そのような若者たちのありようについては、ある年齢以上の日本人全員に責任がある(私自身は「そういうのはよろしくないです」とずっと言ってきたが、私の声がさっぱり「世論」の容れるところにならなかったのは畢竟私の非力さゆえであり、その意味では、この否定的状況について私もまたその有責者であることに変わりはない)。
何より、このような共生能力の欠如は、日本社会が例外的に豊かで安全である限りは市場に活気をもたらす「プラス」の要因であったことを私たちはどれほど苦々しくても認めなければならないと思う。
そのような理想的消費者の出現のおかげで現に企業はおおいに収益を上げたわけであるから(花王さんも含めてね)、いまさら「困った」と言われても困る。
「痩せたい。でも食べたい」というのと同じである。
この世が成熟した市民ばかりになれば、市場は「火が消えたようになる」けれど、それでもいいですか、ということである。
というのも、「成熟した市民」は、その定義からして、他者と共生する能力が高く、自分の資産を独占せず、ひろく共用に供する人間だからである。
それは自分もあまりお金をつかわないし、人にもつかわせない人、ということである。
「成熟した市民」とは言い換えれば「飢餓ベース」「貧窮ベース」の人間のことである。
危機的状況でも乏しい資源しかない場所でも生き延びることができる「仕様」の人間のことである。
記号的・誇示的な消費活動ともっとも無縁な人たちである。
だから、資本主義は市民の成熟を喜ばない。
そのことを肝に銘じておこう。
日本社会が「子ども」ばかりになったのは資本主義の要請に従ったからである。
「子ども」というのは「安全ベース」「飽食ベース」の人間のことである。
危機的状況や資源の乏しい状況で「まっさきに死ぬ」個体のことである。
年齢とは関係ない。
安全で豊かな社会は「子ども」ばかりでも別に支障なく機能する。
けれども、安全でも豊かでもなくなりはじめた社会においては「子ども」であり続けることは生存戦略上著しく不利になる。
というのも、週刊ポストも花王さんも、「ぶっちゃけた話」をすると、私に訊きに来たのは実は「こいつら、棄ててもいいですか?」ということだったからである。
いや、隠さなくてもよろしい。
口には出さなかったけれど、内心ちょっとは思っていたでしょ。
「子ども」が邪魔なんですけど・・・って。
私の答えは「だめです」というものである。
「子どもが邪魔だから子どもを切り捨てる」というのは「子どもの発想」だからである。
大人はそんなふうには考えてはならない。
子どもを大人にする方法について考える。
子どもを大人にする方法はひとつしかない。
それは「大人とはこういうものである」ということを実見させることである。
「子ども」たちが「子ども」であるのは、実は長い歳月のあいだ「子ども」しか見たことがなく、成熟のロールモデルを知らないからである。
申し訳ないが、親も近所のおじさんおばさんも学校の先生もバイト先の店長もテレビに出てきてしゃべる人たちも、みんな「子ども」だったのである。
「子ども」以外見たことがない人がどうして「大人」になれよう。
かつて『「おじさん」的思考』に漱石論を書いたときに、その末尾に私はこう記した。それを再録して筆を擱くことにしよう。

夏目漱石は「青年はどうやって大人になるのか」という主題を掲げて明治末年に多くの作品を書き残した。それは単に作品の「主題」が青年の成熟であったということに止まらず、漱石自身が「欲望の中心」となり、漱石を範とする成熟の運動に読者たちを巻き込むという仕方で遂行されたのである。
「おとな」とは、「『おとなである』とは、これこれこう言うことである」という事実認知を行う人のことではない。実際に「子ども」を「おとな」にしてしまったことによって、事後的にその人が「おとな」であったことが分かる、という仕方で人間は「おとな」になる。
だから明治40年、夏目漱石が東京帝国大学を辞して朝日新聞に『虞美人草』を執筆する決意をしたとき、漱石は近代日本最初の「大人」になったのである。
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