1Q84 読書中

2009-06-04 jeudi

『1Q84』読書中。
もったいないのでちびちび読んでいる。
何誌からか書評を頼まれたが、最初に『週刊文春』の山ちゃんから本を送ってもらってしまったので、渡世の仁義上、あとはお断りする。
ぜんぶにそれぞれ違う内容の書評を書くというのも考えてみると楽しそうであるが、遊んでいる暇がない。
まだメディアでは書評が出ている様子がないけれど、みんなどうしているのだろう。
私はひたすら「ゆっくり」読んでいるので、今 Book 2 の中程である。あと4分の1しか残っていない。
子供の頃には、面白い本を読んでいて、残り頁がだんだん減ってくると「ああ、楽しい時間もあとわずかだなあ」と悲しくなった。
どこか「ダレ場」が来たら、そこで読むスピードを落とそうとするのだが、それがないのが「面白い本」の面白い所以であって、結局、「あああ」と言っているうちに最後まで一気に読んでしまうのである。
そういう残り頁数が減ってくると切なくなってくるという書物には思春期からあとなかなか出会うことがなかった。
教養主義的読書というのは、とにかく「冊数をこなす」ということが主要な目的であるので、「ちびちびと舐めるように読む」というようなことはふつう起こらない。
それに『戦争と平和』や『ジャン・クリストフ』や『静かなドン』を「ちびちびと舐めるように」読んでいたら、それだけで一夏が終わってしまう。
いつのまにか「とにかく一刻も早く読み終える」ために読む本と、「できるだけ読み終わらずずるずるその世界にとどまっていたい」本に世界の書物が二分された。
そして、どういうわけか若かった私は前者を「仕事」本、後者を「娯楽」本というふうに見なし、「できるだけ仕事をして、娯楽は控えめに」という禁欲的な読書態度を維持したのである。
というのは、「仕事本」は「誰もが読まねばならぬ本・私以外のほとんどの人がすでに読んでいる本・それゆえ、しばしばその本についての言及がなされるのだが、そのとき『あ、それオレ読んでないんだわ・・・』とカムアウトすると、白々とした沈黙で応じられる本」だと思っていたからである(長じて気づいたことだが、実はみんなあんまり読んでいなかったのである。読んでいるような顔をしていただけで)。
ともかく、そっちの方の「仕事」本読書に忙しく、「娯楽」本は隅においやられた。
それでも、ときどきその日の「仕事」はもう十分にしたな、という手応えのあったときは、「娯楽」本をいそいそと取り出して、ワイン片手に夕暮れのベランダで、パスタを茹でているあいまに読んだ(村上春樹がこのような本を「パスタ本」と呼んでいることを後年知った)。
でも、そういう「パスタ本」について誰かと話し合うということはほとんどなかった。
何しろそれはたいていの場合、私のまわりの知識人(およびウッドビー知識人)諸君は読んでいない本(読んでいても、読んでいないふりをしている本)だったからである。
『長いお別れ』や『若草物語』や『あしながおじさん』や『竜馬がゆく』や『宮本武蔵』や『桃尻娘』や『マイク・ハマーに伝言』について、院生や助手だった時代に私は誰とも話した記憶がない。
村上春樹の小説は最初「仕事本」として私の書架に加わった。
「こういうものが最近は読まれているらしく、このような文学的傾向について一家言ないとまずいわな」というような態度で私は『風の歌を聴け』に臨んだ。
その小説は芦屋の街が舞台で、「阪神間」という落ち着きと活気が独特の比率でブレンドされたエリアの空気が行間から漂い出ていた。
私はそのころまだ東京に住んでいたので、阪神間のことは想像的にしか知らなかった。
「芦屋」についての私の先入観を形成したのは谷崎潤一郎の『細雪』である。
私の母は灘のブルジョワ家庭で育った三人姉妹の人なので、『細雪』を読むと少女時代の阪神間の風情をありありと思い出すとよく言っていた。
そのせいで、私は芦屋という街に自分が何かの絆で宿命的に結びつけられているような気がしていた。
そして、勝手に頭の中で空想上の「芦屋」の街を描いていた。
そして、『風の歌を聴け』を読んだときに、「あ、これ芦屋じゃん。オレ、この街知っている」と思ったのである。
私が知っている街について著者も知っているということではなく、「私しか知らない街」(だって空想上の「芦屋」なんだから)について著者が知っていたということが重要なのだ(そして、ご存じのように、この作品中ではこの街が「芦屋」であるということについての言及はない)。
どうもこの人の書く物は私に特別な関係があるのではないかという疑念はその次の『1973年のピンボール』でさらに強化された。
この物語は「僕」とその友人が渋谷で起業した翻訳会社が舞台の一つになっている。
そして、ご存じのように、私はこの小説の舞台となった同じ時代に、同じ渋谷で平川くんと翻訳会社を始めていた。
そのときに学生時代の友だちが集まって始めた翻訳会社なんて渋谷にはうちしかなかった。
平川くんはその後あちこちで「あれは平川さんの会社がモデルなんでしょう?」と訊かれたそうである。
すぐれた作家というのは無数の読者から「どうして私のことを書くんですか?」といういぶかしげな問いを向けられる。
どうして私だけしか知らない私のことを、あなたは知っているんですか?
