大学は市場に選別されるのか?

2008-12-18 jeudi

こんな記事を読んだ。

構造改革特区制度を利用して、株式会社が設立したLCA大学院大学(大阪市、学長・山崎正和中央教育審議会会長)が平成21年度の学生募集を停止することが17日、分かった。
学生数が定員を大幅に割り込み、経営難に陥っていた。
特区制度を利用して株式会社が設立した大学の募集停止は初めて。
LCA大は、経営コンサルティング会社「日本エル・シー・エー」(東京)の子会社が18年に開設。大卒者を対象にした2年制で、平日夜や土日の講義で企業経営を教えている。
文部科学省によると、一学年の定員70人に対し、19年度の入学者は14人、今年度は8人と大幅に割り込んでいた。同社は20年3月末で約1億8000万円の債務超過。親会社も7月末に債務超過を公表し、事業見直しを進めていた。在校生が卒業する22年3月末までは講義を続ける方針だが、その後は廃校の可能性もあるという。
特区制度による規制緩和で、株式会社の学校設立を認めた背景には、新規参入による競争で教育の質を高めようという狙いがあったが、現状はこうして設立された大学の多くで学生の確保に苦しんでいるという。(産経ニュース、12月18日)

これについてたいへん素朴な質問が二つある。
一つは「企業経営を教える大学」が企業経営に失敗した場合、その大学で教えていた教育「商品」は無価値であったと推論することを防ぐことができるかどうか、防げるとすればどのようなロジックによってか、という問いである。
こののち、卒業在校生たちが「詐欺」で大学を告訴した場合(良識ある市民であればそのような無体なことはしないと思うが)、理事会はどう弁明するのであろう。
おそらく、大学ではきちんとした経営学の教育が行われていたのであるが、それとは違うレベルで経営が破綻したのであるというふうに理事会の方々は述べられるであろう。
私はその通りだと思う。
企業経営を教えていた当の大学が経営破綻したという事実から私たちが引き出しうるのは、「教育にビジネスのロジックは適用できない」という言明である。
そして、これこそは私の年来の主張に他ならない。
「evidence based」という言葉は、こういう場合に使いたいものである。
第二の問いは、この破綻した大学の学長が「中央教育審議会会長」であるという事実にかかわるものである。
教育にかかわる国策の根本を議する審議会の長が経営破綻した大学にかかわっていた。
この事実から私たち大学人が引き出しうる実践的な(「にべもない」)教訓は「中教審の答申を真に受けて大学の制度改革に走ると危ないかも・・・」ということである。
なんと、これもまた私の年来の主張ではないか。
中教審は教育への「市場原理の導入」を許した。
進んで導入したとは言わないが、教育が市場原理に屈することを座視した。
市場原理とは「市場は間違えない」ということである。市場は「見えざる神の手」によって適者を選別し、不適者を排除するというルールに一票を投じることである。
私が知りたいのは、もしこの大学が市場から「不適」として排除されたとするならば、学長自身はその判定を是として受け容れるかどうか、ということである。
判定を粛々と受け容れ、「市場に不適とされた大学の教学の責任者」という事実を重く受け止めるなら、これから後、教育について公的な場で発言することは慎まねばならないだろう。
この判定を「否」とするなら(私としてはぜひそうしてほしいのだが)、「市場は教育機関の質について誤った判定を下すことがある」ということをこの機会にはっきり語っていただきたいと思う。
市場による格付けとか定員充足率とか偏差値とか科研の採択率とか卒業生の就職力とか生涯賃金とか、そんなものは大学における教育の指標としては「たいした意味はない」ときっぱり語っていただければと思う。
中教審会長のその言葉はどれほど私たちを勇気づけるであろうか。
「数値で教育のアウトカムは測れない。市場のニーズは教育の質に相関しない」
日本における真の「教育再生」はその言明からしか始まらないと私は信じている。
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