雪山から中之島へ

2010-03-14 dimanche

ずいぶん長いことブログを更新していなかった。
もちろんめちゃめちゃ忙しかったからである。
3月5日会議が6つ。そのあと神戸シェラトンで温情会。
6日朝、三宅接骨院、11時から15時まで、岡田山ロッジにて合気道稽古。そのあと下川先生のところでお稽古。帰宅してカレー作成。
7日、下川正謡会新年会。早朝、近くのコンビニから荷物発送。10 時から 19 時まで。舞囃子『野守』、素謡『大原御幸』、地謡は『敦盛』、『放下僧』、『屋島』、『芭蕉』、『鉢木』などなど。
『野守』はちょっと急ぎすぎ。
帰宅してよれよれになってダリオ・アルジェントのホラー映画の二本立て。

8日、極楽スキーの会に出発。6時前に起きて、締め切りの原稿を書き飛ばす。ゲラを駅前のコンビニで送ってから大阪駅へ。
極楽メンバー、今年は15人。新人が三人参加。
極楽スキーの会はその名のとおり、山海の珍味を食し、温泉に入り、酒を酌み交わし、清談し、あいまにスキーもするという極楽オリエンテッドな集団である。
15名中、専任教員が11名(あと先輩1名、非常勤1名、おこさま2名)。
教員11名を擁する規模の結社というのは、本学には極楽スキーの会しかない。
いくつかの学科より構成員数が多いのである。
そこに理事、正副学生部長、入試部長、組合執行委員長がまじっていて、露天風呂で夜空を見上げつつ、また深更「帰山」などを酌み交わしつつ「ここだけの話」をしているのである。
この会のメンバーになるということは、きわめて質の高い classified information にアクセスできるということである。
極楽スキーの会が「KC のフリーメーソン」と呼ばれているのは(呼ばれていないが)あながち誇張とは言われぬのである。
今回は幹事交代についての議が凝らされ、年長者に対する節度ある接し方、すがすがしい酒の飲み方などを総合的に勘案して、T 中先生が晴れて次期幹事候補に指名された。
思えば、スポーツマンライクで禁欲的な「シーハイルの会」を犯罪的に解体し、ブルジョワ的享楽主義路線への大胆な修正を断行して会名を「極楽スキーの会」として以来、すでに 20 年近い歳月が経とうとしている。
その間、幹事のたいまつはウチダからワルモノ先生に手渡されたのであるが、それがまた次代の極楽主義者の手に引き継がれようとしているのである。
感無量である。
極楽スキーの二日目にやまびこ E コースにて転倒、右足ふくらはぎの筋肉を挫傷。いてて。
筋肉繊維が切れる「ぶつん」という音が聞こえた。
でも、スキーというのはふくらはぎの筋肉を使わないことを今回知った。
この筋肉は上り坂を上がるときには頻用されるのであるが、下り坂を下るときにはぜんぜん使わないのである。
だから、そのままスキーをする。
翌3日目は半日だけお休み。ゲラが三つもスキー場まで追ってきたからである。どうしてこんなところまで来て原稿書かなくちゃいけないんだよと悪態をつきながら、みんながゲレンデに去ったあとの宿の部屋でパソコンを打つ。
でも、午後からは合流。快晴のスカイラインコースを気分よく滑る。
最終日も快晴。雪質も最高のコンディションでした。
最後に「庄平」で大ザルと升酒(水尾)と蕗の天麩羅などを食し、全員サバ眼となって帰路に就く。

13日朝三宅接骨院にて足をみてもらう。
三宅先生の見たては「それほどたいしたことないです」ということで、湿布薬とサポーターをもらって合気道の稽古へ。
来週から合宿で、昇段級審査があるので、やたら人が多い。
今回の合宿では初段から四段まで受審者が 10 人もいるので、審査に半日かかりそうである。
忘れずに地謡用の「座椅子」を持っていかないと、足がしびれてしまう。
さらに特訓をするという若者たちを残して帰宅。スーツに着替えて、中之島の朝カルへ。
今回は釈徹宗先生との『現代霊性論』出版記念イベント。
講談社の加藤晴之さんたちがおいでになっている。対談は週刊文春の来週号に掲載されるので文春の方も見えている。
講談社の本の宣伝に文藝春秋の週刊誌を呼び寄せるとは・・・加藤晴之恐るべし。
お客さんたちはいつものみなさん。田村くん親子、黒田くん、慎さん親子、青山さん、かんきちくん、おおさこくん。みなさんどうもありがとう。
話はたいへん面白かったです。
そのあとヒルトンの聘珍樓にて講談社主催の打ち上げ宴会。
最初のプロデューサーだった藤本真美さん、テープ起こしをしてくれたウッキー、朝カルの仕掛け人森本さんと美味しいご飯をいただき、おさべり。
家に戻ってさすがにばたりと倒れる。
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