先取りされた未来から見た過去

2008-07-04 vendredi

クリエイティヴ・ライティングの今週のお題は「70歳になって、来し方を回想して、『自分史』を書くことにした君が、その45年前、25歳の一年を思い出して綴った文」。
前回は5年前、2003年6月のある一日の日記を書いてもらった。
たいへん面白かった。
思春期の自意識過剰ぶり、友人との距離感のなさ、学校と教師に対する遠慮を知らない倦厭感、過剰な攻撃性、そういう「幼さ」をみごとに掬い上げた傑作がいくつも見られた。
うまいものである。
このドライブ感を維持して書き続ければ、そのまま小説になりそうである。
しかし、「実話」というリミッターがかかっているので、想像力の暴走にもおのずと限界がある。
今回の宿題はそれをはずしていただこうという趣旨である。
まず想像的に70歳になってもらう。
この年齢となれば、ものの見方考え方もずいぶん変わっているはずである。
その条件の上で、25歳の1年という「いまだ到来していない未来のできごと」を過去形で語っていただこうというのである。
70歳から見たら25歳は夢のように遠い過去、記憶も消えかけた青春の日である。
二十歳の学生たちから見ると25歳は、これまた中途半端に近いがゆえに、想像することがむずかしい未来である。
みなさんの中には、5年後を想像することなんか簡単だろうと思う方がおられるやもしれぬ。
そうでもないのよ。
というのは「うかつな想像」をしてしまうと、その想像の「呪縛」にかかってしまうからである。
つねづね申し上げているように、想像には遂行性がある。
詳細にわたって未来のある一日を想像してしまうと、そのとおりのことが実現する確率はそうでない場合に比べて桁外れに高くなる。
だから、適当なことを書くわけにはゆかない。
うかつに「父親の会社が倒産したあと、母は白血病に罹り、弟は家出して暴力団にリクルートされ、私は父の借金を払うためにやむなく苦界に身を沈めたのであった」などということを書いてしまうとたいへん剣呑なことになる。
むろん、それを記述する70歳の彼女たちもまた描かれ方によっては彼女たちの未来をつよく繋縛する。
だから、この未来図には「私はそのようになりたい」という思いを深くこめなければならないのである。
未来について書くというのは彼女たち自身を「予祝する」ことである。
言葉のもつ現実変成力を感じ取ってくれるとよいのだが。
どうして、こんな宿題を思いついたかというと、その前の日に試写会で『スピードレーサー』を見たからである。
吉田竜夫&タツノコプロの『マッハ GoGoGo』(アメリカでのタイトルは『スピードレーサー』)の実写版リメイクをウォシャウスキー兄弟がハリウッドで実現した。
なんで、いまごろ67-8年の日本アニメを実写でリメイク?
と、みなさんも不思議に思ったであろう。
私も不思議に思った。
たしかにウォシャウスキー兄弟はアニメ好きである。
ご案内のように、『マトリックス』は『攻殻機動隊』へのオマージュにあふれていた。
でも、どうして今、『マッハ GoGoGo』なの?
私にはよくその必然性がわからなかった。
でも、映画を見ているうちにわかった(ような気がした)。
これは「未来から回想した過去」なのである。
もう自動車という乗り物が姿を消してしまった未来から回想された「石油を湯水のように使い、大排気量エンジンから排ガスをまきちらし、クラッシュするたびに何トンもの鉄屑を廃棄する遊び」が許されていた信じられない時代の思い出なのである。
その時代の人々は、その「遊び」を通じて「自分探し」や「家族の絆の確認」をしていた。
目的自体は結構なことだけれど、それにしても環境負荷を考えると費用対効果が悪すぎないか?
そんな遊びをするよりは詩を書いたり家庭菜園を耕していた方がエコ的にはナイスだったのでは?
というふうにたぶん今から半世紀くらいあとの(もう石油資源が枯渇したあとの)未来の人々は考えるだろう。
「自動車レースで自己実現する」ということが「砂漠の真ん中でリッター200円のミネラル・ウォーターで満たしたプールで100メートル自由形を泳いで自己実現する」ということと同じくらいに「意味ぷー」になる日がいずれ来る。
必ず来る。
ウォシャウスキー兄弟はたぶん「その日」を想像的に先取りして、「大排気量の自動車をいくら走らせても誰も文句を言う人がいなかった時代」をそこから回想しているのである。
だから、この映画の画面は過剰にけばけばしく、奥行きがまったくない。
それは「夢」の中で見る世界の特徴だ。
これは夢なのだ。
たぶん90歳くらいになったスピード・レーサー翁が死の床で見ている(70年ほど前の、まだ「自動車」というものがトランスポーターとして存在していた時代を回顧する)夢なのだ。
夢に固有の非現実感と浮遊感がそこにはあった。
そういう感じのものをちょっと読んでみたくなったのである。
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