言い訳ばかりがうまくなり

2010-01-03 dimanche

お正月なので東京に来ている。
一日の夜遅くに新横浜に着く。新横浜の駅の上のホテル(先日取材で使ったところ)で一泊。
改札口の前にロビーに直行するエレベーターがあって、たいへん便利である。
朝起きて、妻と等々力の実家へ。
母に新年のご挨拶をしているところに、るんちゃんが来る。
しばし三代で歓談。
向かいの兄の家にもご挨拶に伺うが、兄は風邪伏臥中、甥たちは全員他出中で、嫂にのみに年賀のご挨拶。
いかにもお正月的青空の下をとことこ歩いて等々力不動尊で初詣をしてから、吉祥寺の多田先生のお宅に年始のご挨拶。
多田先生は昨年の結婚披露宴にお越し願えなかったので、夫婦でご挨拶するのははじめてである。
早稲田と自由が丘の諸君が来ている。
大田さんご夫妻、入江くんご夫妻、高畑さん、有田さんらとご挨拶。
私はそのあとラジオ収録があり、妻は翌朝から福山で仕事なので、30分ほどで慌ただしく席を立ち「先生、話の続きを伺いに、また明日もおじゃまします」とお詫びして早々に席を立つ。

目黒で品川から新幹線に乗る妻と別れて、武蔵小山の Again へ。
ラジオ収録は例の如くラジオデイズのコンテンツ作り。
平川くんとの「東京ファイティングキッズ」でのおしゃべりを定期的に収録して、ネットでダウンロードするという「小商い」である。
養老先生、高橋さん、大瀧さん、小田嶋さん、町山さん、茂木さん、麻里ちゃん…とラジオデイズの扱っているコンテンツは知り合いばかり。
なんだか「町内会で制作しているラジオ」というような感じであるけれど、そういう「体温の近い」対話が聴けるというのがラジオというメディアの手柄なのだから、それはそれでよろしいかと思う。
21世紀の第二d ecade は「パーソナルメディア」と「マスメディア」の中間の「ミドルメディア」がコミュニケーションの中心になるという話である。
ウェブ・ラジオなどは、「ちょうどいい湯加減」のメディアではないかと思う。
みなさん、どうぞごひいきに。

平川くんは暮れのご母堂の葬儀と、おひとりになった父上のお世話でだいぶ窶れて、4キロほど体重が減ったそうであるが、話し始めるといつものように元気いっぱい。
葬儀ビジネスの話から始まって、少子高齢化社会の行く末について、沖縄の基地問題とアメリカの「西漸」趨勢について、1950年代大田区における共産党の文化活動について、60年安保と68年の全国学園闘争の本質的な差異とそれを含むイデオロギー文脈について、アメリカの凋落と経済学者の不調な知性について…と話頭は転々奇を究めて、要説することが叶わぬのである。
冀わくばダウンロードの労を惜しむことなく具に徴されんことを(とはいっても、商品になるのはまだ少し先の話)。
会場を提供してくれて、ときどき「笑い声」と「ひとくちコメント」で参加の石川くんと三人でお向かいのトスカーナでスパゲッティを食べて、お別れ。次にみんなとお会いするのは二月の「温泉麻雀」である。

車中でメールを開くと、加藤典洋さんと内閣官房の松井さんからメールが来ている。
加藤さんからのメールは「岸田秀さんと対談しませんか」というお誘い。
ただちに「喜んで!」とご返事する。
実現するのはだいぶ先になりそうであるが、岸田さんにはお訊ねしてみたいことが山のようにあるから、お会いするのが楽しみである。
松井さんからのメールは「総理とご飯を食べませんか」という二度目のお誘い。
前のときはごにょごにょと言い逃れたのだが、私の何倍も忙しい方を相手にして、「そうはいっても、ぼくもスケジュールが詰まっていますから…」などというふざけた遁辞は使えない(第一、その「スケジュール」の中には温泉麻雀も極楽スキーも含まれているのである)。
一月二月は入試のハイシーズンであるから、まずは本務優先をお許し願うべく、「自分の仕事を放り出して、他人さまの仕事にさしでがましいことを申し上げては、ことの筋目が通りません」と書き送る。
ふう。

PS 文中に最初「ラジオシティ」とありましたが、「ラジオデイズ」の間違いでした。どうもすみません。謹んで訂正させていただきます。
最初に一度「ラジオシティ」と社名を間違って覚えてしまったために、社名を言おうとするたびに、「オレが覚えている社名は間違っているほうだから…」と頭の中で考えて、最初に浮かんで出て来た名前「ではない方の名前」を書いてしまうので、毎回同じ間違いを犯すのでした。
同じ種類の間違いを I 学書院の女性編集者についても繰り返しております。
この機会に改めてお詫びします。
みなさん、ごめんなさい。
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