隠居計画と「浮き歯」のかなしみ

2010-01-24 dimanche

いろいろなところから毎日のように仕事の依頼が来る。
朝起きて、メーラーを開いて、何通も何通も「貴意に添えずに申し訳ありません。どうぞ窮状ご諒察の上、ご海容ください」と書くにもさすがに疲れてきた。
というわけなので、なぜ私が「仕事ができないのか」その事由について、ここで改めて明らかにしておきたいと思いますので、よく読んでね。

(1)2010 年2月3月については「入試ハイシーズンであり、入試部長として入試業務の統括責任者の立場にあり、時間的にも精神的にも、新規の仕事を入れるような余地がありません」
(2)2010 年9月までについては「歯の治療中であり、8月末にインプラント移植が済むまで、2月以降数回のオペが予定されており、術後しばらくの期間は『うまくしゃべれない』状態が続きますので、人前で話すことができません」
(3)2011 年3月までについては「大学で過ごす最後の一年であり、学外での仕事は原則としてお断りし、教育と学務に専念したいと思っております」
(4)2011 年4月から10月までについては「退職後半年間は、すべての公的活動から離れ、『隠居』生活でゆっくりと年来の疲れを癒したいと考えております」

ご覧の通り、来年の10月までは私に何を頼んでもダメだということである。
「歯が浮く」というのはふつう「お世辞を言われた」場合の身体反応であるが、私の場合は、仮歯を固定する二本ビスのうちの一本が取れてしまったので、歯が宙に浮いている状態を指している。
これはたいへん面倒なものである。
まず、しゃべっている間に「歯ががくがくする」のである。
アニメで骸骨がしゃべっているときに、下顎骨が宙に浮いたままがくがく動くが、あれをご想像いただければよろしいかと思う。
しゃべる方は黙っていればそれで済むのだが、歯が浮いているとご飯が食べられないのが困る。
粘り気のあるものを口中に投じると、それといっしょに歯が浮き上がってしまう。
下顎の歯列が宙にある場合に、何を以て「噛む」という動作をなせばよろしいのか。
しかたがないので、口中に指を入れて、いったん歯列を下顎のしかるべき場所に押し戻し、その上で、ゆっくりと上下の歯列を動かし食物の切断を行う。
ご存じのように歯というのはたいへん鋭利なものであり、まちがえて舌を切断したりしたらおおごとであるので、この作業は慎重を要する。
一回咀嚼するごとに歯列の位置確認を行い、次の咀嚼行動に許可を出す。
だからなかなかご飯を食べ終わらない。
一昨日から家ではずっとお粥を啜っている。
これは噛まなくていいので楽ちんである。
昨夜はゼミの卒業生たちと梅田でイタリアンを食べた。
前からの約束なので、いまさら「お粥じゃ、ダメ?」とは言い出せない。
お肉などは噛み切れないので、「真鯛のカルパッチョ」と「茄子とトマトソースのパスタ」を選ぶ。
カルパッチョは小さく切ればぱくぱく食べられるのだが、むずかしいのは生野菜である。
歯がダメになるまで、「野菜は硬い」ということを知らなかった。
生野菜というのはけっこう硬いものなのである。
キュウリなんかけっこうすごい。
キャベツの千切りも硬い。
噛めないので、呑み込むことになるのだが、「キャベツの千切りを噛まずに呑み込んだ」ことがあるひとはすぐにご同意していただけるであろうが、ぜんぜん美味しくないのである。
世の中には「よく噛まないと美味しくないもの」と「そのまま呑み込んでもけっこう美味しい」食物の二種があることを仮歯によって学んだ。
意外なことに肉とか刺身とかは噛まずに呑み込んでも美味しく、野菜はよく噛まないと美味しくないのである。
肉食獣というのは「がつがつと肉を喰らう」という感じがするが、あれはたぶん成長期の中学生といっしょで、食い意地が張っているせいで、ちょっと噛んだだけで、呑み込んでいるのである。
その点草食獣というのは、硬い植物をゆっくり噛み砕き、ぐりぐりと反芻し、べとべとにしてからようやく呑み込むという感じがするのだが、それは真実だったのである。
もっとも食べやすいのは「麺」である。
麺の食べ方は「たぐる」である。
いわば、「吸引」ですね。
下方にある麺を上方に向かって、じゅるじゅると「吸い上げる」わけであり、噛むどころか、口腔なんか「あ、どうも」で通過して、もういきなり食道に直行するのが、麺の真骨頂である。
吸引力さえあれば、歯なんかなくても平気である。
年を取ってから、父が「夏は冷や奴と素麺くらいでいいよ」と言って、胡瓜のぬか漬けなんかにあまり手を出さなかったのは、歯のせいだったのかということを今頃になって理解した。
それにしても早く手術を終えて、ばりばりと胡瓜を囓り、ビーフジャーキーを噛みちぎり、フランスパンを喰い切りたいものである。
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