山廻りするぞ苦しき

2009-02-09 lundi

下川正謡会の新年会。
ふつうは5月末か6月はじめに「大会」があり、9月には「歌仙会」というものがあって、翌年の演目の「予告編」をやる。それから約半年稽古しての「リハーサル」が「新年会」。
この段階で大会でやることはだいたいできあがっていないといけない。
新年会では、社中のみなさんがふだんお稽古しているお囃子なども拝見できる。
今年の大会は5月31日。場所は例年と違って、大阪能楽会館である。(湊川神社の神能殿は閉鎖されてしまったのである。この経緯については納得のゆかないことが多い。神社もビジネスマインドで経営する時代になったらしい)
大阪能楽会館は阪急梅田駅から10分ほどの距離。建物はだいぶ古いけれど、よい能楽堂である。
また間近になったらご案内しますけれど、関西方面のみなさん、どうぞお運びくださって、会場を賑わしてください。
私は「山姥」の舞囃子と、素謡「安宅」のワキ(富樫)をやります。
ドクター佐藤は舞囃子「猩々」、素謡「熊野」のワキ。
ウッキーは舞囃子「高砂」のほか、素謡「隅田川」「安宅」などに出演。
飯田先生は赤ちゃんのお世話で今年の会はお休みである。
「山姥」の舞囃子はクセのところが長く、「立ち廻り」といって杖をつきながら「山廻り」する舞があって、これがむずかしい。
ただ杖をついて舞台をくるくる歩くだけなので、見ている人は「簡単」と思うかも知れないけれど、そういうものでもない。
だいたい左足、杖、右足という順番で動かしながら、能楽のリズムに「乗る」というのが難物である。
そして、「山姥の山廻り」というのは「峯に翔り谷に響きて今まで此処にあるよと見えしが山また山に山廻りして」という詞章から知れ得るように、超人的なスピードで山中を移動しているのである。
「山廻り」という動きがどういうものであるかを私たちは知らない。
現物を見たことがないのだからしかたがない。
けれども、そういう言葉がある以上、それに類した身体技法が中世にはおそらく存在したのである。
少なくとも、世阿彌の時代の観客は、それがどういう身体技法であるかについてある種の「共通の了解」を持っていたはずである。
そして、その超常的な身体運用を連想させるような足の運びを愛でたはずなのである。
以前、ヨガの成瀬雅春さんから、ヒマラヤの行者の中には人間ばなれした高速で山中を疾走する術者がいるという話を伺ったことがある。
合気道の先輩の笹本猛さんが、成瀬さんの指導でその歩行法を習得して、ヒマラヤを歩いてみたことがあった。
足の裏が地面に着かないまま、空中を滑っているような感じがするのだそうである。
あるいは日本の中世の山岳居住民の中にも、これに似た歩行法を身体文化として継承していた人たちがいたのかも知れない。
能には「土蜘蛛」とか「安達原」とか「山姥」とか、“人外魔境人” が出てくる話が多い。たぶん、そのような縄文系の「まつろわぬ人々」が中世の東北にはいまだ蟠踞していたのであろう。
メル・ギブソンの『アポカリプト』は時代考証にかなり問題のあるアクション歴史映画であるが、中世のユカタン半島のジャングルに暮らす人々の「歩行術」については考えさせられた。
主人公ジャガーが追っ手を逃れてジャングルを超高速で移動する場面がある。
ジャングルの地面には尖った木の根もあるし、足首にからみつく下枝もあるし、足首をねじるような段差や、指をとらえて骨を折ってしまうような穴も空いているはずである。けれども、ジャガーはそのジャングルをまるで飛ぶように走り抜ける。
ジャガーを演じたルディ・ヤングブラッドはクリー、コマンチ、ヤキ族の血を引くネイティヴアメリカンで、少年時代からずっとネイティヴのダンスチームのメンバーとして興行の旅を続けていたそうである。
その身体文化の継承の過程で、「ジャングル廻り」の歩行法もまたルディ君はいつのまにか習得されたのであろうか。
興味深いことではある。
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