村上春樹と橋本治

2008-10-14 mardi

日本の批評家は村上春樹を評価していないと書いたら、以前『B學界』の編集長だったO川さんからメールを頂いて、村上春樹を評価している批評家はたくさんいますよと名前を教えていただいた。
「三浦雅士、清水良典、石原千秋、川村湊、藤井省三、鈴村和成、風丸良彦、荒川洋治、川本三郎(特に初期において、現在は批判的)、柴田元幸、沼野充義、和田忠彦、芳川泰久氏、ほかに若い批評家、学者は無数」ということだそうですので、先日のブログのコメントは訂正させていただきます。
蓮實重彦以下ごく少数のケルンが執拗に村上評価を拒否しているらしい。
そうか、彼らは孤立無援の少数派だったのか。
私はどのような論件であれ、絶対的少数派でありながら自説を枉げない人には無条件の敬意を抱く傾向にある。
こうなったら蓮實重彦さんたちにはぜひがんばって孤塁を死守していただきたいと思う。
でも、私が日本の批評家たちを(少数の例外を除いて)あまり信用していないという現況は変わらない。
というのは、橋本治という実例があるからである。
ずいぶん前だけれど橋本さんの小説の書評を頼まれたことがある。
そのとき書評紙の編集者に「どうして私のような門外漢に書評を依頼するのですか」と訊いた。
すると、「あちこちで断られたので、しかたなく」とたいへん正直に教えていただいた。
橋本治のような興味深い書き手について書評を忌避する批評家がいるということに私は驚いた。
そのあとご本人に会ったときに、これまでどんな書評をされてきたのかをうかがったことがある。
そしたら「ない」というお答えが返ってきた。
『窯変源氏物語』が完成したときにある新聞の学芸の記者が橋本さんにインタビューすることになった。
インタビューの前に下調べをしようと、記者がこれまでその新聞で橋本治についてどんな記事が書かれているかコンピュータで検索したところ、学芸関係の記事は「ゼロ」だったそうである。
ゼロである。
日本の批評家たちに対する不信感はそのとき私の中に深く根を下ろしたのである。
知性というのは「うまく説明できないこと」にこそ抗いがたく惹きつけられるものではないのか?
少なくとも科学の世界ではそうである。
本邦の批評家はどうもそうではないらしい。
すらすら説明できることには健筆を揮うが、うまく説明できないことは「なかったこと」にするような態度を「批評的」と呼ぶことに私は同意しない。
橋本治さんのライティング・スタイルが「うまく説明できない」ということは紛れもない事実である。
けれども、その「うまく説明できない」ライティング・スタイルの書き手が『桃尻娘』から『双調平家物語』まで、『アストロモモンガ』から『シネマほらセット』まで200冊を超える「橋本治以外のどのような書き手も書くことができないテクスト群」を書き続けていることに私は興味を抱かずにいられない。
この異常なスピードと生産量とジャンルの多様性は「書くこと」の本質についての私たちの常識を覆すような重要な知見を含んでいるはずである。
それについて『広告批評』に長い評論を書いたので、お暇な方は読んでください。
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