ああ、疲れた

2010-01-18 lundi

ああ、疲れた。
センター入試が終わって、家に戻って、焼きそばを作って食べて、ビールで流し込んだら、猛烈に眠くなって、10時半にベッドに潜り込んで寝てしまった。
さすがに疲れます。
センター入試のミスは翌日には新聞報道され、ひろく天下の知るところとなる。
そして、「ミスの種子」にはそれこそもう天文学的な数のパターンがあるのである。
昨日は「汚損答案」の処理について、ひとしきり議論がなされた。
汚損答案というのは、問題を解答しているうちに、なんらかの理由でマークシートが汚れて、読み取りに支障が出そうな場合、解答用紙を交換することである。
試験終了10分前までなら用紙を交換して、転記してもらう。試験終了後は受験生はもう用紙には触れないので、「汚損答案」というものは発生しないはずなのだが・・・
「たとえば、そのとき鼻血がブッと出て、答案にこぼれた場合」とか「興奮のあまり、答案用紙にゲロを吐いてしまった場合」などに監督者はどう対応すべきかと訊かれて困惑してしまった。
どうすればいいんでしょうね。
そのほかにも、監督者が答案を持ち帰る途中でけつまずいて転んで、答案用紙をドブに落としてしまった場合とか、どうすればよろしいのか。カラスがウンコを垂れた場合にはどうすればよろしいのか。
とにかく無数のトラブルが想定されるわけで、それらを網羅的に列挙してそれぞれについて正しい対応をマニュアルに書き加えてゆくと、いずれマニュアルは電話帳の数冊の厚さとなり、試験監督者たちがそれを通読し、内容を暗記しようとすれば、一年中「翌年のセンター試験のマニュアル暗記のため」に授業は休講、研究は滞り、会議ではみな内職ということになりかねない。
いや、冗談抜きに、いまでさえ入試部長用マニュアルは4冊、厚さはすでに神戸市の電話帳を超えているのである。
結局、こういうものは「ま、現場現場でですね、常識的にご判断いただいてということでですね・・・」ということでやる他ないのである。
その「常識的」が通らないのがつらいところで、うるさくクレームをつけてくる受験生や親たちがいると、大学側はたいへん弱腰に対応することを余儀なくされるのである。
咳をする人がいる、貧乏ゆすりをする人がいる、監督者の足音がうるさい、はちまきをしているやつがいる、隣の人の香水がきつい、カラスの鳴き声がうるさい・・・ひどいのは(これは去年ほんとうにあったのだが)「となりの受験生の答案を書く鉛筆の音がうるさいから、なんとかしろ」というクレームさえあった。
そういうのは閾値以下の「生活騒音」とされるはずなのだが、「生活騒音」と「我慢できないこと」の境界線は限りなくグレーなのであり、主観的に「耐え難い」と主張されれば、「そういうものかな」と応じる他ない。
でも、受験生だったことのある人間ならわかるはずだが、試験解答に集中している人間には外界からの五感への入力はきわめて低いのである。
ほんとはね。
試験というのは「与えられた環境でベストを尽くす」ことのできる能力を問うものであって、「ベストの環境でなければベストが出せないからベストの環境を用意しろ」というような他責的な言葉づかいが不用意に口を衝いて出て来るような子どもはこのせちがらい世を長生きできぬのではないかという疑念がみなさまのうちにふっと兆しても私は「そういうこともあるかもしれない」と静かに応じたいと思うのである。
とにかく、そういうわけでたいへん疲れる二日間であったが、無事に「出棺」の儀を終える。
これはどの大学でも期せずしてそう呼ぶらしい。
マークシートは金属製の箱に入れられて厳重に梱包されて、コンテナ車に積み込まれ、ガチャンと施錠されて警察や警備会社の車を伴って入試本部から送り出されるのであるが、それを学長以下の入試スタッフがしずしずと合掌して見送るさまは「出棺」以外のなにものでもない。
ああ、疲れた。
でも、この苦役もあと一回でおしまいである。
来年の今日からあとは、もう二度とセンター試験に関与せずに済む。
それを思うだけで、頬が紅潮し、動悸が高まるほど、うれしい。
--------