というふうに世界各国の読者たちから言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。
どうしてそういうことになるのか。
村上春樹は世界中の人々に共通する原型的な経験を描いているのだろうか?
あるいはそうかもしれない。
でも、たぶんそれだけではない。
おそらく読者は物語を読んだあとに、物語のフィルターを通して個人的記憶を再構築して、「既視感」を自前で作り上げているのである。
私は上に「私の頭の中の芦屋のことをどうして知っているのか?」と書いたけれど、もちろんこの「私の頭の中の芦屋」の造形には『風の歌を聴け』を読んだことがすでに関与している。
この物語を読みながら、私の中の「空想上の芦屋」のイメージは精密に彫琢され、そして、読み終えたときに完成した。そしれ、「あれ、この本に書いてあることって、オレの頭の中のイメージと同じじゃん」と思ったのである。
自分で脳内に置いたものを自分で発見して、びっくりしているのである。
マッチポンプである。
でも、これは凡庸な物語作家にできることではない。
現代中国で村上春樹は圧倒的な人気を誇っているが、それを「現代中国の若者の孤独感や喪失感と共鳴するから」というふうに説明するのは、ほんとうは本末転倒なのである。
そうではなくて、現代中国の読者たちは、村上春樹を読むことで、彼らの固有の「孤独感や喪失感」を作り出したのである。
「それまで名前がなかった経験」が物語を読んだことを通じて名前を獲得したのではない。
物語を読んだことを通じて、「『それまで名前がなかった経験』が私にはあった」という記憶そのものが作り上げられたのである。
もし、村上春樹ではない、別の作家の別の物語が強い指南力を持った場合には、現代中国の若者たちは「それまで名前がなかった経験」に「孤独感や喪失感」とは違う名前をつけたはずである。
私たちは記憶を書き換ることができる。
そして、自分で書き換えた記憶を思い出して、「ああ、私のこのような経験が私を今あるような人間にしたのだ」と納得する。
勘違いしている人が多いが、人間の精神の健康は「過去の出来事をはっきり記憶している」能力によってではなく、「そのつどの都合で絶えず過去を書き換えることができる」能力によって担保されている。
トラウマというのは記憶が「書き換えを拒否する」病態のことである。
ある記憶の断片が、何らかの理由で、同一的なかたちと意味(というよりは無意味)を維持し続け、いかなる改変をも拒否するとき、私たちの精神は機能不全に陥る。
トラウマを解除するためには「強い物語の力」が必要である。
「同一的なかたちと(無)意味」を死守しようとする記憶の断片を、別のかたち、別の意味のものに「読み替える」力を私たちに備給するのは「強い物語」である。
私はもちろん『風の歌を聴け』を読む前に、現代の芦屋の風景について何も想像したことがなかった。
けれど、読み終えた後、私は「これは私がずっと想像してきた芦屋の風景そのままだ」と思ったのである(ほんとうにそう思ったのである)。
物語の中に「自分自身の記憶」と同じ断片を発見したとき、私たちは自分がその物語に宿命的に結びつけられていると感じる。
けれども、それはほんとうは「自分自身の記憶」などではなく、事後的に、詐術的に作り出した「模造記憶」なのである。
「強い物語」は私たちの記憶を巧みに改変してしまう。
物語に出てくるのと「同じ体験」を私もしたことがあるという偽りの記憶を作り出す。
その力のことを「物語の力」と呼んでよいと私は思う。
それだけが私たちを私たち自身のままであることに釘付けにしようとするトラウマ的記憶から私たちを解き放つのである。
『1Q84』はまだ4分の1残っている。
私の予感では、この物語は終盤に至って「強い物語による記憶の改変」というこの論考の主題に漸近線的に近づいてゆくのではないかと思う。
読み終わった後になってから「あとぢえ」で、「いや、オレはこんどの村上春樹の新作はきっと『記憶と時間とトラウマ』にかかわるものになると思っていたよ」と手柄顔で言うのが厭なので、読み終えていない段階で「予言」するのである。
違っていたら、ごめんね。
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