とっても忙しい週末

2008-12-15 lundi

師走である。
ほんとうにばたばた西へ東へ走っている。
風邪はようやく癒えた。
週末と来週にかけて最後の「死のロード」があり、はたしてちゃんとおつとめできるかしらと懸念していたのであるが、とりあえず治ってよかった。

土曜日、合気道の稽古をお休みして東京へ。
まずは苅谷剛彦さんと『中央公論』のための対談。仕切りは『大学ランキング』の小林さんと中央公論の井之上くん。
苅谷さんとお会いするのははじめてである。
苅谷さんはこの秋からオックスフォードの先生になられたので、イギリス住まいである。
今回は東大での集中講義のために一時帰国しているところを時間を作っていただいた。
話題はもちろん教育問題。
苅谷さんの『階層化日本と教育危機』は過去十年のあいだに読んだ本の中で、もっともインパクトのある書物の一つであった。
「インパクトがある」というのは内容が驚嘆すべきだったというだけではなく、その驚嘆すべきコンテンツがきわめてクールな語法で叙されている、その抑制の効き方の対比の妙に驚いたからである。
私が同じことを記述する立場だったら、はるかにセンセーショナルな語法を採用したであろう。
そう考えると、この抑制の強さに、私は苅谷さんの「不安と怒り」の深さをむしろ感じたのである。
苅谷さんの識見についてはこれまで教育論の中でなんども言及し、引用してきたので、ここでは繰り返さない。
苅谷さんにはたくさん訊きたいことがあったので、それを次々と質問してゆく。
一つは、『階層化日本…』は79年と97年の統計に基づいて教育危機の実相をあらわにしたものだけれど、それからもう10年以上が経っている。
97年から08年までのあいだに学校では何が起こっているのか、それについての苅谷さんの見解をまずお訊きした。
もちろん、97年以後も苅谷さんはずっと調査を続けており、その結果をまとめている(まだ本にはなっていないけれど)。
聞いて、驚いたのは、苅谷さんたちの研究チームの共同研究は2007年度の科研費申請がリジェクトされたということである。
『階層化日本…』は教育の現状について、もっとも射程の遠い、重要な研究であり、被引用回数においても、国際的な評価においても、同時期の教育研究の中で群を抜いたものだと私は思っている。
その継続が科研で拒否されるというのは、どういうことなのであろう。
日本社会における階層化の力学を解明されることから不利益を被る人々でもいるのだろうか?
たしかに、文教族や文科省の官僚の中には、苅谷さんの研究を不快に思っている人もいるだろう。
2007年は安倍内閣の教育再生会議が全盛だった時期だから、苅谷さんの研究が忌避されたことと平仄は合っているが。
ともあれ、苅谷さんによれば、教育における階層化圧力はさらに増しているそうである。
帰属する社会階層の低い子どもたちは、すでに義務教育の初期段階で、そのあと回復することのむずかしいほどの disadvantage が負わされている。
だが、その事実は明確にはアナウンスされていないし、しばしば隠蔽されている。
そこで私の考えを申し上げてみる。
この教育的な disadvantage については、低い階層の家庭では「教育投資が十分に行われていないせいで、子どもが学習機会を奪われている」という説明がなされているが、そのような説明そのものが格差を再生産している、というのが私の考えである。
例えば、メディアは「東大生の家庭の年収は平均より高い」という統計的事実に基づいて、「金のある家庭の子どもは学力が高く、金のない家庭の子どもは学力が低い」という説を流布している。
金のある家では潤沢に「教育投資」をすることが可能であり、金がない家ではそれができないことが学力格差の原因であるというようなことをメディアは書き続けている。
そこから導かれる実践的結論は「もっと金を」である。
それだけである。
あらゆる社会的格差は「金の有無」によって生じているという社会理解はそのまま「金の全能性」についての信憑に帰着する。
「金さえあれば何でも可能であり、金がないと何も成就しない」
それがメディアが過去30年ほど無反省に垂れ流してきたイデオロギーである。
しかし、私の見るところ、実際に起きているのはこのような「金の全能性イデオロギー」に対する耐性の弱い家庭に育った子どもほど学びの意欲を損なわれ、学力を下げているということである。
社会の上層を占めている人々は実際には「金ですべてが買える」と思っていない。むしろ、「金で買えないものの価値」についてつよく意識的な人々が日本では階層上位を形成している。
彼らは人間的信義、血縁地縁共同体、相互扶助、相互支援といったものが質の高い社会生活に必須のものであるということを知っている。
それが直接的には階層上昇のための「ツール」だから必須であるのではない。
それらは端的に「生物として生き延びるため」に必須の資源なのである。
階層上昇や年収の増加というようなことが最優先の課題になるのは、よほど豊かで安全な社会においてだけである。人類史のほとんどはそうではなかったし、今でも地上の過半の地域ではそうではない。そして、私たちの社会もほんとうはそうではない。
まず生き延びること、それが最優先の課題である。
生き延びるために貨幣が必要なことは当然だが、「金さえあれば」すべての問題が消失するほど、人間の世界はシンプルな作りにはなっていない。
しかし、不思議なことに、私たちの社会では、「金のない人々」は「金があればすべての問題は解決される」と信じており、「金がある人々」はそう思っていない。そして、その事実を指摘すると、ほとんどの人は「金がある人は『金があるせいですべての問題が解決されていること』に無自覚であるにすぎない」と勝ち誇ったように回答する。
一度「金の全能イデオロギー」を採用すれば、そのイデオロギーに対する否定的言明の存在そのものが「金の全能イデオロギー」の正しさを立証するように「金の全能イデオロギー」は構造化されている。
どこかで見た覚えのある社会理論である。
いい加減に学習すればよいと思うのだが、なかなか人間たちは全能感の誘惑に抗しきれないのである。
社会格差の意味を「金の多寡」であるとみなす人々は年収の増大に直接かかわりのない人間的資質の開発には資源を投じない。
彼らが採用した論理そのものがそのことを禁じるからである。
その結果、彼らは社会下層に釘付けにされる。
そのように社会的格差は構造化されている。
「金がないので、私たちは自己実現できず、自分らしい生き方ができずにいる」という説明が有効であるような社会集団内(私たちの社会はもう全体としてそういうものになっている)で育った子どもは「『金がない』という言明によって、あらゆる種類の非活動は説明できる」という「遁辞」の有効性を学ぶ。
だから、こうまとめることができると私は思っている。
私たちの社会で急速に進んでいる階層化は、「『金の全能イデオロギー』に対する耐性」の強弱によって決定されている。
人間の価値はさまざまな度量衡で考量しうると考えている子どもは、簡単には「学び」を拒否しない。
それは「学び」のうちには、「そうするといくら儲るか」という以外の「ものさし」をあてがうことでしか発見できない喜びや楽しみがあることを、そういう子どもたちは知っているからである。
「学び」の場において「学ぶことはいくらの儲けになるのか」だけしか問わないような子どもたちは学ぶ動機そのものを腐食させてゆく。
というような持論を苅谷さんにぶつけてみる。
こういうのは完全にスペキュレーションであるから、学問的厳密さにこだわる限り、当否は論じられない種類の論件である。
さて、それに苅谷さんはどう答えられたか…
それは『中央公論』で読んでくださいね。
そのあと議論は市民社会論へ移り、「変化」至上主義への批判へ移り、時間の経つのを忘れて、熱く語り合ったのでした。
いや〜、実に充実した時間でありました。

