当然時差ぼけです

2008-09-13 samedi

当然ながら時差ぼけである。
英語では Jet lag という。フランス語では「時差」を décalage horaire というが、「ぼけ」という病態もこれに含まれるようである。
時差ぼけの研究が本格的に始まったのは1950年代の終わりのこと。
アイゼンハウアー政権の国務長官だったジョン・フォスター・ダレスがアスワン・ハイ・ダムの建設についてエジプトとの交渉に失敗し、以後10年間エジプトをソ連の影響下に置いたという外交史上の汚点のせいである。
このときダレスはすさまじい時差ぼけで交渉時には完全に混乱していて、自分が何をしているのかよく理解していなかったらしい。
このときから時差ぼけおよび「体内時計」という概念が生物学の研究対象となったのである。
生物学者ジョン・D・パーマーの『生物時計の謎を探る』(小原孝子訳、大月書店、2003年)のよると、私たちは西に向かうときと東に向かうときでは、あきらかに東に向かってタイムゾーンを越えるときの方が時差ぼけの強度が高いそうである。
これは実感としてよくわかる。
日本とフランスの時差は7時間(ほんとうは8時間だけれど、この時期はサマータイム)。
関空を朝の10時に出て、12時間飛行して、同日の夕方パリに着く。
体内時計は午後10時、現地時間は午後3時。
この調整はそんなにむずかしくない。
ホテルにチェックインして、早めに晩ご飯を食べに行って、一杯飲んで、9時頃に「今日は疲れたから早寝しよう」というと体内時計は午前4時。飛行機の中でいくら寝ていても、この時間はさすがに眠くなる。そのまま爆睡して、目が覚めると現地時間にほぼ同調できている。
これが東に向かうとそうはゆかない。
パリを午後2時に出て、関空に着くのが朝の8時。このとき体内時計は午前1時。眠気をこらえて家に戻ってお風呂に入って、荷物を片付け終わると正午。体内時計は午前5時。我慢できずにばたりと昼寝をする。目が覚めると午後4時。体内時計は午前9時だから当然目は覚める。それから少し仕事を片付けて、日が暮れるので、ビールなど飲み、晩ご飯を食べる。午後11時になり、そろそろ寝ようかと思うが、体内時計は午後4時だから寝付けるわけがない。夜中に何度も目が覚める。午前6時に「眠いのだが、もう眠れない」状態でしかたなく起き出す。体内時計で夜の11時。そんな時間に起き出して、「さあ、一日を始めよう」というわけであるから調子が出るはずがない。
実際にパーカー博士によると、アメリカのメジャー・リーグでは、東海岸のチームが西に飛んで試合する場合と、西海岸のチームが東に飛んで試合する場合は、平均得点に有意な差が出ているそうである(東海岸チームはホームに西海岸チームを迎えたときに、同タイムゾーンの同士との試合より、平均1.24点多く得点している)。
「この驚くべき発見に対してプロ野球連盟はどんな対策をとってきたというのか」とパーカー博士は問うている。
「なんと連盟はまったく無関心であった!」(同書、91頁)
体験的には、ヨーロッパから日本に戻ってきたときの時差ぼけの「リバウンド」はいったん終熄したあとの1週間目くらいに訪れることがある。真夜中に目が覚めて、どうにも寝付けなくなるのである。時間的につい「ナイトキャップ」を大量飲用して眠りに持ち込むという「強制終了」モードで事態に対処することになるり、結果的には時差ぼけというよりは二日酔いで苦しむのである。
パーカー博士の本は睡眠について豊かな知見にあふれた好著であるが、この中で私は「サーカディアンリズム (circadian rhythm)」(概日リズム)ということを教えてもらった。
人間の体内時計は1サイクルが24時間40分なのである。
よく行われる実験に明かりの入らない地下で、時計を与えず生活をさせるものがある。
眠くなったら眠る。腹が減ったら食べる。そういう生活をしていると、被験者たちは平均して就寝時間が毎日40分ずつ遅れることがわかったのである。
だから子どもたちが放っておくとすぐに夜更かしをするようになるのをあまり責めてはいけないのである。
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