安倍季昌さんと会う

2009-07-02 jeudi

『考える人』のインタビューで雅楽の安倍季昌さんとお会いする。
安倍さんは1943年生まれ。千年続く京都方楽家(「がっけ」と読んでね)のお生まれ。
家芸は篳篥(ひちりき)と神楽舞。
そのほか、右舞(朝鮮半島系の舞楽)、箏、打物、歌謡などをされる。
宮内庁楽部の伶人として、昭和天皇の大喪の礼、今上天皇の即位の礼、伊勢神宮の遷宮などの大きな儀礼のほか、外国からの来賓が来たときの奏楽や、新嘗祭などの恒例の祭事にひさしくかかわってこられた方である。
私のようながさつな東京下町 “地下人” キッズはこんな企画でもなければ、まずお目にかかることのない「殿上人」である。
でも、たいへんに穏和でユーモラスな方で、篳篥の演奏や舞の運足などを拝見しているうちに、3時間ほどあっというまにすぎてしまった。
私は知らない世界のことについて話を聴くのが大好きなので、話は宮中のことになる。
安倍さんはもちろん「陛下は・・・」と言われるのだけれど、安倍さんの口から出る柔らかい音色の「へいか」という言葉は、政治家やナショナリストのイデオロギーが口にする同じ言葉とは手触りがまったく違う。
それは政治的な「記号」ではなく、生身の人間について用いられている代名詞だからである。
私はこんなふうに「陛下」という語を発語する人とはじめて会った。
宮中の祭事について、私たちはほとんど何も知らないけれど、新嘗祭などは夕方から深夜まで続き、その間楽師たちは奏楽し続けている。祭事が終わるころには楽師たちも疲弊し果てているが、陛下もまた蒼白となって、よろめくように賢所から出て来られるそうである。
この国の五穀豊穣を神に感謝する祭事を、誰も見ていないところで、何人かの人たちが粛々と、骨身を削るようにして行っている。
「それがどうした」と思う人もいるだろうけれど、私はこういうのも一種の「雪かき」仕事なんだろうと思う。
その仕事の意味や有用性について誰も保証してくれない仕事を、それを完遂しても誰からもねぎらいの言葉がかけられない仕事を黙って行っているからである。
安倍さんの言葉の端々からはそういう報われることの少ない仕事に全身を捧げている人に対する真率な敬意が伝わってきた。
そして、「真率な敬意」というものが私たちの社会では今やどれほど希有のものかを思い知ったのである。
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