苅谷さんたちとホテルのロビーで別れて、次は高輪へ移動。
養老先生の忘年会である。
このメンバーが濃い。
養老孟司、甲野善紀、茂木健一郎、名越康文、そして私。エディター組はいつもの足立さんと、新潮新書の後藤さん。
去年もお招きいただいたのであるが、日程のつごうがつかなかったので、泣く泣くご無礼した。
今年は養老先生が私の上京日程に合わせてくださったのである。
さっそく、生ビールをくいくいと頂きつつ、いったいこれはどういう基準で選ばれたメンバーなのでしょうかと養老先生にお尋ねする。
「野蛮人じゃないの」というのが老師のご回答であった。
このメンバーでふぐを食べて、ひれ酒をぐいぐい飲んでいるわけであるから、もうどれほど大変なことになるのかはみなさまとて想像に難くないであろう。
先日、三宅先生のところで治療を受けながら、「こういうメンバーで宴会やるんですけれど、誰が貧乏くじを引くんでしょうね」とお訊きしてみた。
三宅先生は「それは名越先生でしょう」と即答された。
なるほど。
私だって、わりと座持ちはよいほうであるけれど、名越先生には遠く及ばない。
名越先生がそばにいてくださると、私は「まあまあ」と座をとりもつ意欲が急速に失せて、さらに座が荒れるような話題だけを選択するようになる。
他のみなさんについても推して知るべし。
「名越先生が最後はなんとかしてくれる」という信頼があれば、みんな安心である。
「いや、このメンバーだったら、精神科医がひとりいないとまずいだろうと思ってさ」と養老先生はおっしゃっておられた。
そうですよね。
実際にはこれに池田清彦先生も参加するはずだったのである。そのときの情景はもう私の狭隘な想像力の埒外である。
この2時間余の放言を録音して書籍化したら…という想像を今多くの編集者たちはなされたであろうが、残念ながら、それはむなしい想像というものである。
活字化可能なのは全体の30%くらいで、あとは全部「ぴー」だからである。
養老先生ごちそうさまでした。
また来年も呼んでくださいね。

