銀行と書評

2010-01-22 vendredi

水曜、木曜とひさしぶりにオフが続く。
でも、水曜は歯医者で5時間。木曜は銀行。
銀行ではいつもように損失についてご説明を受ける。
過去 10 年ほど、銀行に言われるままにドル預金をし、投資信託をし、保険に入り、そのすべてにおいて巨額の損失を出した。
私は利殖に何の興味もないので、黙って定期預金にしていたのに、それを「こっちのほうが利率がいいですから」と執拗に誘われて付け替えたのである。
別に利率のいい貯金をしたかったからではなく、あまりにうるさく営業されたので、断るのが面倒になって「はいはい」とはんこをついてしまったのである。
こういうのを断るのはむずかい。
「年利率が4〜5%は見込めます」という営業トークに対して年利0.25%の定期預金を死守するためには、「私は利息のつかない預金という形態をたいへん好もしく思っている」という心情をご理解いただくか、銀行マンに向かって「あなたの世界経済見通しは間違っている」ということを論拠を示して挙証せねばならない。
私にはそのどちらもできなかった。
さいわい、「銀行マンの経済見通しが間違って損をした」という厳然たる事実があるので、これから後は大手を振って「私は銀行の言うことは信用しないことにしている」ときっぱり宣言できるようになったというのが対銀行関係における私の唯一のゲインである。
今回のご用は「金を借りないか」というご提案である。
いま別に要らないからいいですとお答えする。
ご存じのとおり、銀行には、「お金を貸して欲しい人」には貸さず、「お金が要らないひと」に貸そうとする趨向性がある。
不思議な商売である。

家に戻って原稿書き。
『波』の原稿6枚、『文學界』の原稿6枚。
私は人も知る「絶賛書評」家なので、私に注文が来るということは、「絶賛してね」というオーダーと解して過たない。
「書評お願いします」と言われれば、とりあえず絶賛する。
さいわい、書評で絶賛したせいで、たいへん困った事態に陥ったという事例にはこれまで遭遇したことがない。
世の批評家たちのなかには絶賛しないどころか、書評でひとの本の欠点を論う人がいるが、あれはどうかと思う。
書評というのは、いわば「本」の付属品である。
鰻屋の前に立って、道行く人に向かって「ここの鰻は美味しいですよ」というのは赤の他人の所業でもつきづきしいが、「ここの鰻はまずいぞ」と言い立てるのはやっぱりお店に対して失礼である。
つかのまとはいえ、先方の軒先を借りてるんだから。
そういうことは自分の家に帰って、同好の士を集めて、「あそこはタレが甘いね」とか「ご飯が硬いんだよ」とかぼそぼそ言えばよろしいのではないかと思う。
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