不思議なアンケート

2008-11-11 mardi

少し前に某誌からアンケートがあった。
「人生の中で一度は読みたい未読の本」というものである。
なかなか興味深い趣向である。
「読みたい」と思っていながら、なぜか手に取ることや読み通すことに抵抗が働くような種類の書物が存在する。
そのリストを示すことは、その人の無意識の心的傾向を知る上の重要な手がかりになるであろう。
私は『大菩薩峠』を選んだ。
白井喬二の『富士に立つ影』と並ぶ「めちゃめちゃ長い時代小説」の双璧であり、主人公の机竜之助がとちゅうでいなくなって、別の人が主人公になる(らしい。読んだことがないからよく知らないのである)。
故・今村仁司先生が激賞されていたので、ぜひいつかは読みたいものだと思っていたので、回答にこんな文章を寄稿した。

「一生に一度は読んでみたいと思いつつ読んでいない本」という企画は、やってみたらあまり個性的なセレクションにならなかったのではないかと思う(編集者はちょっとがっかりしただろうけれど)。たぶん『失われた時を求めて』と『ユリシーズ』と『源氏物語』がトップ10にランクインしていると思う。もちろん『大菩薩峠』も。これはいずれも私自身未読でいつか読まないとなあと思っている本なのである。理由は「長い」というだけではなく、「一度読み始めたが、読み続けられなくて途中で断念した」という事実がトラウマ的経験としてあるからである。
いずれについても、途中下車した個人的にいちばん大きな理由は「焦点的人物に感情移入できない」ということではないかと思う。机竜之介について言えば、これほど共感できない主人公は珍しい(『悪霊』のスタブローギンの方がまだましである)。どうしてかというと、なんか「悪い」だけじゃなくて、「狭量」な感じがしたのである。もしかすると巻が進むと「正邪一如」的なスケールの人物に成長するのかも知れないけれど、そこにたどりつく以前に机くんに興味をなくしてしまった。私の器がもう少し大きくなって、「悪くて狭量」な主人公でも愛せるようになったら再度挑戦してみたい。

毒にも薬にもならないような文章であるが、他の人たちはどんな本の前で足踏みをしているのであるのかに興味があったので、本の出るのを楽しみに待っていた。
その雑誌が届いて、頁をめくってびっくりした。
タイトルが「死ぬまでに絶対読みたい本 読書家52人生涯の一冊」となっていたからである。
アンケートを見ると、ほとんどの方が「オールタイムベストワン」の本をご推奨されているのである。
「読んでない本」を回答している人はほとんどいない。
え、まさかオレ一人・・・と顔面蒼白となったが、よくよく読むと、私に他にも「まだ読み終えていない本」を挙げている人が中野翠さん、ねじめ正一さん、土屋賢二さんなど数人いた(ああ、よかった・・・)
ほとんどの方はアンケート文面の「未読の」という形容詞を見落とされたようで、結果的にその集計は「私の座右の一冊」と「座右にない一冊」が混在する不思議なアンケートになった。
アンケートの解説も「限りある人生で、もう一度読み直したい本は? 死ぬまでにいつか読みたいと願いつづけた一冊とは?」に変更されていた。
だが、「もう一度読み直したい本」と「未読だけれど読みたい本」というのはふつう同一のカテゴリーには含まれまい。
「すでに読んだ本」の定性的な吟味をする仕事と、「まだ読んでいない本」の中身を妄想する仕事では、脳内の使用部位が違うからである。
「まだ読んでいない本」のリストを作るというのは、言い換えれば、「自分の知らないこと」について考えるということである。
「自分の無知」や「自分の短見」や「自分の無学」についての自己評価を内外に開示するということである。
つねづね申し上げているように、「自分の賢さ」をショウオフすることよりも、「自分の愚かさ」の成り立ちを公開することの方が、世界の成り立ちや人間のありようを知る上ではずっと有用だと私は思っている。
だから、この「未読書アンケート」の趣旨をすぐれた着眼のものと思ったのである。
しかし、残念ながら、「52 人の読書家」のほとんどはアンケートの「未読の」という限定条件を(故意か無意識にか)見落とした。
編集会議では、これらの回答者に対して「アンケートの趣旨はそういうことじゃなくて・・・」と書き換えを求めるべきかどうかについて苦しい議論がなされたはずである。
でも、結果的に「自分の無知」の様態について回答してしまった数名に「ここは、泣いてもらう」ということに話は落ち着いたのである(想像ですけど)。
もちろん、私はそんなことに腹を立てるほど狭量な人間ではない(そう誓ったばかりだし)。
それに、このアンケートは結果的に日本の読書人の無意識についての興味深いデータを提供してくれていると思うのである。
日本のインテリゲンチャたちの圧倒的多数が「自分の知性の限界や不調を主題化する作業からはほとんど反射的に目をそらす」という事実を開示してくれているという意味では、これは貴重な精神分析的=民族誌的資料だからである。
もちろん、オールタイムベストの読書ガイドとしても有用である。
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