明けて翌日は今年最後の多田先生の研修会。
先週の桜台合気道クラブ創立15周年行事を日本ユダヤ学会のために欠席して、多田先生、諸先輩がたに失礼をしたので、この機会に年末のご挨拶をすべく若松町の本部道場へ。
はやめについたので、道場に座り込んで『中央公論』の原稿を書く。
だんだん人々がやってくる。最初に来たのは闇将(なんとなく、そんな気がしたけど)。
甲南合気会からもウッキー、ヒロスエ、ヨハンナ、セトッチ。かなぴょんを入れると6人になる。
ヨハンナは大好きな深夜バスでの往復である。
ブルーノ君が来る。
本部道場の多田先生の研修会でブルーノ君と合気道のお稽古をする日が来るとは、1996年に最初にブザンソンであったときには思いもしなかったが、まことに「強く念じたことは実現する」という多田先生のお言葉はほんとうなのである。
ブルーノ君を諸先輩にご紹介する。
諸先輩と言っても、この日見えていた先輩は山田・坪井両先生だけ(途中から今崎先輩が来て、これでようやく3人)。
気がつけば、私も同門の「長老」の一人になっていたのである。
この年齢でまだ若い人に立ち交じってお稽古できるとはまことにありがたいことである(でも、ちょっときついけど)。
ツッチー、闇将、イリエくん、アシバくんたち若手にぶん投げられる。ふだん受け身を取っていないので、身体が痛いです。
工藤くんは本日は団地の自治会の集まりとかで欠席。生活感あふれる欠席理由である(涙)
稽古後、多田先生に『考える人』の次回のゲストをお願いして、ご快諾いただく。
多田先生にロングインタビューするのは「武道的身体」以来だから15年ぶりくらいになる。
どんなお話が伺えるかいまから楽しみである。
同門の若手諸君と手を振ってお別れして、ウッキー、ヒロスエと車で東京駅へ。
私はそれから NHK のお正月番組の打ち合わせ。
タイトルはどうしましょうかと訊かれたので、「変わるな! 日本」というのをご提案する。
「いいじゃん、このままで」というのが私の最近の万象についての基本姿勢なのである。
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